昨日、このブログにトラックバックがついていた。記事のタイトルは「JRに殺された友・その2」。少しの驚きと恐怖を持ってページをあけると…なんとも言いようがない。わたしは事故で、身近な人を亡くしたことはない。先日、発生した福岡県西方沖地震だって、少し前まで住んでいたから知り合いにお見舞いの電話はしたけど、やはり「他人事」。と、ここまで書いた今、1時24分。テレビのニュース速報で福岡震度4のテロップが流れた。同僚に電話すると「揺れた、揺れた」と言っていた。新たな被害が発生しないことを祈るしかない。
「他人事」だった事故が、そのブログを拝見するに、身につまされる思いになる。コメントを入れようとしたのだが、締め切られていたので、この場に記します。さっきの地震は天災だから防ぎようがないし、備えをして被害を最小限に食い止めるしか手はないだろう。でも、福知山線の事故は防げたはずだ。それは、JR西日本という会社がだ。運転士1人の「人災」じゃない。繰り返し言う。JR西日本の「社災」だ。JRに事情聴取をしていない一般人が断言してもいいのかは分からないが、検証報道を見聞きし、昔から鉄道に乗り歩いた「ファン」は、強くそう思う。
運転士が感じる「ダイヤ厳守」の重圧は、相当だったと聞く。秒単位の遅れでも「レポート」を提出させるとか、草むしりや窓ふき、ペンキ塗りのペナルティーがあるとか。それを否定はしない。企業は、社員の能力を最大限に引き出させるためには、いろんな手段を講じるもの。いわゆる叱咤激励だ。旅客会社なら「ダイヤ厳守」は大きな使命。安全のためには、ダイヤはいくら乱れてもいい、とは、利用客も思わないだろう。
ただ、その先には、絶対の盾があるものだと思っていた。追い込んでも、追い込まれても、越せない、破れない、突き崩せない砦。それが、公共輸送機関の場合には「安全」じゃないのか。間違った判断をしたり、パニック状態に陥って思いもつかない行動に出たり、そんな人の「誤り」「過ち」を、機械だから守ってくれるんじゃないのか。JRという大企業なら、絶対の「安全装置」があると思うのが当然だろう。でも実態は…なかった。ならば、人にそこまでの重圧をかけたり、追い込んだりはしてはいけないと思わなかったのか。自殺者まで出て、そんなことに誰も気がつかなかったのか。
直線で飛ばし、カーブ直前で急ブレーキをかける。そんな運転が、当たり前のように行われていたと聞く。何百人も乗せた電車を何だと思っているのか。線路は運転技術を自慢しあったり、ましてや曲芸を披露する場所ではない。安全よりも利益重視? 公共輸送機関の利益ってなんだ。地域の住民を幸せにし、そこで働く社員も幸せにすることじゃないのか。地域の住民も殺し、社員も殺し、そんなことをするための民営化だったのか。
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