2006年6月26日 (月)

観劇! 母に捧げるラストバラード

最近の休日は九州色に染まる。それも今回は「真っ」九州だ。明治座6月公演「母に捧げるラストバラード」を、カミさんと2人、観劇してきた。

思えば、山口出身のわたしだが、海援隊に陶酔して以来、九州は福岡の「軍門に下る」人生は決まっていたのかもしれない。高3の昭和57年冬、大学受験直前集中合宿をしていた福岡の地で、海援隊の解散コンサートが行われていた。寮の門限も打ち破って、福岡サンパレスに駆けつけた。チケットはなかった。でも、行かずにはいられなかった。「券、あるよ」。初めて「ダフ屋」の存在を知った。しかし提示された金はない。でも観たい。今にして思えば、大胆な行動だったろうが、値切った。「そんなお金はありません」「いくらなら、あるんか」。それでも定価1500円の立見席に3000円(だったと思う)を払った。大変な冒険だった。

東京にある大学から、東京に本社のある会社に入ったはずなのに、配属は福岡支店。そこで今のカミさんと知り合った。それから17年。真ん中近くで人生はいろいろ変わり、福岡に本社のある会社に転職したが、住まいはなぜか福岡から東京へ。しかし、連れ合いの話す言葉は変わらない。博多弁など、まったく知らなかったわたしが、その真っ只中にいる。幼少期を福岡で過ごしたわが子3人も、みんな「バイリンガル」だ。

しかし、今日の明治座の舞台。わたしは分かったし、カミさんと2人、博多弁で感想を伝え合ってはいたが、東京の人に分かったのかな。「やおーいかん」なんて言葉が、普通に登場する演劇だったから。「井尻とか諸岡」と言われても、どこか分かんないだろう。でも、楽しかった。おまけに取れた席は、2列目かつ花道の真横。クライマックスでは、わたしの真横で物語が展開していた。息づかいまでが聞こえてくる、こんな臨場感のある世界は、初めてだ。これなら、A席1万2000円は高くない、と書きたいが、2人で2万4000円は、やはり高い。でも、まあ、4年ぶり2回目だから、「家計の見直し」中でも、許してもらおう。「母に捧げるラストバラード」は、明日が千秋楽。

このブログ「俺の人生真ん中あたり」を始めたのも、陶酔する海援隊との関わりを記していこうとしたから。だから、タイトルも拝借した。でも、中学受験日記とか、ファイターズ評論記になってしまったなあ。明治座で買ってきた、海援隊のCD「漂白浪漫」と「心をこめて 回天篇」を聴きながら、初心を思い出した。この2作だけは、LPを持っていなかった。

公演が終わり、明治座からほど近い、人形町の「しばらく」で博多ラーメンをすすり、アメ横に寄って、今日の夕食は、もつ鍋にした。カミさんの機嫌はよく、子どもたちも大喜びだった。でも、たまに「郷土意識」に触れるから、有り難味があるんだろう。すっかり東京に馴染んだカミさんも子どもも、「福岡に転勤になったら、ひとりで帰りーよ」と口をそろえた。

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2006年6月17日 (土)

代々木の先に九州が

 また休みを九州色に染めてしまった。延期になった中2長男の運動会を代々木公園で観戦した後、北九州は黒崎が発祥のラーメン「唐そば」に行こうと、明治通りに車を走らせようとした。わたしは、このラーメンが大のお気に入り。とんこつに鶏ガラや野菜の絡んだスープは、本当にうまい。

 と、カミさん。「九州じゃんがら、って書いとうけど、あれ、なんね?」と聞く。そうか、こっちでもいいか。ちょうど、パーキングメーターも空いていたので路線変更。ただ気持ちは唐そばだったので、わたしは、とんこつ100%ではない「じゃんがら」を、カミさんは、とんこつ100%の「ぽんしゃん」を注文した。

 あっという間に出てきた「じゃんがら」を一口。「うん…」。特長のないスープで物足りない。ところが、カミさん「うん!」。「ちょっと、くれよ」と手をのばしてすすると「あー、絶対こっちやった」九州の味は。でも、けっこう濃い味だから、食べられない人用に「じゃんがら」が、あるんだろう。カミさんは上機嫌で「ぽんしゃん」のスープを飲み干していた。しかし、九州の味でここまで機嫌がよくなるんなら、毎週そうしようか。次は、リンガーハットが照準だ。

 ところで、長男の通う渋渋の運動会。昨年も驚いたが、今年もやっぱり、ビックリした。自分が出ない競技の間に、メールはしてるわ、菓子は食べてるわ。記念撮影をしてるグループもいるから先生は注意しないのかな、と思ったら、先生がその輪の中にいた。カミさんも「入場門とか、退場門やら、ないっちゃろうか」。統率なんてまったく取れてない。でも、ある意味うらやましい。軍隊調の行進を強要されたこともあり、さらに運動オンチのわたしは、運動会が大っ嫌いだった。

 そうなのだ。運動会なんて、誰に見せるものでもないのだ。やってる人間が楽しいのが一番だ。あっ、ここでは、運動会じゃなくて、スポーツフェスティバルだった。

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2006年2月 6日 (月)

「なん、しようと」

 「あいつら、まだ勉強が足らんね。ガキと思うて、甘えとる」。カミさんが、ぶつぶつ言いながら部屋に入ってきた。家の前の路地では、小4の三男が、友達と戯れている。「なん、しようと、って聞いたんよ。何回聞いても、ポカンとして、しまいには、きたない物でも見るような顔をしやがって。バカガキどもがっ」。

 福岡から東京にきて、もうすぐ5年。カミさんは、地域のサッカーチームの会長になるほど、なじんでいる。でも、言葉はなじめないらしく、サッカーチームでも普通に博多弁で接し、最初は戸惑っていた子どもたちも、さすがに慣れてきた。カミさん流に言えば「よう勉強した」となるわけだが、今回の子どもたちは初体験だったよう。わが三男に「なん、しようと、って、どういう意味」と聞き、三男は「なに、してるの、ってことよ」と丁寧に説明したとか。さすが、バイリンガルだ?

 17年前も、そうだった。福岡から2人、東京へ「婚前旅行」。山手線の中で、大きな声で聞いてきた。どうして、九州の女は、総じて声がデカイのか。「ねっ、ねえ、どこ行くと?」。小声で「いけぶくろ…」。さらに大きな声で「そうね、池袋ね。ぶくろに行くっちゃね!」。「あのう、もう少し小さい声で、それに博多弁というのも…」「なんね、博多弁の、どこが悪いとね。アタシは、この言葉で、ずーっと育ってきたと! その言葉ばしゃべらんで、なんば、しゃべれ、っていうんね」。わたしは、18歳で上京して山口弁を笑われ、方言が出ないように過ごしてきたのに、それが当然だと思ってたのに、すごいカルチャーショック。開き直りというか、潔さに感服すらした。

 今、テレビでは「なまり亭」が人気を呼び、方言が脚光を浴びている。いいことだ。やっぱり、いろんな地方の文化は大切にしないと。山口人が福岡人に飲み込まれてしまったのは、じくじたる思いだけど…

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2005年12月 9日 (金)

初体験! スイートルームと介助犬

 いろんなことを経験させてもらえた、東京から福岡へ1泊2日の出張だった。

 眠い目をこすって羽田空港に到着したのは、12月8日午前8時45分。9時20分の飛行機に乗るためだ。自動チェックイン機に航空券を入れても手続きできない。「なんでだよ」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「出発が遅れまして10時の見込みです」「えーっ」。その程度の遅れは何てことないが、それなら、そうと言ってくれよ。あと40分寝られたじゃないか。1時半まで仕事をして、羽田空港近くのホテルでベッドに入ったのは、午前4時。4時間も寝てないし、「寝過ごすわけにはいかない」という重圧で熟睡できてないのに。と、航空券と一緒に500円の喫茶券をくれた。なるほど、だから自動チェックインできなかったのか。寒くって、温かいコーヒーが飲みたかったので、ちょうど良かった。


 福岡の宿泊先は、グランド・ハイアット・福岡。こんな高級ホテル、初めてだ。好き好んで選んだわけじゃなく、ここしか空室がないと言われたから。往復の航空券と宿泊がセットになった、いわゆる「出張パック」。ヘタすりゃ、片道の正規運賃より安く往復できて、ホテルもついてくる。どんな料金システムになってるのか、よく分からないが、使わない手はない。9000円のオプション代金は痛かったが、ここしかないんじゃ致し方ない。

 grandhyattfukuokaチェックインしたのは午前2時ぐらいだったか。「スイート…」とか言われたけど、酔っ払ってたので適当に返事をして部屋に入ると、スイートルームじゃないか。何かの間違いじゃないかと、慌ててフロントに引き返して確認すると「あいにく満室でして、狭い部屋がご用意できなくて、申し訳ありません」だって。こんなおわびも珍しい。興奮しながら中洲の街に出て、何時にどうやって帰ったか覚えていない。目が覚めた時には、ベッドルームの床に寝てた。せっかくのスイートルームが、もったいない…。よくよく歩いてみると、5人で住んでいるわが家よりも、広い感じがした。

 二日酔い、というか、さっきまで飲んでたから、酔っ払った状態で福岡空港へ。と、また、自動チェックインできない。「また遅れるのか」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「お席の確認をしてまいります」。?? クラスJを取ったのに、ないのかな、と不安がよぎった。これも好き好んでクラスJにしたわけじゃない。この便の空席が1席しかなく、それがクラスJと言われたから。2000円のオプション代金は痛かったが仕方ない。それに、体がキツいので、クラスJに座りたかった。

 「クラスJは満席でして」(やっぱりか…)「お隣のお客様が、かいじょけんをお連れで」「はっ?」「介助犬です。ご了承いただけますか」「ええ、何の問題もなく」。席に行くと、いたいた。大きい犬が、ベタっと座っている。盲導犬なら知っていたが、介助犬は初めてだ。目がすごくかわいらしいし、何よりおとなしい。ワンもキャンも、一言も発さない。さすがに離陸の時には不安そうに起き上がったが、たしなめられると、頭を下げた。立派だ。着陸は、もっと不安だったのか、わたしの足に体をすり寄せてきた。子どもが大きくなって、寄り付かなくなった今、介助犬の仕草が、何ともいとおしかった。

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2005年10月12日 (水)

富士山に初雪…もう1日早ければ

 「えーっ」。昨日の朝日新聞夕刊を広げて、思わず嘆声を発してしまった。

 「富士山に初冠雪」。記事こそ短いが、写真は第2社会面のメーンを飾っている。雲の合間から全容を明らかにし、なお頭には雪をかぶった富士山が、そこにはあった。写真の下の方が五合目だよな。頂上まで、遮るものが何もない。昨日まで、その場所にいたのに。そんな姿、見せてくれなかったじゃないか。富士急ハイランドにいても、紅葉台に行っても、山中湖に泊まっても、どこからも見えなかったじゃないか。富士五湖を全部回ったけど、ただの五湖だった。

 綾小路きみまろじゃないけど、富士山好きの私。3年前に初めて行って、近くにいる人がうらやましくなった。「いいなあ、毎日、富士山を見て暮らせるんだ」。昨日まで、山口・萩から両親が、孫の運動会を見たいとかで上京していた。「どっか行きたいとこ、ある?」と聞くと「富士山が見たい」。わが意を得たりである。山中湖の宿を予約し、準備万端で出かけて行った。ところがだ。9日は終日、雲の中。ご来光をと思った10日の朝は、5時半に起きたのに雨が、それも、どしゃどしゃ降ってきやがった。すぐ近くにいるはずなのに、姿を見せてくれないほど、もどかしいことはない。で、その翌日に、初冠雪かよ。雪の白さと、紅葉しかかった山の色がコントラストを描いて、きれいじゃないか。ふざけんな。もう1日はやく、見せてくれよ。

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 救いは、五合目に上がったら晴れ間がのぞき、富士山の一部分でも見ることができたこと。申し訳なさそうな顔をしている私を気遣ったのか両親「よかった」を連発していたが、五合目まで行って、雲しか見えないんじゃ、金返せだ。それでも、てっぺんは姿を隠していた。

 東京にくる新幹線からも、富士山は見えなかったと言っていたが、帰りの昨日は、せめて車中からでも見てもらっていればと思う。

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2005年8月 3日 (水)

関西人が証明した萩のうどんの味

 今さらながら、10日ぶりの続編です。呼び出されたはずの上司が、もう午前5時も過ぎていただろうに「次は、ウチへ行くぞー」と雄叫びを上げた。この上司、大阪から単身赴任中。タクシーは人形町に向かった。

 見覚えのある景色。東京エアシティターミナルが近いじゃないか。このブログで7月2日に書いた「東京で萩のうどんと、うれしい再会」をした、「すなだ どんどん」のある場所だ。「オレ、このあたりまで、うどんを食いにくるんですよ」「そうかいな。オレも、よう行くうどん屋があるで」。タクシーが赤い「さぬきうどん」の看板の前を通り過ぎた。「ここですよ」「なんや、オレが行くのも、ここや」「2回も来たんですよ」「オレは、何十回って行ってるで」。

 味にうるさい大阪人が足しげく通う店。「うまいですか」と聞くと「うまい、うまいで」。確かに、まずい店に、何十回とは通わないだろう。ここから、説明を始めた。「ここは、さぬきうどんとは書いてあっても、萩のうどん屋でですね」「そうかいな」「わたしが小学生の頃できて、高校生の頃には、よく学校帰りに…」「…」。酔っ払っているせいか、これ以上は反応が、なかった。

 しかし、わたしが自慢してもしようがないんだけど、本場の関西人がうなるほどの、萩のうどん。その味が証明されたようで、うれしかった。

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2005年7月 2日 (土)

東京で萩のうどんと、うれしい再会

 東京で、故郷を味わった。萩のうどん「どんどん」。この味だ。このブログに「故郷・萩のうどんと東京で再会できる」と書いたのは、ずいぶん前、1月の話。実は、その直後に高田馬場店に行ってはいた。

 ところが、「さぬきうどん」の看板に、まずがっかり。山口・萩生まれのうどんじゃアピールにならないか。寂しい気持ちでうどんを口にすると、またがっかり。麺が硬く、スープがぬるいという、大手さぬきうどんチェーンの悪いところだけをとったような味だった。これは萩の味じゃないと、足がもう1度向くなんてことはなかったが、休日にカミさんと柴又散歩に行くことにした。わたしは、寅さん「男はつらいよ」のファンなのだ。じゃあ浅草にも店があったはずだから、久しぶりに行ってみよう、と思いホームページをあけると、ない。高田馬場店もない。お客さんも少なかったしな、東京人には合わなかったのかとまた寂しい気持ちになると、前からある神楽坂店に加え、新店もオープンしていた。東京シティエアターミナル別館1Fにある箱崎T-CAT店。柴又への道中といえなくもない。で、寄ることにした。

 「さぬきうどん」の看板にはがっかりしたが、なんだ、この人だかりは。行列ができてるじゃないか。ちょうど昼時とはいえ、店の外に人があふれている。並んで「肉うどん」(中420円)を注文して、えび天(126円)をのせて、わかめおにぎり(84円)も取って。萩と同じシステムで取り放題のねぎをたっぷりのせて、スープをズルッ。うん? オッ! うまい!! ほどよい硬さの麺。だしがよく効いたほどよい熱さのスープ。4月に帰省した時、グルメを気取る小6次男を「絶品」とうならせた、これがその味だ。萩と同じ味を出せば、お客さんは来るじゃないか。かけ(中210円)にきす天(105円)えび天(126円)をのせたカミさんは「普通に西(日本)のうどんやね。違和感なく食べられるよ」と、のたもうていた。カミさんは、いわゆる東京のうどんは、絶対に食べない。

 なんだか、うれしい心持ちになったと、柴又の参道、だんご屋で、ビールを頼み祝杯を挙げた。「なんで」とカミさんは言った。

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 うどん「どんどん」箱崎箱崎T-CAT(東京シティエアターミナル)店は、東京メトロ半蔵門線の水天宮前駅の3番出口を出てすぐ左手です。

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2005年4月 8日 (金)

いわきで感じた日本ハム人気

 久しぶりに日本ハムの試合を見た。それも生で見た。一昨日6日の、いわきグリーンスタジアムで行われた試合。10-1と結果的には圧勝だけど、内容は投打とも今一つピリッとしない。先発の江尻はアップアップだったし、攻撃も攻めきれたと言えないのは、14に及んだ残塁が示している。相手が楽天じゃなきゃ、やられていただろう。

 しかし今回は、内容よりも雰囲気を楽しませてもらった。観衆は1万8794人。この日に行われた6試合の中で、最も多い。巨人でも阪神でもなく、楽天対日本ハムの、それも地方球場が、というのは快挙だろう。試合開始の2時間15分前、開場まで15分という時間に球場に着いたが、すでにすごい人。外野などは、開場と同時に半分以上が埋まってしまった。その観客が、フェンスから身を乗り出すように日本ハムの打撃練習を楽しみ、ファウルグラウンドでは、サインに応じている選手もいる。いいなあ、この触れ合い、この一体感。わたしも、ゾクゾクした。

 意外だったのは、東北の球場で行われた楽天戦なのに、日本ハムへの声援の多さ。もともと、日本ハムが東京を本拠にしていた時代に、毎年のように主催ゲームを行っていた土地というのも理由の1つだろうが、三塁側のほとんどが日本ハムを応援している。そして、新庄の打席になると、大人子どもの区別なく、カメラを抱えたファンが、ドーッと最前列に「民族大移動」。新庄人気をあらためて実感した。わたしなどは新庄選手のパフォーマンスに諸手を挙げて賛成ではないが、長らく人気低迷に泣いた球団が、一気に人気球団の仲間入りをしたのは喜ばしい。なにせ一昨年までは、日本ハムファンというだけで、変人扱いされていたから。

 思えば、生で見た昨年の西武ドームのプレーオフ第3戦は、どっちがホームか分からないほど、日本ハムへの声援が多かった。敗戦が決まり、そそくさと帰ろうとすると、総立ちのスタンドから引き揚げてくる選手に拍手が送られている。なんだ、この世界は! と経験のない出来事に驚いたものだ。

 しかし、その西武の人気の凋落ぶりは、どうしたことだろう。実数発表になったとはいえ、観衆が連日1万人に届いていない。つい、この間まではパの中心にいたはずなのに。ということは、新庄に支えられた今の日本ハム人気も、揺り戻しが怖い、なんて考えるのは杞憂だろうか。そうはならないよう、どうか北海道のみなさん、よろしくお願いします。ファン歴30年のわたしも、できるだけのことはしますから。

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2005年3月29日 (火)

哀しみ本線日本海

 ファイターズ敗戦の報は鳥取砂丘で知った。0ー1。それもボークで二進した走者を適時打で生還させたという。まったすく何やってんだか…。開幕から押し出し死球に暴投で失点とミスばつかり。こんなのがなきゃ3連勝しててもおかしくない。砂丘を前に砂を噛む思いだ…。なんて、1人あまりに切なかったので、休む予定を変更して更新しました。初めてPHSで操作しているので、うまく表示されているか、わかりませんが。

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2005年3月 1日 (火)

いまさら言う国鉄分割反対

 特急「いそかぜ」は、昨日限りで廃止になった。最後の旅に出た「あさかぜ」「さくら」は、今、どのあたりを走っているのだろうか。寝台列車とはいいながら、超満員のお客さんたちのほとんどは、ほとんど寝てないんだろうなあ。

 先日買った鉄道雑誌の「追悼記事」を読んでいて、わたしも考えた。「あさかぜ」の不幸は、運転区間がJR東日本、東海、西日本の3社、「さくら」はさらに九州が加わり4社に渡ること。各社の思惑が交錯し意思の統一が図れず、運行形態も車両も旧態依然。前向きな改革など行われず、ただ「死」を待つだけだったのではなかろうか。「北斗星」や「カシオペア」が人気の、東京発北海道行の寝台特急とはえらい違いである。こちらは東日本と北海道の2社だけだから、意思の疎通も図りやすいのだろう。だいたい、ブルートレインといえば、東京発山陽・九州方面の代名詞だったのに、この凋落は目を覆うばかりだ。長崎行の豪華寝台列車なんて人気が出そうだけど、運賃収入は距離に応じての配分だから、JR九州は高い設備投資には踏み切れないだろう。

 おまけに長崎本線で、同じ特急「かもめ」に3本も抜かれるようでは、あわれですらある。2月号の時刻表を見て驚いた。さくらの欄に【東京発2月28日は鳥栖‐長崎間運休】とある。最後の運転日に、運休と言われても…。3月1日からの改正ダイヤに、足の遅い「さくら」の入り込む余地はないのだろうが、そこまで邪魔者扱いしなくても、いいじゃないか。初めて乗ったブルトレに、有終の美ぐらい飾らせてあげたかった。

 「いそかぜ」の廃止も、JR九州と西日本の関係が影響したと思う。いつの間にか、小倉‐博多間が廃止されていた。過密ダイヤの同区間には、自分の会社の所属ではない、のろまのディーゼル特急の存在は目障りだったのだろう。でも博多に行くのに、小倉での乗り換えは、やっぱり面倒くさい。10年以上前のゴールデンウイークか夏休みだったかは忘れたが、まだ博多まで行っていた「いそかぜ」に東萩から乗り込んだところ、通路までぎっしり満員だった。最近の乗客数は50人にも達していなかったらしいから、隔世の感がある。区間短縮も乗客減少の一因ではなかったか。

 今さら言う。だから、国鉄の民営化はともかく、分割は反対だったんだ。全国一元化こそが最大のサービスで、狭い日本をわざわざ分けなくったっていいじゃないか。20年以上前か、武蔵大学の「公益企業論」の試験問題は、国鉄の分割民営化だった。「東海旅客鉄道は新会社内での旅客完結度が70%台と低く…」などと例を挙げて持論を展開すると、授業には1度も出たことがなかったのに、Aの成績をもらった。

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2005年2月27日 (日)

鉄ちゃんの血が甦った

 2月限り、つまり明日限りで廃止される特急「いそかぜ」の記事が、発売中の「鉄道ジャーナル」4月号に掲載されているという情報を、わたしのあしあと様からのコメントにいただいたので、書店へ向かった。24日の朝日新聞文化欄には、雑誌が相次いで「鉄道特集」を組んでいる、との記事が載っている。へえ、と向かった家から近い書店。大型店でもないのに、そこの趣味のコーナーには、あった、あった! こんなに、たくさん。

 鉄道ジャーナルは、中学高校当時に定期購読していた、なじみの雑誌。けっこう久しぶりに手にとったが、感触は変わっていなかった。「いそかぜ」に加え「あさかぜ」「さくら」の特集もあったので、迷うことなく買う。朝日新聞で紹介していた、新幹線の模型が付いている「ラピタ」も、鉄道を見る! を特集している「東京人」も平積みされていた。ともに増刷をしてなお、完売する程の人気だという。そのほかにも、「図説 夜行列車・ブルートレイン全史」「週刊歴史読本 国鉄・JR廃線ハンドブック」を手にしていた。昔からの雑誌、そしてこれも定期購読していた「旅と鉄道」や、たまに買ってた「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」にも食指が動いたが、カミさんの顔が頭に浮かんで、書棚に戻した。結局5冊6960円のお買い上げ。大の40男が、趣味にこのくらいの金をかけても、バチは当たらんだろう。「鉄道」は、読者が男性に偏ること以外、趣味系雑誌には、いいことずくめだそう。わたしなんかは、まさに編集者の思うツボだ。

 で、家に帰った夕方、新幹線の模型に取り組んでいると、小5次男と小3三男が「わー、わー、なに、やらせて」。パパは人気者になった。夜は、いそかぜが廃止になるので、小倉から萩への経路を時刻表と首っ引きで練っていると、小6長男「さっきから、なにブツブツ言ってるの。時刻表? オラ、そんなものの見方はわからん」。なんだと、いかんいかん。中学受験なんぞに係わってたから、大事な教育を忘れていた。次回からの休日は「時刻表を読もう」講座を開設しよう。

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2005年2月22日 (火)

衝撃だった時刻表3月号

 昨日のブログを書き終えた段階では、3月号の時刻表に、もっと衝撃的な事実があろうとは、知らなかった。趣味じゃなくて、3月に帰省するから買ったんだ。その時に乗る小倉から山口・萩への特急「いそかぜ」の時刻を確認しようと、寝る前にページを開くと、「あれっ、あれれっ、ない…」。2月限りで廃止になっていた。

 くるべき時がきた、のだろうか。先日、鉄道好きの会社の同僚が、「山陰から九州に旅行する。いそかぜに乗る」と言ってたので「すごい車両がくるぞ。デッキへのドアは手で開けるんだぞ」と宣伝しておいた。数年前に乗った時は、昭和40年代製造のキハ181系が、平気で走っていた。帰ってきた同僚「すごかった」と感心していたから「オレも3月に乗る」と言い、2人で「鉄っちゃん話」で盛り上がったもんだ。廃止も規定路線だったんだろうけど、東京にいるわたしには「寝耳に水」。せめて、あと1カ月もってくれれば…。

 ブルートレインほどの栄華はなかったけど、萩を通る山陰本線の特急、急行は、個性あふれる列車ばかりで、全国の鉄道ファンの注目をも集めていた。それが1つ消え、2つ消え、ついに優等列車はすべて姿を消してしまった。とむらいの気持ちも込めて、折に触れ思い出話を記していこうと思う。

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2005年2月21日 (月)

さみしい時刻表3月号

 3月号の時刻表が発売になったので買った。覚悟はしていたけど、ページを開いてガク然とした。「さみしーい…」。寝台特急、東京発山陽・九州のページは、空きだらけ。2月限りで、「あさかぜ」と「さくら」が廃止になるから「富士」と「はやぶさ」しかない。それも、東京と門司の間は併結運転だから、実質は1本だ。

 昔の、あれは小学5年か6年の頃か、ブルートレインブームが突然に起こった頃に比べると、栄華は面影すらない。ブームの前から「ブルトレ」に魅せられていたわたしは、親に頼んで写真を取りにいった。夜も明けないうちに車を出してもらい、萩から小郡(現新山口)へ。最初に停車した「さくら」を皮切りに、数時間ホームに居座った。「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1号」「あさかぜ3号」。大阪から呉線を通って下関まで行く「安芸」なんて列車もあった。ずっと興奮状態だったわたしは、時間を忘れてシャッターを押していたが、付き合わされた父親は、時間が長く感じただろうな、と今思えば同情する。

 「トワイライトエクスプレス」に乗りたいがために、新婚旅行は北海道に決め、発売1カ月前に、みどりの窓口に並んだ。超人気列車の申し込みを受け、マルス端末を操作した駅員が「取れましたよ」。「えっ、ホントですか」。天にも昇る気持ちだったが「あっ…」「はっ?」「1カ月前のキー操作を忘れてました」「ということは、この寝台券は?」「今日のです」。そんなやりとりをしてるうちに、1カ月後の寝台券は売り切れてしまった。

 せめてもの意地と、大阪から青森まで、「日本海」のA寝台を取った。初めてにして、それ以降でも唯一のA寝台。アルバムにはJR模様の浴衣に身を包んだカミさんが、写っている。

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2005年2月19日 (土)

故郷・萩の味じまん

 夏みかんジュースが残り少なくなってきた。休みの度にカミさんと、焼酎で割って飲んでいた。「うまい」。甘過ぎず、ほんの少しだけ苦味があって。サントリーのカクテルバー、それもびんのスクリュードライバーしか飲まなかったカミさんが、転向したほどだ。思えば、この2週間、すいぶんと故郷の味に舌を癒やされた。

 三越日本橋本店で行われておた「第50回記念 おいでませ! 山口展」に行ったのは、2月3日のこと。「金太郎」という魚の存在は、しばらく忘れていた。福岡育ちのカミさんも子どもも知らないと言ったが、久しぶりに食べた味は懐かしく、うまかった。ほかにも、たくさん買い求めた。

 夏みかんジュース(萩市・岸田商会

 金太郎、あじみりん(萩市・広松

 瀬付開アジ、釜上げしらす、ふぐぞうすい、うに茶漬、しそこんぶ(萩市・井上商店
 「しそわかめ」が数年前、ふりかけ特集をやっていたTBSテレビ「ランク王国」でベスト10に入っていたのには、驚いた。確かに、東京・練馬のわが家から近い、さして大きくないスーパーでも売っている。わたしが子どもの頃には、そんなシャレたものはなく、刻んだわかめに醤油をたらし、ご飯にかけて食べていた。
 
 ちくわ(宇部市・宇部かま

 やきぬき蒲鉾・玄海、上板(長門市仙崎・大留蒲鉾
 板ごと焼き抜くのが、山口県のかまぼこの特徴。プリプリした食感、これが、かまぼこなんだよ。「山口のかまぼこに外れはないよ」と物産展である店のご主人が言っていたが、その通り。わたしはいまだに、紀文など東京で売っているものには、なじめない。いつも実家から送ってくる、萩市・大草章弘商店は出店してなかったので、いろいろ食べ歩いて、これに決めた。

 なじめないといえば、その代表は醤油。お取り寄せグルメが流行るはるか前から、萩から送ってもらっている。この醤油じゃないと、ダメなのだ。

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2005年2月 6日 (日)

博多弁に負けた山口弁

 またまた、もつ鍋の記事に、たくさんのご訪問ありがとうございました。最近の、東京での人気ぶりは、すごいことになっているみたいですね。今日もここで、もつ鍋の話…と思ったのですが、わたしは九州男児ではなく、山口・萩の出身。東京にきても、博多弁をしゃべり続けているカミさんが家にいるだけです。今日は、わたしの故郷自慢をさせてください。今日しないとダメなんです。東京の三越日本橋本店で開催されている「第50回記念 おいでませ! 山口展」が、今日までなのです。

 すごい人出でした。わたしが行ったのは、3日木曜日のお昼過ぎ。会場の通路が狭いこともあるのでしょうが、すれ違うのも苦労するほど。カミさんに「どうだ、この人気。これが山口の力だ」なんて自慢してました。

 それも、ズラリと並んだ萩焼の店をはじめ、夏みかんや、しそわかめ、かまぼこなどの海産物や加工品など、ざっと見渡して半分以上が萩からの出店。山口展というより萩展だ! 今の日本をつくったのも萩だ!! 気持ちも大きくなり、たくさんの食物を買い込むと「ご近所のよしみで」なんて、サービスまでしてもらいました。この場で初めて存在を知ったのが、夏みかんジュース。瓶のラベルに書いてあった通り、家に帰って焼酎で割ってみると、ホントにうまかった。ぜひ、試してみてください。繰り返しますが、三越日本橋本店で今日までです。お見逃しのないよう。

 会場に、わたしの高校への通学路でもあった武家屋敷のある城下町の地図があったので、じっと見入っていると「萩には行かれましたか」と年配の女性。「いえ、出身なんです」と答えると、声のトーンが変わり「それかね! 萩のどこかね?」と方言で聞かれた。でも…、高校時代まで当たり前に話していた山口弁が、すっと出てこない。忘れたわけではないんだけど…。少し寂しい気持ちでいると、「なんしよーとね。ぼさーっとしてから」とカミさん。こいつの、この博多弁のせいだ。

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2005年1月20日 (木)

都県境越え30分のドライブ

 さっきも書いたが、昨日は休み。となると、早く目が覚める。前日に深酒をしなければ、という条件はつくが。直前14日の休みは5時に寝たのに8時半に起きた。食器洗いをしていたカミさん「わあ、びっくりした。なんね、なして起きたとね。休みやからね。バッカじゃないと。子どもみたいやね」。その通り。子どもみたい。昨日も7時に寝て12時に目が覚めた。

 「ガソリンがなかったバイ」とカミさん。わたしは平成6年式のタウンエース ロイヤルラウンジ リミテッドを出し、都県境を越えた。ほとんどの場合、この埼玉県のスタンドに行く。とは言っても車で15分ほど。セルフで安いこともあるが、「都県境」の響きが、わたしを引き付けるのだ。昨年、車内のにおいを消したカーショップのジェームスもすぐ近くだ。

 「境」という言葉には、どこか興味をそそられる。小学生の頃、関門トンネルを汽車で通ってからだろうか。 ←福岡県|山口県→ の文字を見たような記憶がある。12年ほど前に初めて人道で海底を歩いたら、県境の線が書いてあったから、その場でしばらく感慨に浸っていた。大分県と熊本県の両県にまたがり、ホテル内に県境のある杖立観光ホテル ひぜんやには1度泊まってみたいが、九州に住んでいた時代は、カミさんの希望で、その先の黒川温泉まで行った。

 それでも普通は「県境」。ここは「都県境」だ。田舎もんとしては初めて聞いたし、特別の響きがある。だが、そこは片側1車線の道路が、都と県を隔てていた。幅たった10メートル足らず。村や町や市ならともかく、都に関わる境なのに。でも、それはそれで、面白い。通るたびに電信柱の住居表示を確認する。当然だが、右は埼玉、左は東京。同じバス停でも「所属」は違うのか、向かいの家なのに市外通話なんだなあ、地価はどのくらい違うのかなあ。通るたびに、そんなことばかり考えている。

 昨年の7月には、都県境に天然温泉のスーパー銭湯ができた。温泉好きにはたまらない。すぐ近くにはコジマもある。家電好きにはたまらない。駐車場つきの松屋もあるから、牛めし好きにはたまらない。さっき言ったカーショップもGSもあるから、往復11キロ、30分のドライブを楽しんでいる。

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2005年1月18日 (火)

故郷・萩のうどんと東京で再会できる

 ちゃんぽんを食べて先ほど家に帰り、ひとっ風呂浴びて、今これを書いている。博多ラーメンを食べるはずだったけど、注文の時には「ちゃんぽん」と言っていた。14日、金曜日の恨みか。家でもつ鍋を食べたことは記したが、小学生のガキ3人が締めのちゃんぽんに「おいしい、おいしい」と群がっていしまい、3人前の麺はあっという間に、なくなった。わたしの口に入ったのは、茹で加減を見た1筋だけ。そのうっ憤を、少しは解消できたかも。

 行った店は、会社近くの築地市場の向かいにある、ふくちゃん。ずいぶん、久しぶりに行った。福岡から東京に転勤になったのは、11年前のこと。当時は、とんこつラーメンを食べようと思えば、ここに来るしかなかった。上司と新橋あたりまで足を伸ばして一杯やり、締めに「とんこつラーメンが食べたい」などと言うから、タクシーを走らせたものだ。それが今や、数年前のとんこつブームのおかげで、一蘭も一風堂もある。唐そばもできた。あの頃からすれば、夢のような世界だ。ちゃんぽんなら、銀座にリンガーハットもあるから、世の中便利になったものだ。部下の1人は、唐そばの話になると、いくらでも喋る。それも当然、そいつは北九州・黒崎の出身。日常生活の中に、唐そばのラーメンは入り込んでいたという。

 そう、故郷の味は、体に染み付いている。それがない世界にくると、とたんに恋しくなったりするもの。山口・萩出身のわたしにとっては、それは、「どんどん」のうどん。日曜の昼などは、店から人があふれるほどの人気店だった。高校の帰りには、学割うどんをよく食べた。たぬきうどんに、少し肉が入って確か180円だった。高校生の小遣いでも、食べることができた。

 最近、ネットサーフィンをしていると、その「どんどん」が東京に進出したという。何だよ、早く言ってくれよ、とパソコンの前で叫んでいた。家族が住んでいた福岡・宗像市に、6年ほど前になるだろうか、店ができた。縁もゆかりもなかった宗像が一気に魅力ある街になり、単身赴任の帰省の際には必ず行ったのだが、今はなくなったようだ。残念だなあ。福岡の人に、山口のうどんは合わなかったのかなあ、と思ったけど、東京にできたのなら、そんなことは、どうでもいい。今は家族で東京にいるのだから。早く行きたいと、気がせいている。

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2004年12月30日 (木)

都内有数の豪雪地帯

 「まだ起きんでいいと?」。珍しく小3の三男が寝室にやってきた。時計を見ればまだ午後2時前。会社には4時半までに入ればいいから、3時までは寝れるのにと、不機嫌に「なんで?」と聞くと「だって雪が積もってるから、早めに出た方がいいと思って」。「えっ、積もっとるんか」「うん、お兄ちゃんと雪だるま作った」。昨日が東京の初雪だった。

 窓を開けると、なかなかの雪景色だ。わたしの住んでいる練馬区は、東京23区で有数の豪雪地帯と言われて(勝手に言って)いる。雪が降り始めた深夜などに、帰宅すると面白い。中央区の会社を出た頃には、ただ舞っているだけの雪が、首都高速5号線の護国寺ランプのあたりからうっすらと積もり始め、下り坂の北池袋ランプでは、追突されたらと思うと、信号待ちが恐い。豊島区、板橋区と通過するうちに深くなっていき、練馬区との境である小竹向原駅を越えると一面、真っ白になっている。中央区では滑り止めの必要もないから普通タイヤで走っていたタクシーは、小道できれいに1回転した。さすがに背筋が寒くなった。

 普段なら最寄、とはいっても早足で15分かかる駅まで25分かかった。世間では前日が仕事納めだったから、ガラガラの地下鉄有楽町線を降り、出口から顔をだすと「やっぱり、そうだ」。雪なんてまったくなく、降っていたのは雨だった。

 今、家に帰ってきた。練馬の道はアイスバーン状態で、バリバリいっていた。

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