2017年2月14日 (火)

恵美須ケ浜造船所跡

 食道がんの治療を行う前には、

山口の萩に1年半ぶりに里帰りをしていた。

前回は、ちょうど世界遺産に登録された直後。

「大板山たたら製鉄遺跡」から

造船所に向かいます、と記したっきり

更新を止めてしまった。

来ていただいた方、すみません。

1年半遅れの「世界遺産」完結編です。

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「花燃ゆ大河ドラマ館」は閉館していたが、

新山口駅からの直行バス「スーパーはぎ号」は

運行を続けていた。

平日の昼間に、10人ほどの乗客がいるから

「えっ、こんなに」と驚いた。


Busfront1


中国自動車道と、途中まで完成している

小郡萩道路を通って、ノンストップ1時間。

「萩・明倫センター」からは

萩循環まぁーるバスの東回り「松陰先生」に乗り

市内をぐるぐる回りながら30分、

「萩しーまーと」が「恵美須ケ浜造船所跡」に

最も近い。


とはいえ、まだけっこう歩くので、

土日は「萩しーまーと」から、

シャトルバスが出ていると、

バス停に案内があった。

実は今回、世界遺産の旅はしていない。

ここに来たのは、すぐ近くにお墓があるから。

ここからの写真は、前回訪問時の写真です。

ご了承ください。

Sekihi

こんなところに造船所があったとは

郷土史でも習ったことはなかった。

高校まで暮らしていたのに知りませんでした。


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日本海の眺めがきれい。


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ほど近い場所に「反射炉」。

こちらは知ってました。


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宝くじも買えますし

コンビニもあります。


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すぐ近くを山陰本線が通ってます。


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反射炉から恵美須ケ浜造船所跡を望む。


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元の場所に戻って、

旧明倫小学校は1935年の建設。

父も、わたしも学びました。

70年代は2000人近い児童が通ってました。

当時から古かった、という印象。

それでも築40年程度だったのですね。

廊下の床が、よく抜けたものでした。


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当時の運動場は今、駐車場に。

どこか寂しい。

向こうに見えるのが2014年に完成した

新校舎ですね。

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2015年7月14日 (火)

大板山たたら製鉄遺跡

おおいたやまたたらせいてついせき。

読み方も知りませんでした。

高校3年まで萩にいたけど、聞いたことなかった。

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電話の工事中です。

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喜びも控えめ「世界遺産」


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萩の中心部から車で40分。

津和野方面に車を走らせます。

30分弱走ったでしょうか。信号を左に曲がります。

←大板山たたら製鉄遺跡

の看板を見過ごしてしまいました。

ホント、萩の観光地はアピール下手なんですよね。

世界遺産への入り口に、大きい看板もない。

「道の駅ハピネスふくえ」

の手前の信号です。ここには垂れ幕もありましたけど
ここまで行ったら行きすぎです。

んで、橋を渡って突き当ったら

横断幕がありました。

いかにも手作り感が満載。

ここを右ですね。

ここからは、「あと5キロ」とか「あと3.5キロ」とか

これもまた手作りの看板を頼りに車を走らせます。

ダムの先に、誘導員がいて、その先が目指す世界遺産です。

駐車場もありました。

人がいます。車も止まってます。世界遺産おそるべしです。

こんな所とは言っては失礼ですが
知らなかった。

高校時代は隣村の福栄村に行く用事がなかったので
行ったこともない。

ホント、何もないところですよ。

なのに人がいる。

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登録されたのが8日のこと。

それとは関係なしに帰省の計画を立てて
この日は7月10日でした。

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いやあ、すごいな。

世界遺産にでもならなければ
きっと人はいませんよね。

車以外の交通手段では行けないし。

駐車場は車5~6台とバス2台の収容。
平日でこれだから
土日は大丈夫なんでしょうか。

最初の週末前に見学できてラッキーでした。

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ここでできた鉄を使って造った造船所に、ここから向かいます。

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2015年7月11日 (土)

世界遺産への旅その2

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わたしのブログって、話題をふったにもかかわらず
以降ふれないなんて、そんなのばっかりです。

でも、今回は世界遺産。責任を持って記しましょう。

萩市には5つの世界遺産の資産があります。
「萩城下町」と「松下村塾」は、
説明の必要もないほど、どなたでもご存知でしょう。

すっごいーよなあ、萩城下町が世界遺産なんだ。
ということは、萩城下町に実家のある
わが家も世界遺産か。

理想ですよ
「まちじゅう博物館」が
「まちじゅう世界遺産」

萩=世界遺産です。

萩の街に入るだけでお金取れませんか。
昔っから、そうできないかと思ってました。

今だからそうしましょう。何たって世界遺産なんだから。
だいたい、観光商売が下手なんですよ。萩って。

呼び込みなんて、どこにもいないし。
不快な思いをされた方は、多分いないと思います。

まあ、いいや。世界遺産になったんだから。

「萩反射炉」
は知ってても

「大板山たたら製鉄遺跡」

「恵美須ケ浜造船所跡」は
萩市民だった私でも知らない…っていうか聞いたことない。

そういや、一昨年に大阪であった高校の同窓会に初めて出席して
世界遺産の候補って初めて、聞いた。
でも「世界遺産になっても、何の整備もできていない状況です」
なんて言ってた。

だから萩市民として行ってきました。

萩市の中心にあるわが家から、昨日から引き続き借りているレンタカーで40分ほどですか。
今は萩市ですけど、旧福栄村なんですよね。
初めてきたかな。道が細くって、カーナビも途中からわけわかんなくなりました。

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携帯も入らない場所ですから、どうやら急ピッチで固定電話の敷設工事をしているみたい。トイレにも入りましたが、真新しくていいですね。

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んで、話は途中だけど続きは、またするとして
昨日のハムは良かった。

こだまのなかで、音を消してJCOMオンデマンドを見てて
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くるくる回るGAORAの画面に想像を走らせていた。スクイズか、すごいね。

家に帰って、確認しました。素晴らしい勝ち方です。

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2015年7月10日 (金)

世界遺産への旅その1

世界遺産に登録された地を目指して。
そんな旅に、カミさんと2人、1泊2日で行ってみました。

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ここは、昔から知っている。

でも

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も知らなければ


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も知らない。


結果的にタイミングよく、世界遺産を回る旅となったが、
実は、ただの里帰り。わたしの地元の山口へ行こうと
福岡出身のカミさんが提案した。


新大阪9時35分発こだま737号。

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今回は安さに目がくらんだ「こだま」の旅である。
新山口まで3時間37分。
最速の、のぞみなら1時間54分だ。速い…っていうか速すぎる。

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こだまの指定席2×2シートは快適だ。

以前「東海道」のこだまに乗って
「こだまは、いかんバイ」

と言ってたカミさんも、
すんなりと心地よく
その体を収めることができた。

カミさんの提案とはいえ
カミさんが不機嫌になると困るのだ。
その第一関門が「こだま」だった。
シートはOK。

しかし、まあよく停まる。
こだまだから当たり前だけど、
新神戸0分の後は西明石5分、姫路4分、相生3分…
全て後続ののぞみに抜かれるのだろう。
のぞみも止まる岡山を1分で乗り越えても新倉敷3分
そして福山。

ここで、わたしは策を講じていた。
福山到着11時16分、発車26分。
10分以上止まるのはここと新岩国だけ。
でも新岩国に何もないことは山口県人のわたしが知っている。
腹をすかせたカミさんは、不機嫌きわまりない。
だから、ここが長旅の分岐点なのだ。

「さあ、お弁当買いに行こう」
停車まくりなのは伝えていた。

でも不安のようだ。初めて列車から降りる。

10分も止まるんですよ。

わたしが鉄道を乗り歩いていた時代、
列車から降りる基準は4分だった。

4分あれば、入場券を買って駅舎の写真が撮れる! 
乗り遅れるはずがない。

でもカミさんには経験がない。
エスカレーターを「ずいぶん長いね。で、遅いね」と言い
降りたら一目散に売店に向かい
大好きな「幕の内」と「ビール」を買っていた。

いつも会計は必ずわたしなのに…
待つこともできないほど焦っていたみたい。

わたしは、ゆったり
「あなご弁当」と「お茶」買った。

その後の新岩国では

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錦帯橋の「壁画」を見ながら発車を待ち

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のぞみが追い抜いてゆく

そんな中

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喫煙コーナーに人の姿。

なるほどね。

700系こだまには、喫煙ルームなんてないから。
駅のホームが喫煙時間ですね。よくできてます。
当然ながらわたしも一服しました。

こんな光景をよそに

ビールを飲んだカミさんはスヤスヤ。

食って寝て
起きて食って
飲んで寝て

快適環境の中で
本能のままに生きるカミさんが、うらやましい。

13時12分
新山口到着。

ビールを飲んで気持ちいいご機嫌なカミさんと
2時間前にビールを一口だけ飲んだ義務感のわたしは
レンタカーを借ります。

ここからはプライベート。
山口に行って、いとこの子ども
(って、なんていうんだろ)
赤ん坊って、まあ、かわいい

赤ちゃんなんて抱いたの20年ぶり!

って、カミさん第一目標の対面を果たし

わたしの「人生の恩人」
益田の伯父に会って、

夕方、萩に帰りました。

さあ、明日は世界遺産をめぐります。

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2006年6月26日 (月)

観劇! 母に捧げるラストバラード

最近の休日は九州色に染まる。それも今回は「真っ」九州だ。明治座6月公演「母に捧げるラストバラード」を、カミさんと2人、観劇してきた。

思えば、山口出身のわたしだが、海援隊に陶酔して以来、九州は福岡の「軍門に下る」人生は決まっていたのかもしれない。高3の昭和57年冬、大学受験直前集中合宿をしていた福岡の地で、海援隊の解散コンサートが行われていた。寮の門限も打ち破って、福岡サンパレスに駆けつけた。チケットはなかった。でも、行かずにはいられなかった。「券、あるよ」。初めて「ダフ屋」の存在を知った。しかし提示された金はない。でも観たい。今にして思えば、大胆な行動だったろうが、値切った。「そんなお金はありません」「いくらなら、あるんか」。それでも定価1500円の立見席に3000円(だったと思う)を払った。大変な冒険だった。

東京にある大学から、東京に本社のある会社に入ったはずなのに、配属は福岡支店。そこで今のカミさんと知り合った。それから17年。真ん中近くで人生はいろいろ変わり、福岡に本社のある会社に転職したが、住まいはなぜか福岡から東京へ。しかし、連れ合いの話す言葉は変わらない。博多弁など、まったく知らなかったわたしが、その真っ只中にいる。幼少期を福岡で過ごしたわが子3人も、みんな「バイリンガル」だ。

しかし、今日の明治座の舞台。わたしは分かったし、カミさんと2人、博多弁で感想を伝え合ってはいたが、東京の人に分かったのかな。「やおーいかん」なんて言葉が、普通に登場する演劇だったから。「井尻とか諸岡」と言われても、どこか分かんないだろう。でも、楽しかった。おまけに取れた席は、2列目かつ花道の真横。クライマックスでは、わたしの真横で物語が展開していた。息づかいまでが聞こえてくる、こんな臨場感のある世界は、初めてだ。これなら、A席1万2000円は高くない、と書きたいが、2人で2万4000円は、やはり高い。でも、まあ、4年ぶり2回目だから、「家計の見直し」中でも、許してもらおう。「母に捧げるラストバラード」は、明日が千秋楽。

このブログ「俺の人生真ん中あたり」を始めたのも、陶酔する海援隊との関わりを記していこうとしたから。だから、タイトルも拝借した。でも、中学受験日記とか、ファイターズ評論記になってしまったなあ。明治座で買ってきた、海援隊のCD「漂白浪漫」と「心をこめて 回天篇」を聴きながら、初心を思い出した。この2作だけは、LPを持っていなかった。

公演が終わり、明治座からほど近い、人形町の「しばらく」で博多ラーメンをすすり、アメ横に寄って、今日の夕食は、もつ鍋にした。カミさんの機嫌はよく、子どもたちも大喜びだった。でも、たまに「郷土意識」に触れるから、有り難味があるんだろう。すっかり東京に馴染んだカミさんも子どもも、「福岡に転勤になったら、ひとりで帰りーよ」と口をそろえた。

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2006年6月17日 (土)

代々木の先に九州が

 また休みを九州色に染めてしまった。延期になった中2長男の運動会を代々木公園で観戦した後、北九州は黒崎が発祥のラーメン「唐そば」に行こうと、明治通りに車を走らせようとした。わたしは、このラーメンが大のお気に入り。とんこつに鶏ガラや野菜の絡んだスープは、本当にうまい。

 と、カミさん。「九州じゃんがら、って書いとうけど、あれ、なんね?」と聞く。そうか、こっちでもいいか。ちょうど、パーキングメーターも空いていたので路線変更。ただ気持ちは唐そばだったので、わたしは、とんこつ100%ではない「じゃんがら」を、カミさんは、とんこつ100%の「ぽんしゃん」を注文した。

 あっという間に出てきた「じゃんがら」を一口。「うん…」。特長のないスープで物足りない。ところが、カミさん「うん!」。「ちょっと、くれよ」と手をのばしてすすると「あー、絶対こっちやった」九州の味は。でも、けっこう濃い味だから、食べられない人用に「じゃんがら」が、あるんだろう。カミさんは上機嫌で「ぽんしゃん」のスープを飲み干していた。しかし、九州の味でここまで機嫌がよくなるんなら、毎週そうしようか。次は、リンガーハットが照準だ。

 ところで、長男の通う渋渋の運動会。昨年も驚いたが、今年もやっぱり、ビックリした。自分が出ない競技の間に、メールはしてるわ、菓子は食べてるわ。記念撮影をしてるグループもいるから先生は注意しないのかな、と思ったら、先生がその輪の中にいた。カミさんも「入場門とか、退場門やら、ないっちゃろうか」。統率なんてまったく取れてない。でも、ある意味うらやましい。軍隊調の行進を強要されたこともあり、さらに運動オンチのわたしは、運動会が大っ嫌いだった。

 そうなのだ。運動会なんて、誰に見せるものでもないのだ。やってる人間が楽しいのが一番だ。あっ、ここでは、運動会じゃなくて、スポーツフェスティバルだった。

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2006年2月 6日 (月)

「なん、しようと」

 「あいつら、まだ勉強が足らんね。ガキと思うて、甘えとる」。カミさんが、ぶつぶつ言いながら部屋に入ってきた。家の前の路地では、小4の三男が、友達と戯れている。「なん、しようと、って聞いたんよ。何回聞いても、ポカンとして、しまいには、きたない物でも見るような顔をしやがって。バカガキどもがっ」。

 福岡から東京にきて、もうすぐ5年。カミさんは、地域のサッカーチームの会長になるほど、なじんでいる。でも、言葉はなじめないらしく、サッカーチームでも普通に博多弁で接し、最初は戸惑っていた子どもたちも、さすがに慣れてきた。カミさん流に言えば「よう勉強した」となるわけだが、今回の子どもたちは初体験だったよう。わが三男に「なん、しようと、って、どういう意味」と聞き、三男は「なに、してるの、ってことよ」と丁寧に説明したとか。さすが、バイリンガルだ?

 17年前も、そうだった。福岡から2人、東京へ「婚前旅行」。山手線の中で、大きな声で聞いてきた。どうして、九州の女は、総じて声がデカイのか。「ねっ、ねえ、どこ行くと?」。小声で「いけぶくろ…」。さらに大きな声で「そうね、池袋ね。ぶくろに行くっちゃね!」。「あのう、もう少し小さい声で、それに博多弁というのも…」「なんね、博多弁の、どこが悪いとね。アタシは、この言葉で、ずーっと育ってきたと! その言葉ばしゃべらんで、なんば、しゃべれ、っていうんね」。わたしは、18歳で上京して山口弁を笑われ、方言が出ないように過ごしてきたのに、それが当然だと思ってたのに、すごいカルチャーショック。開き直りというか、潔さに感服すらした。

 今、テレビでは「なまり亭」が人気を呼び、方言が脚光を浴びている。いいことだ。やっぱり、いろんな地方の文化は大切にしないと。山口人が福岡人に飲み込まれてしまったのは、じくじたる思いだけど…

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2005年12月 9日 (金)

初体験! スイートルームと介助犬

 いろんなことを経験させてもらえた、東京から福岡へ1泊2日の出張だった。

 眠い目をこすって羽田空港に到着したのは、12月8日午前8時45分。9時20分の飛行機に乗るためだ。自動チェックイン機に航空券を入れても手続きできない。「なんでだよ」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「出発が遅れまして10時の見込みです」「えーっ」。その程度の遅れは何てことないが、それなら、そうと言ってくれよ。あと40分寝られたじゃないか。1時半まで仕事をして、羽田空港近くのホテルでベッドに入ったのは、午前4時。4時間も寝てないし、「寝過ごすわけにはいかない」という重圧で熟睡できてないのに。と、航空券と一緒に500円の喫茶券をくれた。なるほど、だから自動チェックインできなかったのか。寒くって、温かいコーヒーが飲みたかったので、ちょうど良かった。


 福岡の宿泊先は、グランド・ハイアット・福岡。こんな高級ホテル、初めてだ。好き好んで選んだわけじゃなく、ここしか空室がないと言われたから。往復の航空券と宿泊がセットになった、いわゆる「出張パック」。ヘタすりゃ、片道の正規運賃より安く往復できて、ホテルもついてくる。どんな料金システムになってるのか、よく分からないが、使わない手はない。9000円のオプション代金は痛かったが、ここしかないんじゃ致し方ない。

 grandhyattfukuokaチェックインしたのは午前2時ぐらいだったか。「スイート…」とか言われたけど、酔っ払ってたので適当に返事をして部屋に入ると、スイートルームじゃないか。何かの間違いじゃないかと、慌ててフロントに引き返して確認すると「あいにく満室でして、狭い部屋がご用意できなくて、申し訳ありません」だって。こんなおわびも珍しい。興奮しながら中洲の街に出て、何時にどうやって帰ったか覚えていない。目が覚めた時には、ベッドルームの床に寝てた。せっかくのスイートルームが、もったいない…。よくよく歩いてみると、5人で住んでいるわが家よりも、広い感じがした。

 二日酔い、というか、さっきまで飲んでたから、酔っ払った状態で福岡空港へ。と、また、自動チェックインできない。「また遅れるのか」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「お席の確認をしてまいります」。?? クラスJを取ったのに、ないのかな、と不安がよぎった。これも好き好んでクラスJにしたわけじゃない。この便の空席が1席しかなく、それがクラスJと言われたから。2000円のオプション代金は痛かったが仕方ない。それに、体がキツいので、クラスJに座りたかった。

 「クラスJは満席でして」(やっぱりか…)「お隣のお客様が、かいじょけんをお連れで」「はっ?」「介助犬です。ご了承いただけますか」「ええ、何の問題もなく」。席に行くと、いたいた。大きい犬が、ベタっと座っている。盲導犬なら知っていたが、介助犬は初めてだ。目がすごくかわいらしいし、何よりおとなしい。ワンもキャンも、一言も発さない。さすがに離陸の時には不安そうに起き上がったが、たしなめられると、頭を下げた。立派だ。着陸は、もっと不安だったのか、わたしの足に体をすり寄せてきた。子どもが大きくなって、寄り付かなくなった今、介助犬の仕草が、何ともいとおしかった。

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2005年10月12日 (水)

富士山に初雪…もう1日早ければ

 「えーっ」。昨日の朝日新聞夕刊を広げて、思わず嘆声を発してしまった。

 「富士山に初冠雪」。記事こそ短いが、写真は第2社会面のメーンを飾っている。雲の合間から全容を明らかにし、なお頭には雪をかぶった富士山が、そこにはあった。写真の下の方が五合目だよな。頂上まで、遮るものが何もない。昨日まで、その場所にいたのに。そんな姿、見せてくれなかったじゃないか。富士急ハイランドにいても、紅葉台に行っても、山中湖に泊まっても、どこからも見えなかったじゃないか。富士五湖を全部回ったけど、ただの五湖だった。

 綾小路きみまろじゃないけど、富士山好きの私。3年前に初めて行って、近くにいる人がうらやましくなった。「いいなあ、毎日、富士山を見て暮らせるんだ」。昨日まで、山口・萩から両親が、孫の運動会を見たいとかで上京していた。「どっか行きたいとこ、ある?」と聞くと「富士山が見たい」。わが意を得たりである。山中湖の宿を予約し、準備万端で出かけて行った。ところがだ。9日は終日、雲の中。ご来光をと思った10日の朝は、5時半に起きたのに雨が、それも、どしゃどしゃ降ってきやがった。すぐ近くにいるはずなのに、姿を見せてくれないほど、もどかしいことはない。で、その翌日に、初冠雪かよ。雪の白さと、紅葉しかかった山の色がコントラストを描いて、きれいじゃないか。ふざけんな。もう1日はやく、見せてくれよ。

 gogoume
 救いは、五合目に上がったら晴れ間がのぞき、富士山の一部分でも見ることができたこと。申し訳なさそうな顔をしている私を気遣ったのか両親「よかった」を連発していたが、五合目まで行って、雲しか見えないんじゃ、金返せだ。それでも、てっぺんは姿を隠していた。

 東京にくる新幹線からも、富士山は見えなかったと言っていたが、帰りの昨日は、せめて車中からでも見てもらっていればと思う。

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2005年8月 3日 (水)

関西人が証明した萩のうどんの味

 今さらながら、10日ぶりの続編です。呼び出されたはずの上司が、もう午前5時も過ぎていただろうに「次は、ウチへ行くぞー」と雄叫びを上げた。この上司、大阪から単身赴任中。タクシーは人形町に向かった。

 見覚えのある景色。東京エアシティターミナルが近いじゃないか。このブログで7月2日に書いた「東京で萩のうどんと、うれしい再会」をした、「すなだ どんどん」のある場所だ。「オレ、このあたりまで、うどんを食いにくるんですよ」「そうかいな。オレも、よう行くうどん屋があるで」。タクシーが赤い「さぬきうどん」の看板の前を通り過ぎた。「ここですよ」「なんや、オレが行くのも、ここや」「2回も来たんですよ」「オレは、何十回って行ってるで」。

 味にうるさい大阪人が足しげく通う店。「うまいですか」と聞くと「うまい、うまいで」。確かに、まずい店に、何十回とは通わないだろう。ここから、説明を始めた。「ここは、さぬきうどんとは書いてあっても、萩のうどん屋でですね」「そうかいな」「わたしが小学生の頃できて、高校生の頃には、よく学校帰りに…」「…」。酔っ払っているせいか、これ以上は反応が、なかった。

 しかし、わたしが自慢してもしようがないんだけど、本場の関西人がうなるほどの、萩のうどん。その味が証明されたようで、うれしかった。

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