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2017年2月21日 (火)

がん完治のための禁酒令

 食道の全摘出可能性5%…

けっこう、ドキドキして行ったんですよ。


 でもね、診察室のイスに座らないうちに

「大丈夫」って…


 拍子抜けするやら、ホッとするやら

何か、力が抜けちゃいましたね。


 
 内視鏡治療で取った食道がんの、

病理検査の結果は95%の方でした。

 「再発なし。転移のリスク0」。


 内視鏡治療を担当してくれた、

ベテラン医師から太鼓判を押されたので、

あとは、いつから酒を飲んでいいか聞こうとすると、

「酒はやめた方がいいね」。


 「機会を見てとかじゃなく、全てですか」。

恐る恐る遠慮がちに聞くと、

「そう、飲むか飲まないかですから。

禁酒した方がいい。飲むと赤くなるんでしょ。

元々、弱いんですよ。

アセトアルデヒドが分解できない」。


 さらに、食道の内視鏡写真を見ながら、

説明が続く。

 「食道がまだらなんです。

がんの『卵』が、そこらじゅうに、あるんです」。


 
 気持ち悪く、心に刺さる例えである。

「卵」が孵化すると…


 「2度、3度(がんが)できる人はいますよ。

もう、次は今回の(取った場所)が邪魔して、

(内視鏡じゃ)取れない」。


そして決定的な一言。

 「言葉の拷問みたいですけど…

祝杯は挙げられないんです」。


 「節度のある飲み」なんて、

できてりゃ、がんになってないだろうし、

担当医は全てお見通しなのだ。

 酒が飲めない…

いたたまれなくなって、

大学時代を過ごした街をさまよっていた。


 30年たった今も、

アパートも、1階の酒屋も、

そのままだった。
 

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2017年2月19日 (日)

食道がん「5%」の恐怖

 がんの進行度別10年生存率なる記事が、

先日の朝日新聞に載っていた。

 見出しには、早期の胃・大腸がん9割超、

とある。


 食道も、胃や大腸と同じかと思いきや

そうでもないんですね。

 表を見ると、早期の1期の数字は

胃93.9%、大腸95.3%に比べ

食道は62.8%である。


 ただ、わたしの場合は、1期の手前の0期。

だから、内視鏡治療が可能だった。

 この段階だと、ほぼ100%の確率で、

完治が可能らしい。


 でも「5%ぐらいは1期のことも」

と、医師から言われている。

 実際に取って見ないと、

正確な進行度は分からないらしいのだ。


 その「病理検査」が出るのは、20日。

 「ないよ。でも…うーん…

100%ないとは言い切れんしね」。

長男の言葉も歯切れが悪い。


 0期では、内視鏡治療で済んだものが

1期になると一気に外科的な手術となり、

「食道を取ることになるでしょう」

と医師からは言われている。

 そりゃ、生存率も下がるわけだ。


 「そうなれば、うち(の大学病院)に、

おいでよ。何とかしてあげる」。

 せっかくのお言葉ですが、

行かないに越したことはないかなあ。

 

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2017年2月18日 (土)

「げっぷ」が「がん」の原因か

 わたしのような体質の人間こそ、

食道がんにかかりやすかった。

思えば、あの一言。

精密検査を指示された会社の健康診断で,

「飲むとすぐ赤くなるタイプですか」。

「はい」。

医師は納得するように、うなずいた。

きっと、その時点で、

食道がんと分かっていたのであろう。


 飲めば顔が赤くなる=酒に弱い、ということ。

しかし最近は、赤くならないことも増えてきたが、

これはただ酒に慣れただけ。

もともとの「酒に弱い」体質は変わってないから、

食道がんになるリスクが減少したわけではない、らしい。

ちなみに、どのくらい飲んでるか、というと、

350㍉㍑の缶ビール1本に、

220㍉㍑の焼酎を1本ですから、

ウーロンハイ4杯ぐらいですか。

これが家での毎日。

飲みに行ったりすると、生ビール2杯の、

ウーロンハイは10杯くらいにはなりますね。


 さらにわたしは、飲むとタバコが進む。

3件目は決まって夜明けまでカラオケボックスだから、

もう喉はボロボロだ。

歌が食道がんのリスクになるかどうかは知らないが、

アルコールとタバコは、どんなサイトを見ても、

原因として明記してある。

なのにわたしは、食道がんと聞いた瞬間に、

「原因は何ですか」と医師に尋ねるほどの知識のなさ。

今まで食道がんのサイトなんて見たことなかったもんなあ、

言ってほしかったなあ、

「こんな生活を続けると、食道がんになるよ」って。

似たようなことは言われてたのかなあ。

どうせ聞く耳を持ってなかったんだろうなあ。


 そしてもう1つ。

わたしは非常に、げっぷが多いのだ。

昔、病院で言われたことがあったなあ。

「げっぷで上がってくる胃酸は非常に強いものなので、

できるだけ我慢してください。

逆流性食道炎の原因になりますから」。

食道炎どころか、食道がんになった。


酒、タバコ、刺激物、

そして、げっぷ。

全ては、その場限りの「快楽」か。


ほんの少しの我慢が、

健康の秘訣ということでしょうか。


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2017年2月16日 (木)

がんになっても禁煙は翌日

 17日ぶりの職場復帰。ちょっと休み過ぎちゃったかなあ。有給を使うなんて初めてだし、入社25周年の特別休暇まで使った。「そんな大事な休みをこんなことに…もったいない」。カミさんは嘆いていたが、年度内に使わなきゃだから。出社したら、まずは息子ほどの若手に、礼を言った。


 「食道がん」精密検査の結果が出る12月27日の前日26日は、会社の忘年会だった。「もう酒が飲めるのは最後かも」。変なテンションで飲みまくった。


 2次会のカラオケが散会となった後も、若手3人を「拉致」し、杯を重ねた…のは覚えていない。後日聞けば、「あした診断、あした診断、そればかり繰り返して、雰囲気が暗くなるから話をそらしても元に戻って、どうだったんですか」と心配顔で訪ねられた。心の弱い上司を持つと大変ですね。店を出た時、外はもう明るかった。


Memo


 病院との約束、13時をはるかに過ぎた時間に目を覚まし、それでもご厚意で受け付けてもらえた時は、逆に日が落ちかけていた。若い女医さんは、あきれることなく怒ることなく、努めて冷静に話してくれた。写真は、その時いただいたメモ書きである。


食道には4つの層があって、最も上の粘膜にとどまっている2センチほどの早期の食道がんであること。この状態であれば胃カメラでの治療が可能なこと。入院期間は1週間程度であること。


 ただ、これから全身の検査を行い、もし下部の層に浸潤していると、そこにはリンパ管があり、さらにその下にはリンパ節があるので転移している可能性がある。その際は内視鏡的治療ではなく外科的手術となり、入院期間も2~3週間となる。などの説明を受けた。


 
 「全身の検査をしますが今、体の不調はありますか」。「はい、二日酔いでまだ何も食べていません」。空元気で答えても何の反応もなく「造影剤を注入しますから体全体がほてってきますので」と言われた。いやー、効きますよ。二日酔いに造影剤。全身がポッカポカ。気持ちよくCT検査を受けた。

「食道がんの原因って何でしょう」「いちがいには言えばせんが、酒とタバコと言われています」。打ちひしがれて病院を出た。ポケットをまさぐればセブンスター10のBOXに残りが2本。これを吸ってから禁煙か…

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2017年2月14日 (火)

恵美須ケ浜造船所跡

 食道がんの治療を行う前には、

山口の萩に1年半ぶりに里帰りをしていた。

前回は、ちょうど世界遺産に登録された直後。

「大板山たたら製鉄遺跡」から

造船所に向かいます、と記したっきり

更新を止めてしまった。

来ていただいた方、すみません。

1年半遅れの「世界遺産」完結編です。

Bus1


「花燃ゆ大河ドラマ館」は閉館していたが、

新山口駅からの直行バス「スーパーはぎ号」は

運行を続けていた。

平日の昼間に、10人ほどの乗客がいるから

「えっ、こんなに」と驚いた。


Busfront1


中国自動車道と、途中まで完成している

小郡萩道路を通って、ノンストップ1時間。

「萩・明倫センター」からは

萩循環まぁーるバスの東回り「松陰先生」に乗り

市内をぐるぐる回りながら30分、

「萩しーまーと」が「恵美須ケ浜造船所跡」に

最も近い。


とはいえ、まだけっこう歩くので、

土日は「萩しーまーと」から、

シャトルバスが出ていると、

バス停に案内があった。

実は今回、世界遺産の旅はしていない。

ここに来たのは、すぐ近くにお墓があるから。

ここからの写真は、前回訪問時の写真です。

ご了承ください。

Sekihi

こんなところに造船所があったとは

郷土史でも習ったことはなかった。

高校まで暮らしていたのに知りませんでした。


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日本海の眺めがきれい。


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ほど近い場所に「反射炉」。

こちらは知ってました。


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宝くじも買えますし

コンビニもあります。


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すぐ近くを山陰本線が通ってます。


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反射炉から恵美須ケ浜造船所跡を望む。


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元の場所に戻って、

旧明倫小学校は1935年の建設。

父も、わたしも学びました。

70年代は2000人近い児童が通ってました。

当時から古かった、という印象。

それでも築40年程度だったのですね。

廊下の床が、よく抜けたものでした。


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当時の運動場は今、駐車場に。

どこか寂しい。

向こうに見えるのが2014年に完成した

新校舎ですね。

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2017年2月13日 (月)

食道がんは浸潤しやすい

 「治療」は苦痛だったし、

発熱や「胸焼け」のせいで退院は延びたけど、

食道がんが早期で発見できて良かった。

もし昨年末も胃カメラを受けずに発見されなかったりとか、

もし発見されても進行したりしていたら、

と思うとゾッとする。


 
 東京勤務の08年までは、毎年人間ドックに入り、

胃カメラも受診していた。

今回「治療」を受けた病院が運営していたクリニックで。

だから、久しぶりでも迷うことなく、

会社の健康診断帰りに、受診したのだった。

 だが、大阪に転勤した09年以降15年までは、

制度が変わったため、健康診断しか受診をしていなかった。

だから、胃カメラは8年ぶりとなったわけ。

 食道がんと診断されて、カミさんが聞いてきた。

「アンタ、自覚症状のようなものがあったん? 

例えば食べ物が喉を通りにくいとか」。

「いや」の返事をかき消すように、

長男が言葉をかぶせてきた。

「あったら、大変なことになっとるよ。

がんが進行しとるけん」。

 12月6日に健康診断を受け、

20日に病院で精密検査を受け、

27日に食道がんと告げられ転移の検査を受けた。

その結果は1月の10日。

前日9日は、会社のハムファンと、

遅ればせながらの「祝勝会」だった。

がんと診断を受ける前に決まってたんだから仕方ない。

飲みました。

 また二日酔いで病院に行きました。

担当の若い女医さんに聞かれました。

「禁酒されてますか」…

「いや…昨日が新年会で…

あのう、全く飲んではいけなかったんでしょうか」。

少し間があり、正面から見つめられ

「禁酒しましょ、お子さんも心配されてますよ」

と言われたら「はい、すみませんでした」

と素直に誤るしかなかった。

 CT検査の結果は異常なし、転移はなかった。

家に帰るとカミさんも長男もいたから報告。

前日の飲酒をあきれられ、とがめられ…。

おまけに、我慢しきれず、

タバコを吸ってしまったことも〝告げ口〟され…。

「タバコはホントにやめなよ」。

同居を再開して以来、がんになる前にも、

長男の口から一番多く発せられたのが、

この言葉じゃないかな。

以来、1カ月以上は吸ってません。


 酒については、意外に寛容だった。

「だって、そこまで患者さんの楽しみを奪ってもね。

何のために生きてるかって思うと」。

 「ちょっと、何か言ってやって」。

収まらないカミさんの言葉に長男、

困ったように口を開き、

「じゃあ、こうしよう。手術まではやめよう。

がんの浸潤に、

アルコールはリスク以外の何ものでもないから」。

なんでも5つ層のある胃に比べ、

食道は1つ少なく4層しかなくて…

なんて説明を、カミさんと2人、ふんふんとうなずき、

「だから、食道がんになったら、浸潤しやすいってこと」。

 身に染みて、よく分かりました。
 

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2017年2月12日 (日)

何を食べればいいのやら

2月9日に退院してから3日目の朝を迎えた。

食事が困るんですよ。

入院中は病院から出されるものを食べてりゃ良かったけど、

自分で何を食べていいのか、食べてはいけないのか、

判断をしなきゃいけないから。

担当医からは食事の注意は受けました。

ことごとく、食道がんに、なりやすい悪い生活をしてたんだなあ、

って思いましたねえ。


 「酒は2週間は禁止」。

これは当然だとしても、

「食道をこするものはダメですからね。串カツとか。

どんなふうに食道を通って行くかを想像すれば、

分かりますよね」。

8年前に大阪に行ってから、

一気に串カツが大好きになった。

家の近くに、なじみの店もできたしねえ。

でも、分かりやすい説明でした。

あの、ただれた食道の写真を見せられては、

うなずくしかありません。

Chuui_4

じゃあ、もう1つの大好物、もつ鍋は、

「こすりはしないけど、脂っこいですから」。

これも、ダメなのか。

さらに「骨のある魚はダメですよ。

骨が引っかかったら大変なことになります」。

アジのたたきも食えないのか。

骨以前に、刺し身は「なまもの」は、お控えください。

とあるから、ダメか。


 おすすめは、うどん、お粥、スープ、豆腐、とあるから、

今日の朝は中華ぞうすいを作ってみた。

丼に入れてテーブルに置いて、

さあ、冷蔵庫からお茶を、

って食卓に戻ると、カミさんに丼は奪われていた。

表面にツバかかかりそうな勢いで、

息を吹きかけている。

「フーフーせなね。油断すると、

すぐグラグラ熱くするっちゃろうが」。


 大好きなラーメンは、ぬるいスープが大嫌い。

鍋でも雑炊でも、カレーでもシチューでも、

みそ汁も沸騰するまで温めてた。

確かに「熱すぎたり冷たすぎる食品はさけてください」

って書いてある。いろんなサイトを見ると、

食道がんの3大原因は「酒」「タバコ」「熱い食べ物」

ということらしい。

全部、好んでいた物ばかりじゃないか。


 猫舌のカミさんが「フーフー」した雑炊は、

冷たく味気なかった。


写真説明 病院からもらった注意書き

には「胃の腫瘍を切除された方へ」

とあったので、昨日、研修から帰ってきた長男

「食道だけじゃなく胃も切除したの?」と聞くから

「いや、参考までにもらった」と言うと

「ああ、なるほど。少ないからね」。


「(食道がんの患者は)少ないのか」と聞くと

「いや、増えてる。胃がんは、いかにも塩分っていう、

昔ながらのみそ汁とかを食べてる人がなってたけど、

今は減ってる。逆に食道がんが増えてる。

大腸がんは、マックの店舗数に比例して増えてる」。

「オレは、ここ20年でマックは

2回ぐらいしか言ったことないバイ」

「なら、大腸がんは大丈夫やね」

とお墨付きはもらったが

「食道がんは、酒、タバコ、

あと、からいものね」。


からいものも好物でねえ。


なる前に言って欲しかったよな。 

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2017年2月11日 (土)

「100点満点」食道がん治療

Camera1_2 食道がんの「手術」と昨日まで書いてきたが、正確に言うと「手術」ではなさそうだ。手術とは、内視鏡では取れない時に行う外科的なものを言うらしい。わたしが受けたのは、あくまで治療なのか。同意書を見ても「内視鏡的粘膜下層剥離術」とある。便宜上、わたしへの説明では、医師も「手術」と言っていたのだろう。手術じゃないと、医療保険の手術給付金は出ないのか、と不安になったが、前日までに確認できなかった。まあ、出なけりゃやめる、ってものでもないから、どっちでもいいか。


 内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)とは、早期の食道がんの下層部を胃カメラを使って、電気で焼きながら文字通り剥がし取る。胃カメラの先から、ウイーンって、メスが飛び出る瞬間を見たかったが、それどころはなかった、っていうか、本当に飛び出してくるものかも知らない。


Camera2_2 長男に聞こうにも、1月の中旬から1カ月ほど、群馬の病院に研修に行ってるから見舞いにも来ない。この肝心な時期に全く。千葉にいる三男が試験が終わって、手術の翌日に実家に帰ってきたって聞いたから、「ヒマなら来てくれてもいいけど(^_^;)」とラインしても「再試が1科目あるから勉強してる」だって。奈良にいる次男は連絡さえしてこないし、カミさんは3日間も顔を見せない。どいつもこいつも、どうなってんだ。


Camera3_2 なんてボヤキはいいとして、手術の翌日、翌々日と、担当医が頻繁に顔を見せてくれ、「治療自体は100点をつけていい。うまくいきました。きれいに取れました。女性ではよくありますが、男性でここまできれいに取れるのは珍しい」と、笑顔笑顔で話してくれました。熱にうなされているのは、「じゅうかくえんを起こしてるから仕方ありません」。

Camera4_2 じゅうかくえん、と検索してみると「縦隔炎」。なになに「内視鏡検査や異物誤嚥(ごえん)による食道の穿孔(せんこう)(孔(あな)があく)、破裂に続いて起こることがほとんどです」これなのかな。「原因が食道がんの場合、予後は極めて不良ですが、ほかの原因の場合ではおおむね治ります」。おいおい予後不良って…そこまで重大なことなら、担当医師が説明してくれるでしょ。なんたって「100点満点」なんだから。

Taiinnohi_2 「痛ければ、痛み止めを(要求して)使ってもらっても構いませんから。眠りやすくもなりますし」。手術当日はほとんど眠りこけ、翌日もほとんど寝てた。3日目になり熱も一気に下がり落ち着いてきたが、眠れなくなるのが心配だから、痛み止めの点滴をお願いした。すると、過去2日間、ほとんど眠りっぱなしだったにもかかわらず、9峙の消灯とともに寝付き、起床の朝6時にバチっと目が覚めた。

 恐るべしですね。


写真説明㊤から4枚が治療日の食道内視鏡写真①右上の色がかわってない部分が、がん ②切除を始め ③切り進めていく ④切り取ったガン細胞。取り残しのないよう多めに切除したと聞いた ⑤内視鏡治療から8日目の画像。ただれているのが切除した部分だが、穴などはなく退院できた

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2017年2月10日 (金)

退院はしたけれど

 退院して8日ぶりに家に帰った。

やっぱり、自分のふとんはよく眠れる。

12時すぎに寝て目を覚ますことなく10時すぎ。

起きるとカミサン「わー、今何時ね。

今日、何曜ね。忘れ取ったー」と言われ、

ペットボトルと缶と燃えないごみを渡された。

いや、昨日まで、がんで入院してたんですけど…

「いいから、はよ行き。間に合わんばい」。

なんだかなあ。

 大阪から東京に7年ぶりに舞い戻って10カ月。

職場環境の変化もあり、ここまで必死に突っ走ってきたが、

思わぬ静かな時間ができたことで、

久しぶりに自分のブログとも向き合えた。

見ると昨年11月に

「今年はハムが勝ったのに更新止まっててすこし寂しい!」

のコメントをいただいていた。

 すみません。もはや、コメントを返す方法さえ忘れていました。

どれほどの方に興味を持っていただけたかかは分かりませんが、

わたしの悪い癖で、書くと言っても書かない、

中途半端…このブログ、

次男にまで怒られるようなことの繰り返しでした。

故郷・萩のことも、世界遺産のこともそう。

そして昨季、あれほどの見事な優勝を遂げたハムのことも。

 あれは夏前のことか。

日本ハムファンという人種が珍しいのか、

東京の野球好きの2年目社員が、

喫煙ルームでやたら話しかけてきた。

この頃は平気でタバコを吸ってましたから。

とはいえセブンスター10を1日10本ほど。

「日本ハム2位いけますねー」とニコニコ顔で言うから、

妙に冷静に「いや、2位じゃなくて、ソフトバンクを見ているから」

と答えたのを思い出す。

その頃は2位ロッテを視界に捉えながら、

首位ソフトバンクははるか先という状況。

部下はポカンとした顔で「ですよねー」。

明らかに半信半疑だった。

 ハムの優勝を見届けるように、

その部下は他部署に異動していったが、

律儀にも、こんなメッセージを残してくれた。


 「日本ハムにも驚かされましたが、

それよりも眼力に驚かされました。笑

「信じる気持ちは大切だなー」。

 一昨年は、たかだか5差を超えたぐらいで、

このブログで限界だの何のとほざいて。

でも、昨季は11.5差を付けられたとはいってもまだ6月。

いけそうな気はしていたんですよね。

敵はあきらめることだと。

 結果的に西武ドームで優勝が決まった9月28日は仕事休み。

カミさんが「行くべきじゃないかな。

せっかく西武沿線におるんやし」と言うから、

朝から池袋の西武ライオンズコーナーを始め金券ショップを足が棒になるほど探したけど、

チケットはなし。

オークションも、ことごとく落札に失敗しました。

あの大谷を筆頭とした気迫を、球場で感じたかったなあ。

まあ仕方ないです。優勝したから、いいでしょ。


 思えば、このブログを開設した2004年の11月は

人間ドックで「入院中」でした。ネタは肛門話。

別に意図したわけじゃないんですが、

ブログを再開した「入院中」の6日も、肛門話を書いてました。

退院はしたけど、会社からは休みをまだもらっています。

この時間を利用して、11年半の間、

ブログに書きかけた「アンサー」を記したいと思います。

7日は長男のことを書きました。三男の野球道も、あったな…。

次男も触れなきゃ怒るか。

小学校は福岡から東京に転校させて、

また東京から大阪転校と、みんな苦労させたから。

 でも欲張りすぎると、またどれも中途半端になっちゃうので。

まずは、そう経験できることじゃない、

今の「食道がん」体験を、

しばらく記すことになると思います。

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2017年2月 9日 (木)

ちょちょっと切るだけじゃなかった

1週間後の胃カメラは、患部を剥ぎ取った後が、
わたしにもモニターでしっかり確認できた。
でも、たった1週間で、ずいぶん修復するんですね。
穴が空いてるなんてこともなかった。
よって、めでたく退院である。
あと30分で出る昼飯を食べて帰りましょ。
 

しかし、ここまで食道がんの手術がきついものだとは思っていなかった。Dsc_0090_2それは、医学部5年の長男が「風邪引いたようなもんだから大丈夫だよ。
内視鏡で、ちょちょっと切るだけ」なんて言うから。


でも、退院が延期になるほどの熱が手術翌日に出て。
当日も痛いの何のって。
とても、ちょちょっと切るだけではなかった。


手術当日に入院。朝8時半に病院に入るはずが10分遅刻した。
わが家は最寄り駅まで徒歩15分かかるのでタクシーを呼んだところ、
空車がいないので行けない、と言われたから。
いないなら仕方ない。
入院荷物をゴロゴロ転がしながら歩いて15分。
さらに電車に15分ほど乗り、ターミナルから徒歩5分ほどの病院へ。


9時に病室に入り、予定の9時半に処置室へ。
いつもの胃カメラと同じように、喉に麻酔されて。
いつもは1回だけのはずが、3回ほど麻酔剤を注入された。
そして、いつもの内視鏡室へ。
「ゆっくりやりますからね。
周りに散ってるやつも取っちゃうから。
これはまだ悪性じゃないから、きょう取れなきゃ、
取れないんでいいんですけどね。
体に負担がかかるから全身麻酔はしません。
頑張ってくださいね」。
さらに腕に麻酔を打たれ治療スタート。


医師の言葉は覚えている。
でも、いつもより多い麻酔のせいなのか、
胃カメラが喉を入る瞬間の記憶もない。
もうろうとした状態から醒めたのは、
あまりの苦痛のせいだった。
「大丈夫ですよー。頑張ってー。
ほーら、もう半分、終わりましたよ」。
「もう? まだ半分なのか…
この苦痛は、まだまだ続くのか」


次に目が覚めたのは、病室のベッドだった。
また痛みで。カミさんでもいれば、
手でも握ってもらおうと思ったが、
見えるのは緑のキャリーバッグだけ。
うとうと状態と苦痛を繰り返し、
とうとう我慢できないから告げた。
「カミさんを呼んでください」
「携帯はどこですか」
「そのバッグの横のポケットに」。
看護師さんからスマホを取ってもらい、
LINEの記録に寄れば14時03分「帰ってきて、しんどい」
続いて04分「早く」。ここまで打って、また記憶がなくなった。

その後「パパ、帰るよ」と耳元で言われたが。
もうろうとしていて返事をしたか定かではない。
次に目が覚めたらあたりは暗く、
点滴がない方の右腕には、貴重品ロッカーの鍵が付いていた
。LINEの記録だと、16時38分に
「痛い時にいなくてごめんね。まだ寝てるから帰るよ。
ロッカーの鍵は右手の手首に付けたよ」とあった。
その後、いくつかのメッセージがあったが知るよしもない。
20時54分「パパとお話して帰りたかった」と告げられた後、
ぶたたが泣いてた。そうか、話をしなかったのか。

後日聞けば、
わたしが内視鏡室から出てきたのは午前11時すぎ。
先生が「意外に早く終わりました。
1時間半ほどだったかな」というから符合する。
「周りの飛び散ったやつも取ってですか」
「あー、なかった」「そうですか」。
看護師さんから「このまま夕方まで寝てると思いますよ」と言われ、
せっかく出てきたからと近くの百貨店にカミさんは行った。
わたしの弟の新築祝いを買いに。仕方ないなあ。文句も言えやしない。


写真説明=病室にはお守りにと、カビーとしまねっこを連れてきた

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2017年2月 8日 (水)

退院が延びた

 食道がんの手術を受けたのが2日の木曜日だから今日が7日目。本来なら退院の日を迎えた。だが退院できなかった。


 昨日の夕食後に胸焼けのような症状が止まらなくなった。食事(写真)を終え、8
お膳を返却に行ったところ、立ち止まるほどに胸が締めつけられた。我慢できない程ではないが、病院にいて我慢しても仕方がないと思い、部屋に戻りナースコールしてみた。横になり待っていたが、寝てるより座っていた方が、と言われた通りにしていると症状は1時間ほどで治まったが、今度は筋肉痛のような症状も出てきた。これは、大げさに伝えるほどでもなかったし、消灯時間の午後9峙を迎えたので眠りに就いた。


 今日は、起床時間の朝6時を告げるアナウンスで目が覚め、7時過ぎからは食事をいただいた。その後、回診にきた担当医に昨夜のことを告げると「不安があるなら、退院を延ばしましょうか。明日、カメラを見てみましょう。会社の都合がつくなら、その方がいい。そうしましょう」と言われ、退院の延長が今、決まったことろです。


 思えば手術後から全て1日づつ延びてるなあ、といった感じ。絶食は木曜日の手術日を含め3日間と言われていたが、最初の食事は5日目の月曜日だった。手術翌日に高熱が出たのが原因だ。


 カミさんに送ったLINEで3日の金曜日を振り返ってみる。朝7時8分に「痛い」続いて「7度7分」。同14分に「今日も胃カメラだって」と伝えている。しかし、その後の検温で38度2分まで上がったからか胃カメラは中止。手術後のナースステーションに近い場所から、部屋を移動したところまでで記憶は止まっている。10時35分に「8度2分…だからカメラなし。病室変わった」の次に送ったメッセージは15時05分だ。おそらくは鎮痛剤の点滴とともに眠りこけていたのだろう。夜もカミさんからメッセージがきていたが、返信していない。


 手術当日もしんどかったもんなあ。って続けようとしたのですが、少ししんどくなってきたので、また後日に振り返ります。


 追伸

 今また先生がこられまして

 「ごはんも食べて、それだけ元気で、食道に穴が空いてるなんてことはないと思いますけど。空いてたら大変なことになりますから。今、(胃カメラで)見てもいいけど(朝食を)食べちゃったもんね。昨日のは、まだダメージが残ってるから(一時的なもの)だと思いますけど。まあ、明日、退院できるかどうかを最終的に(胃カメラで)見てみましょう」
と言われました。

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2017年2月 7日 (火)

「中学受験への道」から12年

 朝から健康診断に行って、胃腸専門医で「食道がんの疑い」と言われ、家にたどり着いたのはもう夕方だった。大学5年になる長男がいたので、思わず「バリウムじゃ分からんって言われたバイ。意味ないじゃん」などと八つ当たり気味にボヤいてみると「そうだよ。意味ないよ」。医学生は冷たく言い放った。


 そう、長男は医学部に通っているのです。このブログの「中学受験への道」でドキュメンタリータッチにお伝えしてた、あの子がです。


 わたしの東京から大阪への転勤で、せっかく入った第一志望の私立中高一貫校を高1限りで転校。大阪でトップクラスの国立大付属高に「転勤枠」で転入することができました。出願者1合格者1ではありましたが、本人がずっと勉強し続けたからだろうなあ。自分の高校時代じゃ、入った学校より偏差値の高い学校に転校するなんて考えられません。


 門戸を開いてくれていた高校にも感謝です。ホント、高校の転校は難しい。聞くだけなら電話代だけと、灘高にも問い合わせましたが、NOでした。本人はストレスだったろうなあ。でも、より高いレベルの生徒さんと切磋琢磨できたおかげで、大阪に移ってからいつしか志望が医学部へと変化し、一浪はしたものの、本当に医学生になれたのだと、わたしは勝手に思っています。


 でも、カミさんには納得がいかない。「アンタ、東京におる時は京大志望やったやないね。工学部やったよね」。「ええ、まあ」…「それが、大阪に来た途端に、何でまた関東の大学に行きたいなんて言い出すん? ただ単に家から出たかっただけやないんね」。長男は黙して語らなかった。


 しかしなあ、あわよくば国立大に入って欲しかった。現役時代はセンター試験失敗で撃沈。浪人のセンターは、ほとんど満点で突破したのに、2次でなあ…。その間に「受けるだけ」と言い「受かっても行かせられない」「受かるわけないから」と記念受験した私大に受かってしまい、すっかりその気。国立の後期に受かったのなんて忘れたかのようだったもんなあ。


 思えば中学受験のチャレンジ校が立教新座だった。受かってしまった「立教ブランド」を捨てるなんて、武蔵大卒の私にはもったいなく感じていたが、大学受験では、それ以上のブランドを手に入れてしまった。しかし、あまりに高いブランド料だ…それでも医学部では安いのか…でもオレ医者じゃないから借りなきゃ払えないし…まあ今さら…


 それで、家から出たかったであろう東京で1人暮らしをする長男のもとに、家族が舞い戻ることになるなんて。「みんなで東京に行くから、アパート引き払う準備しといてな」「ええっ!? ああ、そうなるのか…」。昨年3月の声は落胆を隠せなかった。

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2017年2月 6日 (月)

バリウムじゃ分からない食道がんになった

 高1以来、37年ぶりの入院は、手術後3日目になってようやく体調が落ち着いてきた。自分勝手に、ではあるが、もっと楽観視していたから、手術と、その直後はつらかった。そりゃ、そうだよね。「がん」って病名がついてるから。


 早期で発見されたことが幸いだったのだろう。12月6日に受診した会社の健康診断。今年から「胃カメラ」が検査項目に入っていた。


 迷ったんだよねえ。健康診断で受けるべきか。胃カメラの技って、元々うまいか、経験を積んでうまくなるか、そのどちらかだと勝手に判断している。だから、若い医師だと苦痛の確率は上がる。


 果たして今回がそうだった。涙を流したのは2度目だ。8年ぶりの胃カメラを「申し込まなきゃ良かった」と後悔したことを、その医師におわびなきゃ。


 「食道に炎症が見られます。紹介状に画像データを付けますので、近いうちに内視鏡専門医を受診してください。必ずですよ」


 あまりの語気の強さに、帰路に就いたその足で、以前に通ったことのあった胃腸専門医を訪れていた。


 「食道がんの疑いがあります。赤い炎症がお分かりになりますか」。素人目にも分かる画像だった。


 「これまでは、どうされてたんですか」。「最近はバリウムを毎年…」「バリウムでは食道は分からないんですよね」。そうだよなあ。通過するもんなあ。じゃあ、何でバリウムなんて飲まされてんだろ。


 1度、翌日まで残っていたバリウムが腸内で固まり、本当に死ぬ思いをした。出て来ないんだもん。


 ウォシュレットでいくら強く洗浄してもダメ。そのうちに呼吸ができなくなってきた。そうか、肛門が詰まっても呼吸困難になるのか…なりふりなんて構ってられない。指を肛門に入れ、ひたすらバリウムを、こさぎ出した。何とか軟らかくなって少しづつでも出てくれたからいいが、生まれて2度目の死を意識した瞬間だった(1度目は小学生の頃、川に落ちました)。


 トイレで窒息死なんて、カッコ悪いよね。でも、ホントの話ですから、皆さんお気を付けください。わたしは、事あるごとに、会社や仲間に注意喚起してます。アルコールはバリウムを固めるから飲んじゃだめなんですと。


 2週間後の精密検査をすることにして病院を後にしたが、「疑い」が取れるだけなんだろうなあ、と足取りは重かった。またもアルコールが原因だった。

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