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2015年7月15日 (水)

高橋一三さんも亡くなるなんて

深夜のコンビニ、スポーツ新聞の見出しに目を奪われた。

「高橋一三さん死去」

…ダメだよ、そんな。

わたしを日本ハムファンにしてくれた、「恩人」の死を受け入れられない。


81年、東京を本拠にしていた日本ハムの唯一の優勝。その立役者が高橋一三さんだった。
この年はエースとして、チームを引っ張ってくれた。伝説の81年である。

折も折、81年のユニホームを着てプレーすると発表されたばかりじゃないか。
あのユニホーム姿を、見ていただきたかった。


Photo


「なんで日本ハムファンに?」必ず聞かれます。
高橋一三さんがいたからです。

小さい頃は巨人しか知らなかった。
当時の山口県は民放が1局だけ。KRYは日本テレビ系だったから
夜は巨人戦を見させられるしかない。

その中で子供心をつかんだのが
高橋一三さんだった。

サウスポーというだけで、かっこいい。
さらに、豪快なフォーム。
印象は強烈でした。

その投手が、最下位に終わった長嶋巨人1年目のオフ、
トレードで日本ハムへ。

当時、わが家ではスポーツニッポンをとってましたから
初めて知った日本ハムというチームの記事を
毎日のように読んでいるうちに
いつしか、日本ハムのファンになっていたというわけです。

その時、一緒に移籍してきたのが富田勝さんでした。
同じ年に、訃報を聞くとは…やりきれません。

先日、萩に帰ったわが部屋で、こんなものを見つけました。

1775


1976年(昭51)日本ハムのメンバーですね。

裏側はこう。

1777


まだ、巨人と並行して見てたんでしょう。

当時「マイブーム」だったメンコを自分で作りました。


冒頭の写真は当時のプロ野球ガイド本。表紙は大沢監督と一三さん、富田さんです。、昭和52年(77年)版。夢中になって読んだ記憶があります。
よくこんなの、萩で手に入ったなあ。フレーベル館の発行とあります。

今年は優勝しなきゃいけないでしょう。もうすぐ81年のユニホームを着るんですから。
前回、練習だけで着用したときは、札幌円山で観戦しましたけど

 mae

今年は試合をするんですから。

昨日は、しのいで勝ち切ってソフトバンクに2.5差に迫りました。
大谷が中継ぎ待機する今日も必ず。

伝説のユニホームでの優勝を、柏原純一コーチとともに。

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コメント

そうなんですよ。

驚いた同時に信じられませんでした。

今朝の新聞も報じていることろと
そうでないところとあって。

それだけ急だったんでしょうか。

投稿: 人生真ん中 | 2015年7月15日 (水) 15:44

えっ、そうなの!!
高橋一三さん、好きだったなあ。
あの投げ方が好きだった。
合掌。

投稿: ナツパパ | 2015年7月15日 (水) 10:16

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