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2015年7月16日 (木)

幻の日本ハム高橋一三監督

だめか~。今の日本ハムには、高橋一三さん追悼試合なんて意識は、ないのかなあ。
喪章も着いてなかったしねえ。

●4―7ソフトバンク

81年ユニホーム着用の発表で田中賢介が言ってた。
「生まれた年のユニホーム…」

そうだよなあ、一三さんの勇姿を知る由もないよなあ。

81年の、いわゆるV1戦士は柏原純一コーチだけか。
白井一幸さんや五十嵐信一さんは少し後か。

いや「信ちゃん」は、巨人日本一の瞬間の打者だった。
当時の背番号「51」が打ち上げたピッチャーフライを
江川が捕ったんだ。
でも、主力では、なかったもんなあ。

高橋一三さんが日本ハムの投手コーチ時代に育てた面々。
西崎、松浦、武田、柴田、酒井…

柴田さん以外はコーチすら、やってないか。

この辺が、東京時代の日本ハムの寂しさである。
貢献者に冷たい。

一三さんは日本ハムの監督だったはずなのに。
あれは確か91年だか、92年だか。

日刊スポーツに日本ハム高橋一監督の記事が載った。
わたしのことを日ハムファンと知ってた上司が
「良かったなあ」と言ってくれたから、今も覚えている。
見出しは「ハムV1内閣」だった、と思う。

高代、島田誠、古屋、大宮…

当時のハムファンの琴線を揺さぶる面々だった。
でも、なぜか実現しなかった。

いつか、日本ハムOBを中心とした体制ができるはず。
そんな思いはかなえられず、V1戦士は散り散りになってしまった。

いいんです。

今、日本ハムは北海道に移り、別の歴史を刻んでます。
大変に頼もしい「ファイターズ」になってます。
ひがみも、やっかみも、ありません。

ただ、北海道に移転することを想像すらできなかった、あの時代に
唯一の優勝イヤー81年の「V1内閣」が見たかったな
と、久しぶりに感傷に浸っただけです。

当時の報知新聞があります。
81年10月17日、高橋一三さんが先発した
日本シリーズ第1戦の先発メンバーを記しておきます。

○6―5巨人
1(中)島田誠
2(遊)高代
3(右)ソレイタ
4(一)柏原
5(左)岡持
6(三)古屋
7(捕)大宮
8(二)菅野
9(投)高橋一

昨日のソフトバンク戦は勝てた試合だった。
チャンスは何度でもあった。
負けたのは、力の差でしょうか。

何とも、もどかしい試合でした。

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コメント

今の歴史の方が、はるかに好きです。

東京時代の日本ハムの情けなさったら、それはなかった。「日本ハムファン」って言うのが、恥ずかしいっていうか、はばかられたんですよ。それも、東京にいて。必ず「なんで」って聞かれましたし。萩での話では、ありません。

5月22日に札幌ドームに行きました。9年ぶりの札幌ドームです。なんて、あったかいんだろ。「すごい」「すっげえ」を客席で連発してました。

ここが、ファイターズの帰る、温かいわが家なんだ。そんな雰囲気でした。

北海道の皆さま、札幌の皆さま、あのファイターズを、ここまでしてくれて、ありがとう、っていうか、もうファイターズは皆さまのものです。

昔から、ファンだった、なんて、往生際の悪い、元カノ元カレみたいなことは言いません。でも、応援だけはさせてください。

皆さんは、甘やかさずに、もっと大きく、もっと強く、ソフトバンクに負けない球団に、ファイターズをしてください。お願いします。

ナツパパさん、すみません。

気軽な返信のつもりが、ブログを1本書いたように、いつしか力が入ってしまいました。

投稿: 人生真ん中 | 2015年7月18日 (土) 00:05

真ん中さんの思いが伝わる記事、堪能しました。
北海道に渡った日ハムは別の歴史を刻んで...
...そうなんでしょうね、そうなんだな、うん。

投稿: ナツパパ | 2015年7月16日 (木) 10:36

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