2005年6月26日 (日)

久しぶりに「いそかぜ」を見た

 なんて、ハムの歯ごたえを感じながら家に帰り、テレビを点けると、おお、この間に乗った電車寝台特急の「サンライズ」が映ってるじゃないか。そのうち、さくら最後の日にコーナーは移る。テレ朝で「日本寝台特急大全集」という番組をやっていた。

 ブルートレインファンになって30年。こんな番組を、深夜とはいえ、地上波のテレビで見るのは初めてだ。と、ワクワクしながら見ると、テレ朝とホリプロが出すDVDの宣伝番組のようだった。でも、それで十分だ。楽しめた。マネジャー南田とかいう人が解説をしていたが、オレもあのぐらいなら、できるかな。

 それに、懐かしいものを見た。門司駅に着いた「さくら」の隣にいる「いそかぜ」が、テロップとコメント入りで紹介された。その前の駅の下関に「さくら」が到着した後ろにも「いそかぜ」らしき姿を見たような気がしたのだが、あれは幻だったのだろうか。

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2005年5月10日 (火)

JR事故から派生した日本人のバカさ加減

 わが意を得たり、と、思わずひざをたたきたくなった。きょう10日付(9日発行)の日刊ゲンダイ。過激で極端な論調には賛否乱れ飛ぶところだろうが、わたしは好きな新聞だ。「JR批判に明け暮れるTV大新聞の異様な世論誘導」といったような前垂れにつられて買ったところ、わたしが思っていたままのことが書いてあった。

 内容を要約すると、JR西日本の体質ばかりが批判されているが、そんな利益優先に走らせた原因は、国鉄の分割民営化だ。そして、ここからは日刊ゲンダイ特有の論調だが、それを許した自民党政府と、自公政権与党の責任としている。

 後段はともかく、前段は、ひざを打つ。旧国鉄問題に詳しいジャーナリストは「(JR西日本は)人員削減に明け暮れ、世界一の安全技術を支えた旧国鉄の熟練の伝統や人的財産は切り捨てられました」と論を展開。さらに、大学教授が述べていることは、わたしの主張そのままだ。その言葉を引用させてもらうと「国民の安全や利便性を考えれば、国営企業のムダや余裕も必要なのです」。

 その通りだ。安全のためには、湯水のごとく、税金だってジャブジャブ使ってもいいのだ。もちろん、それが変な利権を生むことは許されないけれど、大阪市が職員にスーツを支給していたとか、世田谷区では革靴とか、京都府ではメガネ購入補助とか、こんな明らかな無駄遣いをしない限りは、税金の使途に効果は求めても、効率性をとやかく言う必要はないと思う。

 さらに、その横の記事に目が止まった。こっちの方が、前垂れの内容だったんだ。連日「宴会」批判に明け暮れる TV大新聞の異様な世論誘導。これも、その通りだと思った。最初にボーリングの話が出た時はひどいな、と思ったが、JR西日本が「不適切」と発表したとはいえ、尼崎から遠く離れた益田駅長(島根県)の送別会や、広島支社の懇親会まで「たたく」必要はないと思う。事故の本質とは関係ないだろうに。一種の魔女狩りだ。

 それよりも、あの脱線事故以来「目立ちたい」「騒ぎを起こしたい」という理由で、置き石の事故が増えているという。JRの職員に暴行が相次いでいる、なんてニュースも伝わってきた。なんて事をするんだ、と、怒りを通り越して、あきれるしかない。こんなヤツらこそ糾弾してほしい。それにしても、なんで、日本人は、ここまで、バカになってしまったんだろう。

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2005年5月 2日 (月)

さらに「社災」の思いは強く

 昨日、このブログにトラックバックがついていた。記事のタイトルは「JRに殺された友・その2」。少しの驚きと恐怖を持ってページをあけると…なんとも言いようがない。わたしは事故で、身近な人を亡くしたことはない。先日、発生した福岡県西方沖地震だって、少し前まで住んでいたから知り合いにお見舞いの電話はしたけど、やはり「他人事」。と、ここまで書いた今、1時24分。テレビのニュース速報で福岡震度4のテロップが流れた。同僚に電話すると「揺れた、揺れた」と言っていた。新たな被害が発生しないことを祈るしかない。

 「他人事」だった事故が、そのブログを拝見するに、身につまされる思いになる。コメントを入れようとしたのだが、締め切られていたので、この場に記します。さっきの地震は天災だから防ぎようがないし、備えをして被害を最小限に食い止めるしか手はないだろう。でも、福知山線の事故は防げたはずだ。それは、JR西日本という会社がだ。運転士1人の「人災」じゃない。繰り返し言う。JR西日本の「社災」だ。JRに事情聴取をしていない一般人が断言してもいいのかは分からないが、検証報道を見聞きし、昔から鉄道に乗り歩いた「ファン」は、強くそう思う。

 運転士が感じる「ダイヤ厳守」の重圧は、相当だったと聞く。秒単位の遅れでも「レポート」を提出させるとか、草むしりや窓ふき、ペンキ塗りのペナルティーがあるとか。それを否定はしない。企業は、社員の能力を最大限に引き出させるためには、いろんな手段を講じるもの。いわゆる叱咤激励だ。旅客会社なら「ダイヤ厳守」は大きな使命。安全のためには、ダイヤはいくら乱れてもいい、とは、利用客も思わないだろう。

 ただ、その先には、絶対の盾があるものだと思っていた。追い込んでも、追い込まれても、越せない、破れない、突き崩せない砦。それが、公共輸送機関の場合には「安全」じゃないのか。間違った判断をしたり、パニック状態に陥って思いもつかない行動に出たり、そんな人の「誤り」「過ち」を、機械だから守ってくれるんじゃないのか。JRという大企業なら、絶対の「安全装置」があると思うのが当然だろう。でも実態は…なかった。ならば、人にそこまでの重圧をかけたり、追い込んだりはしてはいけないと思わなかったのか。自殺者まで出て、そんなことに誰も気がつかなかったのか。

 直線で飛ばし、カーブ直前で急ブレーキをかける。そんな運転が、当たり前のように行われていたと聞く。何百人も乗せた電車を何だと思っているのか。線路は運転技術を自慢しあったり、ましてや曲芸を披露する場所ではない。安全よりも利益重視? 公共輸送機関の利益ってなんだ。地域の住民を幸せにし、そこで働く社員も幸せにすることじゃないのか。地域の住民も殺し、社員も殺し、そんなことをするための民営化だったのか。

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2005年4月26日 (火)

国鉄は安全だったはずだ

 さっきから、福知山線の脱線事故を伝える朝のニュースを見て、腹が立っている。「ダイヤ優先」で、安全が軽視されていたという内容にだ。

 鉄道ファンとして、あえて言う。昔の「国鉄」は、ダイヤ厳守と安全運転が並び立っていた。安全は絶対、そのうえで、これほどまでに正確なダイヤ通りの運行は、世界に類を見ないと、評価されていたはずだ。だから、鉄道旅行の計画を立てる際にも、乗り換えに10分とか20分の余裕は見ないだろう。そうでなきゃ、松本清張とか、西村京太郎の小説は、舞台として成り立たない。

 ダイヤ厳守で、運転士の方に重圧がかかっていた、だから回復運転のためにスピードを出し過ぎて脱線したなんて論調は、絶対に違う。問われるのは安全対策だ。ATSはどうしたんだ。運転手が、万が一操作ミスをしても、仮にスピードを出し過ぎても、それを補う制御装置や安全装置が働くものじゃないのか。

 われわれ利用者は、そう教育をされてきた。だから安心して、鉄道に身を委ねてきた。そのATSが、国鉄時代の古い設備を使っていた、なんて報道がされている。国鉄なんて、何年前の話だ。それがもし、今の時代にそぐわないとすれば、更新するのが、事業者の責任だろう。

 この事故を、「人災」の名のもとに、運転士に責任を負わせようとしているのなら、絶対に違う。「人災」じゃない。「社災」だ。安全は鉄道事業者の絶対。それを怠っていたとすれば、事業を営む資格はない。JR西日本の責任は重い。

 効率化の名の下に、なんでも民営化をしてしまう、日本政府の責任も重い。あえて言う。国鉄は国鉄で良かったのだ。

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2005年3月 1日 (火)

いまさら言う国鉄分割反対

 特急「いそかぜ」は、昨日限りで廃止になった。最後の旅に出た「あさかぜ」「さくら」は、今、どのあたりを走っているのだろうか。寝台列車とはいいながら、超満員のお客さんたちのほとんどは、ほとんど寝てないんだろうなあ。

 先日買った鉄道雑誌の「追悼記事」を読んでいて、わたしも考えた。「あさかぜ」の不幸は、運転区間がJR東日本、東海、西日本の3社、「さくら」はさらに九州が加わり4社に渡ること。各社の思惑が交錯し意思の統一が図れず、運行形態も車両も旧態依然。前向きな改革など行われず、ただ「死」を待つだけだったのではなかろうか。「北斗星」や「カシオペア」が人気の、東京発北海道行の寝台特急とはえらい違いである。こちらは東日本と北海道の2社だけだから、意思の疎通も図りやすいのだろう。だいたい、ブルートレインといえば、東京発山陽・九州方面の代名詞だったのに、この凋落は目を覆うばかりだ。長崎行の豪華寝台列車なんて人気が出そうだけど、運賃収入は距離に応じての配分だから、JR九州は高い設備投資には踏み切れないだろう。

 おまけに長崎本線で、同じ特急「かもめ」に3本も抜かれるようでは、あわれですらある。2月号の時刻表を見て驚いた。さくらの欄に【東京発2月28日は鳥栖‐長崎間運休】とある。最後の運転日に、運休と言われても…。3月1日からの改正ダイヤに、足の遅い「さくら」の入り込む余地はないのだろうが、そこまで邪魔者扱いしなくても、いいじゃないか。初めて乗ったブルトレに、有終の美ぐらい飾らせてあげたかった。

 「いそかぜ」の廃止も、JR九州と西日本の関係が影響したと思う。いつの間にか、小倉‐博多間が廃止されていた。過密ダイヤの同区間には、自分の会社の所属ではない、のろまのディーゼル特急の存在は目障りだったのだろう。でも博多に行くのに、小倉での乗り換えは、やっぱり面倒くさい。10年以上前のゴールデンウイークか夏休みだったかは忘れたが、まだ博多まで行っていた「いそかぜ」に東萩から乗り込んだところ、通路までぎっしり満員だった。最近の乗客数は50人にも達していなかったらしいから、隔世の感がある。区間短縮も乗客減少の一因ではなかったか。

 今さら言う。だから、国鉄の民営化はともかく、分割は反対だったんだ。全国一元化こそが最大のサービスで、狭い日本をわざわざ分けなくったっていいじゃないか。20年以上前か、武蔵大学の「公益企業論」の試験問題は、国鉄の分割民営化だった。「東海旅客鉄道は新会社内での旅客完結度が70%台と低く…」などと例を挙げて持論を展開すると、授業には1度も出たことがなかったのに、Aの成績をもらった。

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2005年2月27日 (日)

鉄ちゃんの血が甦った

 2月限り、つまり明日限りで廃止される特急「いそかぜ」の記事が、発売中の「鉄道ジャーナル」4月号に掲載されているという情報を、わたしのあしあと様からのコメントにいただいたので、書店へ向かった。24日の朝日新聞文化欄には、雑誌が相次いで「鉄道特集」を組んでいる、との記事が載っている。へえ、と向かった家から近い書店。大型店でもないのに、そこの趣味のコーナーには、あった、あった! こんなに、たくさん。

 鉄道ジャーナルは、中学高校当時に定期購読していた、なじみの雑誌。けっこう久しぶりに手にとったが、感触は変わっていなかった。「いそかぜ」に加え「あさかぜ」「さくら」の特集もあったので、迷うことなく買う。朝日新聞で紹介していた、新幹線の模型が付いている「ラピタ」も、鉄道を見る! を特集している「東京人」も平積みされていた。ともに増刷をしてなお、完売する程の人気だという。そのほかにも、「図説 夜行列車・ブルートレイン全史」「週刊歴史読本 国鉄・JR廃線ハンドブック」を手にしていた。昔からの雑誌、そしてこれも定期購読していた「旅と鉄道」や、たまに買ってた「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」にも食指が動いたが、カミさんの顔が頭に浮かんで、書棚に戻した。結局5冊6960円のお買い上げ。大の40男が、趣味にこのくらいの金をかけても、バチは当たらんだろう。「鉄道」は、読者が男性に偏ること以外、趣味系雑誌には、いいことずくめだそう。わたしなんかは、まさに編集者の思うツボだ。

 で、家に帰った夕方、新幹線の模型に取り組んでいると、小5次男と小3三男が「わー、わー、なに、やらせて」。パパは人気者になった。夜は、いそかぜが廃止になるので、小倉から萩への経路を時刻表と首っ引きで練っていると、小6長男「さっきから、なにブツブツ言ってるの。時刻表? オラ、そんなものの見方はわからん」。なんだと、いかんいかん。中学受験なんぞに係わってたから、大事な教育を忘れていた。次回からの休日は「時刻表を読もう」講座を開設しよう。

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2005年2月22日 (火)

衝撃だった時刻表3月号

 昨日のブログを書き終えた段階では、3月号の時刻表に、もっと衝撃的な事実があろうとは、知らなかった。趣味じゃなくて、3月に帰省するから買ったんだ。その時に乗る小倉から山口・萩への特急「いそかぜ」の時刻を確認しようと、寝る前にページを開くと、「あれっ、あれれっ、ない…」。2月限りで廃止になっていた。

 くるべき時がきた、のだろうか。先日、鉄道好きの会社の同僚が、「山陰から九州に旅行する。いそかぜに乗る」と言ってたので「すごい車両がくるぞ。デッキへのドアは手で開けるんだぞ」と宣伝しておいた。数年前に乗った時は、昭和40年代製造のキハ181系が、平気で走っていた。帰ってきた同僚「すごかった」と感心していたから「オレも3月に乗る」と言い、2人で「鉄っちゃん話」で盛り上がったもんだ。廃止も規定路線だったんだろうけど、東京にいるわたしには「寝耳に水」。せめて、あと1カ月もってくれれば…。

 ブルートレインほどの栄華はなかったけど、萩を通る山陰本線の特急、急行は、個性あふれる列車ばかりで、全国の鉄道ファンの注目をも集めていた。それが1つ消え、2つ消え、ついに優等列車はすべて姿を消してしまった。とむらいの気持ちも込めて、折に触れ思い出話を記していこうと思う。

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2005年2月21日 (月)

さみしい時刻表3月号

 3月号の時刻表が発売になったので買った。覚悟はしていたけど、ページを開いてガク然とした。「さみしーい…」。寝台特急、東京発山陽・九州のページは、空きだらけ。2月限りで、「あさかぜ」と「さくら」が廃止になるから「富士」と「はやぶさ」しかない。それも、東京と門司の間は併結運転だから、実質は1本だ。

 昔の、あれは小学5年か6年の頃か、ブルートレインブームが突然に起こった頃に比べると、栄華は面影すらない。ブームの前から「ブルトレ」に魅せられていたわたしは、親に頼んで写真を取りにいった。夜も明けないうちに車を出してもらい、萩から小郡(現新山口)へ。最初に停車した「さくら」を皮切りに、数時間ホームに居座った。「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1号」「あさかぜ3号」。大阪から呉線を通って下関まで行く「安芸」なんて列車もあった。ずっと興奮状態だったわたしは、時間を忘れてシャッターを押していたが、付き合わされた父親は、時間が長く感じただろうな、と今思えば同情する。

 「トワイライトエクスプレス」に乗りたいがために、新婚旅行は北海道に決め、発売1カ月前に、みどりの窓口に並んだ。超人気列車の申し込みを受け、マルス端末を操作した駅員が「取れましたよ」。「えっ、ホントですか」。天にも昇る気持ちだったが「あっ…」「はっ?」「1カ月前のキー操作を忘れてました」「ということは、この寝台券は?」「今日のです」。そんなやりとりをしてるうちに、1カ月後の寝台券は売り切れてしまった。

 せめてもの意地と、大阪から青森まで、「日本海」のA寝台を取った。初めてにして、それ以降でも唯一のA寝台。アルバムにはJR模様の浴衣に身を包んだカミさんが、写っている。

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