« バリウムじゃ分からない食道がんになった | トップページ | 退院が延びた »

2017年2月 7日 (火)

「中学受験への道」から12年

 朝から健康診断に行って、胃腸専門医で「食道がんの疑い」と言われ、家にたどり着いたのはもう夕方だった。大学5年になる長男がいたので、思わず「バリウムじゃ分からんって言われたバイ。意味ないじゃん」などと八つ当たり気味にボヤいてみると「そうだよ。意味ないよ」。医学生は冷たく言い放った。


 そう、長男は医学部に通っているのです。このブログの「中学受験への道」でドキュメンタリータッチにお伝えしてた、あの子がです。


 わたしの東京から大阪への転勤で、せっかく入った第一志望の私立中高一貫校を高1限りで転校。大阪でトップクラスの国立大付属高に「転勤枠」で転入することができました。出願者1合格者1ではありましたが、本人がずっと勉強し続けたからだろうなあ。自分の高校時代じゃ、入った学校より偏差値の高い学校に転校するなんて考えられません。


 門戸を開いてくれていた高校にも感謝です。ホント、高校の転校は難しい。聞くだけなら電話代だけと、灘高にも問い合わせましたが、NOでした。本人はストレスだったろうなあ。でも、より高いレベルの生徒さんと切磋琢磨できたおかげで、大阪に移ってからいつしか志望が医学部へと変化し、一浪はしたものの、本当に医学生になれたのだと、わたしは勝手に思っています。


 でも、カミさんには納得がいかない。「アンタ、東京におる時は京大志望やったやないね。工学部やったよね」。「ええ、まあ」…「それが、大阪に来た途端に、何でまた関東の大学に行きたいなんて言い出すん? ただ単に家から出たかっただけやないんね」。長男は黙して語らなかった。


 しかしなあ、あわよくば国立大に入って欲しかった。現役時代はセンター試験失敗で撃沈。浪人のセンターは、ほとんど満点で突破したのに、2次でなあ…。その間に「受けるだけ」と言い「受かっても行かせられない」「受かるわけないから」と記念受験した私大に受かってしまい、すっかりその気。国立の後期に受かったのなんて忘れたかのようだったもんなあ。


 思えば中学受験のチャレンジ校が立教新座だった。受かってしまった「立教ブランド」を捨てるなんて、武蔵大卒の私にはもったいなく感じていたが、大学受験では、それ以上のブランドを手に入れてしまった。しかし、あまりに高いブランド料だ…それでも医学部では安いのか…でもオレ医者じゃないから借りなきゃ払えないし…まあ今さら…


 それで、家から出たかったであろう東京で1人暮らしをする長男のもとに、家族が舞い戻ることになるなんて。「みんなで東京に行くから、アパート引き払う準備しといてな」「ええっ!? ああ、そうなるのか…」。昨年3月の声は落胆を隠せなかった。

|

« バリウムじゃ分からない食道がんになった | トップページ | 退院が延びた »

コメント

悲劇の主人公が長編闘病記を、なんて考えてましたが、とてもネタがそこまで持ちません。書きかけのことを完結させたり、事のてん末を皆さまにお伝えしたりしようと思っています

投稿: 人生真ん中 | 2017年2月 7日 (火) 13:57

息子さんエライ...
ちょっと親ばかが入っている記事も良いなあ。
でも差、食道ガンって...どうなったの?
闘病記が始まるのか...大変だなあ。

投稿: ナツパパ | 2017年2月 7日 (火) 09:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/66616/64861924

この記事へのトラックバック一覧です: 「中学受験への道」から12年:

« バリウムじゃ分からない食道がんになった | トップページ | 退院が延びた »