« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月31日 (金)

甲子園の夢まで走る、完結編その1

「甲子園の夢まで走る」
の最後の更新は、いつでしたっけ。
中1の時までさかのぼるのかな。


夢じゃなく甲子園には行ったんですけど
やはり夢でした。


シニアと部活の選択で迷いなく部活を選んで
当時住んでた東京都練馬区は学校選択制があったので

野球の強い中学に電車通学して
1年なのに、ほどなく公式戦でも登板して

まあ、順調でした。

わたしの転勤が、いけなかった。


大学2年になった三男は
「そんなこと、ない」って言ってくれますけど
大きな転機になったのは事実です。


中1の「冬」。
来春から住むのは野球王国の大阪。
その中心は「ボーイズリーグ」だ。

三男に最適の環境を探すため
まずは、居住予定に近いチームの見学に行った。

でも、なんだか「寒々」としてた。
グラウンドも使えなくなった、と説明を受け
「空き地」で細々と練習する姿を、複雑な思いで見てた。


次に行ったのが、結局は所属したチーム。
ホントに「見学」のつもりだった。
中学野球に詳しくない私でも
名前を知ってたほどの強豪。

さっきの「空き地」とは違う専用グラウンドに
異様な活気があった。

まるで「キャプテン」の青葉中だ。
さっきのチームは墨谷二中か。

なんで、ちばあきおをこよなく愛したわたしが
青葉を選んでしまったんだろう。


お母さんたちは、「小屋」の中で揚げ物を作り
グラウンドでは数十人の野球少年が
自分たちの能力を
存分にアピールしていた。

すごい…
「ここで、野球したいっていったら、どうしようか」
「わたしも、揚げ物ば作っとっちゃろうか」


案内してくれた、関西在住の
わたしの大学時代の同級生は
その子も、もうお母さんでしたけど
思いっきり引いてました。

会ったのは大学卒業以来かな。

このブログのタイトル
「俺の人生真ん中あたり」の歌詞に
ありましたね。

「子どもがいてもおかしくないのに
19のまんまで思い出す」

カミさんにも会わせた女性は
何にもなかった証拠ですけど

やっと、タイトルにふさわしいフレーズを記せた。

このブログ、
海援隊への思い入れを書こうとして
始めたんですけど

少年野球や中学受験の話ばかりでした。

また話がそれた。

それから1年後

揚げ物は作りませんでしたけど、
カレーや味噌汁は作ってた。

見学を終えた三男が、いい汗を顔にしたたらせて
「オラ、ここで野球したい」
って言ったから。

マネジャーやコーチから
「君ならできる」
とか言われたらしい。

実際、わたしも言われた。
「お子さんなら、レギュラーでやっていけます」

うのみにするんじゃ、なかったな。
だから常勝チーム。
それなりの子は、いくらでも欲しいでしょ。
もう7年か、冷静さがなかったな。


三男の野球人生を完結させようとしたんですけど
中学野球には思い出がありすぎて
タイトルの後に、その1を付けさせてもらいました。

日本一にまでなる話は
いつかまた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月30日 (木)

「17」のサウスポーに屈した

んで、「西京極」の続き

●2―7オリックス

この時期に、谷間の試合を作って欲しくなかったな。
案の定、負けてしまったから、なおさらそう思う。

新垣には悪いけど、荷が重すぎました。
春先ならともかく、ここで投げるピッチャーじゃない。

立ち上がりは「おっ」
ストレートは力あるじゃん。

でも、ヘルマンに簡単にヒットを打たれて、
上手な牽制で誘い出したのに

ネット裏の最上段で見てたんだけど
この席、一塁側か三塁側か選ぶことができず
行ってみたら一塁側だった。

誘い出した瞬間に拍手してたのは
オレとカミさんだけ。

それでも「HOKKAIDO」ユニで
応援はしたんですが

ベースカバーに入った自分のミスで、
走者を殺せないのが痛かった。

糸井には何を投げたんだろ。
高めの甘い変化球に見えました。
口をあんぐりです。
よう飛んだ。
右翼の最上段。

2回には伊藤にも、おんなじような変化球。
バックスクリーンの左ですか。


大谷で勝負してほしかったなあ。
地方球場には無敗伝説を誇るエースで。
いい当たりのショートゴロなんて見たくなかった。

大谷がネクストに登場しただけで
球場は、この日一番の盛り上がりを見せてましたけど。

この日、投げれば、翌週のソフトバンク戦にも行けるんですよ。

後半戦は、西武とソフトバンク重点を置いた
ローテーションにするって
言ってたんじゃなかっっけ、栗山さん。

谷間を作ってる場合じゃないでしょ。

負けゲームでクロッタを使う気があるんなら
屋宜と順番が逆です。

0―3なら、まだわかんない。
屋宜よりクロッタでしょ。

中田と近藤の連弾は見ましたけど

次男が言ってました。

「これが焼け石に水」

釈然としないなあ。

相手のオリックスも谷間だけど
背番号17のドラ1サウスポー山崎福也。

カミさん
「17の左っていったらね」

そう、左腕のわが三男は中学時代の背番号が「17」。
ハム応援の手が緩んでしまったかも。

6.5差になって、今季わが家の野球観戦は
最後でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

初めての「西京極」

●2-7オリックス

「わかさ京都スタジアム」というより「西京極球場」ですね。

小学生時代に、阪急戦のスポーツニュースでよく見てた。

パ・リーグの球場はどこも行きたかった。

特に西宮球場。でも行けなかった、

日生、藤井寺も行けないまま。唯一は大阪球場か。

大学時代の、いつ行ったんだろ。

高田監督時代で柏原が干されてた時。

負けてる試合で代打に出てきて、見逃し三振に倒れて

バッターボックスに立ち尽くしていたことを思い出す。

初めての球場なので、ネット裏の指定を買って入場して

「席はどこですか」と聞いたら

「どこでも座って」って言われた。

ガラガラ…でも意外に入ってた。

この日のように、ブロックが満席ではないけど

隣近所に人はいない。まあ、そんな時代です。

応援団は野次の飛ばしあい。

「やーい、最下位」「お前らこそ最下位」

前日に入れ替わった、5位6位対決だった。

パ・リーグファンとしては、あの頃に大阪にいれば、さぞや楽しかっただろうけど

今はオリックスだけ。

でも初めての「西京極」は楽しみにしてた。


177

家を出て、阪急電車に30分乗って、着きました。

駅は球場のホント最寄ですね。外野席の後ろを走る阪急電車を
カミさんは「電車がうるさい球場やね」と言ってました(^_^;)

試合開始2時間前なのに入場を待つ行列

181

パ・リーグの開催は19年ぶりとか。ファンは待ってたんですね。

183

入場すると、ダイカンの打撃練習中。
ここまで早く来たのは、大谷の練習を見るため。
初めて見た昨年の衝撃はなかったけど
やっぱり飛ばしてました。バックスクリーンに、どんどん。

対照的に気になったのが中田。飛距離がない。やっとスタンド。
キレがないというか、覇気もない。
カミさん「熱いけんやないと。夏は嫌いなんばい」

京都でも博多弁ですか。

じっと打撃練習を見てたけど、カミさんは不満そう。
そうか、ビールを売りにきてない。
食べ物もアルコールも入れないと、とたんに不機嫌になるのだ。

打撃練習が終わって階段を降りてみると

185

大行列。何分並んだことだろう。
おかげでハムの守備練習が見られなかった。

試合中にもビールを欲したのですが
行列が倍以上になってたので、あきらめました。

187

試合が始まる頃にはスタンドも埋まり

189

久しぶりの屋外ナイターも心地よく
と書きたいんですけど、
暑苦しく、試合も不快で

191

オリックスの応援歌に送られるように席を立ちました。

大学の試験を終え、観戦に駆け付けた次男が言う。

「はやく帰って、酒が飲みたいんやろ」

ズバリ、その通り。

長くなったので、試合のことはまた別稿で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月29日 (水)

そして神戸の誤算

このブログでアクセス1位なのが「光回線の転用ご注意」。

しかし、遅々として進まないんです。

もう1か月…休みたんびに電話の交渉にも疲れてきました。

ソフトバンクの説明が、いちいち引っかかる。

もう少し、お待ちください。ホント、釈然としませんねえ。

●4―8オリックス

釈然としない負け方ですねえ。前カードでオリックスを応援しすぎたか。
ソフトバンクに「負けろ」ってことは
オリックスに勝てってことですから。
今のオリックスは、最下位独走してた状態とは違いますね。
ソフトバンクと、あそこまでの競り合いをしてきただけのことはあった。

でもね。金子と上沢の投げ合いですから、期待してたんです。
昨年のあの金子千尋に、上沢は2度も投げ勝ったんですから。

そのせいか金子は昨季、ハム戦だけ勝ってない。
昨日もハム打線は攻略をした。

でも上沢の調子が悪すぎた。
いったい鎌ケ谷で、どんな調整をしてきたんだろう。

千葉だから、母校の専大松戸の試合をテレビで見てたらしい。
甲子園おめでとうコメントも発してた。
ならば、先輩の誇りを見せて欲しかった。

いろいろグチる材料があったゲームでした。

ルールも知らないのか大谷、とか
矢野さんじゃないだろ、代打は杉谷だろ、とか
鍵谷を投げさせれば失点するやろ、とか

カミさんは「鍵谷が出てきた時点で諦めてるけど(^_^;)
思った通りの展開」

とラインを送ってきた。

鍵谷も上沢も2軍落ちですか。

いよいよ苦しくなってきたぞ。

浦野もいないから、先発は4人か。

あす30日は誰が投げるのか、ずっと気になってた。

なぜなら、家族3人で見に行くから。
わかさ京都は近いんです。

明日もともかく
これからの先発ローテは、どうなるんだろ。

勝さん、中村、木佐貫…まさか

サイトウユウキ

26日の2軍戦で5回11安打されながら
「収穫」を口にしたという、サイトウユウキ。

栗山監督も期待しているという。

…やめよう。とにかく今日の有原、そして明日だ。

大谷に中5日での登板を期待してたけど

ならば、翌週のソフトバンク戦に中6で行けるけど。

昨日代打で出てたから、ありませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年7月27日 (月)

レアすぎる対戦打率

○8―3西武

ソフトバンクが9回に追いついた。

唯一のデーゲームを一生懸命に見た。

「負けろ」。じゃなきゃ、また7差危機。


オリックスが、まさかのエンドランの失敗からの、

一塁走者の結果的に好走塁。これは大きい。


7差が5差になっちゃった。限界までは戻した。


昨季、ソフトバンクが道中で独走したようにみえたけど

最大差は4.5だったのね。


7差となれば、独走Vと言われた11年以来。


この年、ハムとデッドヒートを繰り広げていた。

でも終わってみれば「独走」。

そうならないように、食らいつこう。


しかし、昨日もホームランのレアードは、どうしちゃったんだろ。

この3連戦前に、レアード外しの検討に入った模様、

なんて新聞記事が載ってたのに。

外さなくて良かった。栗山監督の辛抱が実ったんですね。

わたしにはできない。すごい深謀遠慮です。

カミさんも、ついに「レアちゃん」ですから。

1割打者も返上しました。

18号か~。リーグ5位タイ。あの柳田と同じ本数ですよ。

スマホサイトにタップして「対チーム別成績」ってのがあったので

見てみると

ソフトバンク2割6分
オリックス 2割9分5厘
ロッテ   2割6分3厘
西武    2割7分5厘
楽天    1割9分4厘

楽天以外は、どこにもコンスタントに打ってんじゃん。

でも?? これじゃ平均しても2割を切ることはない。


もう1度、上の画面に戻ってみると

ソフトバンク.026だった…えっ、2分6厘…

昔むかし、木元が絶不調の時も、実松の普段の打率も、
中島の出始めの頃も、ひどい打率ではあったが、
ここまではなかった。

2分6厘…2分6厘…うわ言のように、つぶやいている。


39打数1安打、その1安打は本塁打。

レアード低打率の原因は、はっきりしました。

ソフトバンク戦だけは使わなきゃ、いいんだ。

しかし、ソフトバンクはどんなレア―ド対策をしてるんだろう。

幸いにも、次のソフトバンク戦までは遠い。

ゆっくり考えましょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月26日 (日)

レアな場面を見ました

○6-4西武

よく、勝ったよなあ。

あきらめていた。7差かよ…限界を超えた限界だよなあ。

でも、1点差の9回表。チラっと見た会社のテレビでは、高橋朋が出てきた。最近、調子は良くない。

ハムは3番からとテロップが紹介してる。もしかしたら

そこから仕事が忙しくなって見ることはできなかった。

終わってみれば勝ってた。これこそ、望外の喜びだ。

仕事が終わってスマホを見ると、カミさんからメッセージが入ってた。

21時30分「逆転せんかね~」。ただの、かなわぬ夢だ。

21時33分「石川打った なんで近藤帰ってないのかな?」。そんな場面だったのか。

21時33分「レアード打たないかな~」。いや、その期待は無謀でしょ。

21時36分「レアード打った」。まさかですね。

21時36分「中田はいらんね」。確かに最近の調子はひどい。

21時37分「レアードはもうずっと日ハムにいてほしい」。へーえ。

21時46分「増井は勝ち投手やね」。いや、逆転前に投げてた白村です。

21時47分「おやすみ」。えっ、終わったばっかりやん。

駅中のコンビニでバイトしてるから、5時過ぎには起きなきゃね。

寝なきゃいけない義務感と闘って、必死に起きてたんでしょう。幸せに眠れて良かった。

負けた日なんて、「アホ、ボケ、カス」ってメッセージが残ってるから、心地悪いったら、ありゃしない。

寝た後でスマホを鳴らすと怒られるので、返信してませんけど。


カミさんの信頼を、すっかり得たレアードには何があったんだろう。

思えば、開幕ダッシュはレアードの猛打賞から始まったんだよな。

今が開幕と思えば、その再現か。1割打者の返上も近い。

もう1人の開幕ダッシュの立役者

「ハーミッダは、まだかねえ」

カミさんは心待ちにしている。

まだ最後まで録画を見てませんけど…2回の、あのビデオ判定弾はないでしょう。

打球はポールのはるか上。三塁線審は自信を持ってファウルの判定だった。
だからファウルでしょ。

テレビ画面を見ても、角度がまちまちだから分かんない。
球場には三塁と本塁を結ぶ固定カメラでもあれば別だが。

100%の確証がない限りは、判定を覆しちゃいけないと思うんだけどなあ。
ずいぶん時間もかかってたから、われわれと同じ画面を見てたんじゃないのかなあ。

いつか、福岡ドームで同じような打球があった。

審判はビデオ判定さえも頑なに拒否した。
それは、ビデオを見ても分からないからだったと、わたしは思っている。

秋山監督は猛烈に抗議してましたけどね。
そのぐらい、判定には自信が欲しかった。

勝ったから、良しとしましょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月23日 (木)

「575打線」2点あまり19失点ですか

●6―19楽天

初回から5点7点5点…一句読む元気もなくなる大敗でした。

楽天は球団史上最多の19点ですか。そうでしょうね。

今季ここまで粘りに粘って、必死にしのいできた。

でも、たがが外れて大決壊、そんな試合でした。

6差ですか。わたしの限界基準は5差。超えてしまったか。


球宴前まで、ハムはよく戦ってました。

戦力的に優位に立つソフトバンクに1度は5差をつけられた。

それでも気持ちを切らさずに粘って拾って勝ちを積み重ねていった。

でも、ソフトバンクも簡単には負けない。10戦9勝でも、なかなか差が縮まらない。

何とか3.5差までは詰めて帯広での直接対決2連戦。

初戦を全力で取った。2戦目もリードしてた。1.5差にすれば、後半戦を元気にスタートが切れる。

ここですよね。逆転負けを喫して、

「あーっ、もう」。いら立ちますよね。力の差は、いかんともしがたいのか。

我慢も限界。気持ちが切れて心が荒れたかなあ。そんな楽天3連戦だったような気がします。


どうせ荒れるんなら、開き直ってめちゃくちゃ、やってやりましょうよ。

粘らなくても、しのがなくてもいい。無茶ぶりでもなんでも、暴れましょうよ。

お利口に戦っててもソフトバンクには、かなわなかったんだから、戦法を変えてね。

若いチームなんだから、振り切れるくらいの元気を出して。


幸いにも、ファイティングポーズは失ってないみたい。

0-12からだって、勢いよくバットを振ってました。

3―19からだって、まだ3点を取りました。

あきらめムードを出すのが、一番よくない。

栗山監督もGAORAのインタビューで言ってました。

「9月の勝負に持っていければ、絶対に相手の方がプレッシャーがかかるはずなんで」。

幸いにも、ソフトバンクには終盤の失速癖がある。この悪癖は、簡単に治るもんじゃありません。

とにかく、追撃の手は緩めないこと。体は荒れても、気持ちは乱さないこと。

前半の我慢を無にしないような今後の戦いを祈っています。

5差を超えて、6差なんて限界じゃなかった。そう願いたいです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月18日 (土)

「転用」次男から怒られた

次男から怒られた。「光(回線)の転用、あれから、どうなったん。ソフトバンクから連絡きた?」

「来たよ」

「来たんかい。じゃあ、なんでブログに書かんと?」

さらに、まくし立てられた。

「続き、書くって言ってたやん」

「そうなんだよね。実は、アクセス数の一番多いのが『光回線の転用ご注意』」

「そりゃ、そうやろ。続きを書け―
なのに、世界遺産とか、ハムとか書いて
バッカじゃないと」

いやね、まだ、どう対処するか結論が出てないから。
「転用戻し」ができます、とは言われたけどね。
詳細を確認しないと、報告はできない。
途中経過も報告するべきかもしれないが、
それをすると、ブログを書くたびに、怒んなきゃならない。

で、次男には標準語で怒られたり、博多弁で怒られたり
はたまた大阪弁で怒られる。

次男は、生後半年で北九州から東京に連れてこられて
小学校入学前に福岡に帰ったと思えば
小2で、また東京転勤。

高校受験の中3では、大阪転勤を「予告」されたもんね。

だから、東京にいながら、大阪の高校のことばかり調べたよね。

よく、普通に受かってくれたよ。

次男は、ほとんどこのブログに登場してないか。

長男の「中学受験の道」はいっぱい書いたし
三男の「甲子園の夢まで走る」
も書いたな。

今、初めて、書いた。

長男は23歳になった。三男はまだ19歳。2人は出て行った。

んで、次男は昨日22歳。家にいる。だから
「ハッピーバースデー」をしてやった。

不二家にケーキを買いに行って、
「ろうそくは何本入れますか」
って聞かれたから

「ろうそくねえ…」
「何歳ですか」
「恥ずかしくって、言えません」


「22歳です」
「じゃあ、大きいのを2本と、小さいのを2本入れておきます」
「すみません」

2人で晩ごはんを食べて、オールスターを一緒に見て

飲みに行ってたカミさんを10時に、豪雨の中2人で迎えに行って
「なんで、パパまで来るん?」
「いいから」

家に帰って電気を消して、ろうそくも消して。

おめでとう、唯一、一緒に暮らす22歳よ。

「ブログ書けよ」

って言われたから、書いた。

すみません。今酔ってます。

ソフトバンク光に夕方、電話した時には、当然酒は入ってません。

でも、今は振り返れません。

酔ってない時に書きます。すみません。

おまけに、昨日起きた瞬間から

痛風が痛い

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月16日 (木)

幻の日本ハム高橋一三監督

だめか~。今の日本ハムには、高橋一三さん追悼試合なんて意識は、ないのかなあ。
喪章も着いてなかったしねえ。

●4―7ソフトバンク

81年ユニホーム着用の発表で田中賢介が言ってた。
「生まれた年のユニホーム…」

そうだよなあ、一三さんの勇姿を知る由もないよなあ。

81年の、いわゆるV1戦士は柏原純一コーチだけか。
白井一幸さんや五十嵐信一さんは少し後か。

いや「信ちゃん」は、巨人日本一の瞬間の打者だった。
当時の背番号「51」が打ち上げたピッチャーフライを
江川が捕ったんだ。
でも、主力では、なかったもんなあ。

高橋一三さんが日本ハムの投手コーチ時代に育てた面々。
西崎、松浦、武田、柴田、酒井…

柴田さん以外はコーチすら、やってないか。

この辺が、東京時代の日本ハムの寂しさである。
貢献者に冷たい。

一三さんは日本ハムの監督だったはずなのに。
あれは確か91年だか、92年だか。

日刊スポーツに日本ハム高橋一監督の記事が載った。
わたしのことを日ハムファンと知ってた上司が
「良かったなあ」と言ってくれたから、今も覚えている。
見出しは「ハムV1内閣」だった、と思う。

高代、島田誠、古屋、大宮…

当時のハムファンの琴線を揺さぶる面々だった。
でも、なぜか実現しなかった。

いつか、日本ハムOBを中心とした体制ができるはず。
そんな思いはかなえられず、V1戦士は散り散りになってしまった。

いいんです。

今、日本ハムは北海道に移り、別の歴史を刻んでます。
大変に頼もしい「ファイターズ」になってます。
ひがみも、やっかみも、ありません。

ただ、北海道に移転することを想像すらできなかった、あの時代に
唯一の優勝イヤー81年の「V1内閣」が見たかったな
と、久しぶりに感傷に浸っただけです。

当時の報知新聞があります。
81年10月17日、高橋一三さんが先発した
日本シリーズ第1戦の先発メンバーを記しておきます。

○6―5巨人
1(中)島田誠
2(遊)高代
3(右)ソレイタ
4(一)柏原
5(左)岡持
6(三)古屋
7(捕)大宮
8(二)菅野
9(投)高橋一

昨日のソフトバンク戦は勝てた試合だった。
チャンスは何度でもあった。
負けたのは、力の差でしょうか。

何とも、もどかしい試合でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月15日 (水)

高橋一三さんも亡くなるなんて

深夜のコンビニ、スポーツ新聞の見出しに目を奪われた。

「高橋一三さん死去」

…ダメだよ、そんな。

わたしを日本ハムファンにしてくれた、「恩人」の死を受け入れられない。


81年、東京を本拠にしていた日本ハムの唯一の優勝。その立役者が高橋一三さんだった。
この年はエースとして、チームを引っ張ってくれた。伝説の81年である。

折も折、81年のユニホームを着てプレーすると発表されたばかりじゃないか。
あのユニホーム姿を、見ていただきたかった。


Photo


「なんで日本ハムファンに?」必ず聞かれます。
高橋一三さんがいたからです。

小さい頃は巨人しか知らなかった。
当時の山口県は民放が1局だけ。KRYは日本テレビ系だったから
夜は巨人戦を見させられるしかない。

その中で子供心をつかんだのが
高橋一三さんだった。

サウスポーというだけで、かっこいい。
さらに、豪快なフォーム。
印象は強烈でした。

その投手が、最下位に終わった長嶋巨人1年目のオフ、
トレードで日本ハムへ。

当時、わが家ではスポーツニッポンをとってましたから
初めて知った日本ハムというチームの記事を
毎日のように読んでいるうちに
いつしか、日本ハムのファンになっていたというわけです。

その時、一緒に移籍してきたのが富田勝さんでした。
同じ年に、訃報を聞くとは…やりきれません。

先日、萩に帰ったわが部屋で、こんなものを見つけました。

1775


1976年(昭51)日本ハムのメンバーですね。

裏側はこう。

1777


まだ、巨人と並行して見てたんでしょう。

当時「マイブーム」だったメンコを自分で作りました。


冒頭の写真は当時のプロ野球ガイド本。表紙は大沢監督と一三さん、富田さんです。、昭和52年(77年)版。夢中になって読んだ記憶があります。
よくこんなの、萩で手に入ったなあ。フレーベル館の発行とあります。

今年は優勝しなきゃいけないでしょう。もうすぐ81年のユニホームを着るんですから。
前回、練習だけで着用したときは、札幌円山で観戦しましたけど

 mae

今年は試合をするんですから。

昨日は、しのいで勝ち切ってソフトバンクに2.5差に迫りました。
大谷が中継ぎ待機する今日も必ず。

伝説のユニホームでの優勝を、柏原純一コーチとともに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月14日 (火)

大板山たたら製鉄遺跡

おおいたやまたたらせいてついせき。

読み方も知りませんでした。

高校3年まで萩にいたけど、聞いたことなかった。

1723

電話の工事中です。

1867


喜びも控えめ「世界遺産」


1868


萩の中心部から車で40分。

津和野方面に車を走らせます。

30分弱走ったでしょうか。信号を左に曲がります。

←大板山たたら製鉄遺跡

の看板を見過ごしてしまいました。

ホント、萩の観光地はアピール下手なんですよね。

世界遺産への入り口に、大きい看板もない。

「道の駅ハピネスふくえ」

の手前の信号です。ここには垂れ幕もありましたけど
ここまで行ったら行きすぎです。

んで、橋を渡って突き当ったら

横断幕がありました。

いかにも手作り感が満載。

ここを右ですね。

ここからは、「あと5キロ」とか「あと3.5キロ」とか

これもまた手作りの看板を頼りに車を走らせます。

ダムの先に、誘導員がいて、その先が目指す世界遺産です。

駐車場もありました。

人がいます。車も止まってます。世界遺産おそるべしです。

こんな所とは言っては失礼ですが
知らなかった。

高校時代は隣村の福栄村に行く用事がなかったので
行ったこともない。

ホント、何もないところですよ。

なのに人がいる。

1871


登録されたのが8日のこと。

それとは関係なしに帰省の計画を立てて
この日は7月10日でした。

1731


いやあ、すごいな。

世界遺産にでもならなければ
きっと人はいませんよね。

車以外の交通手段では行けないし。

駐車場は車5~6台とバス2台の収容。
平日でこれだから
土日は大丈夫なんでしょうか。

最初の週末前に見学できてラッキーでした。

1732_2


ここでできた鉄を使って造った造船所に、ここから向かいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月11日 (土)

世界遺産への旅その2

1901

わたしのブログって、話題をふったにもかかわらず
以降ふれないなんて、そんなのばっかりです。

でも、今回は世界遺産。責任を持って記しましょう。

萩市には5つの世界遺産の資産があります。
「萩城下町」と「松下村塾」は、
説明の必要もないほど、どなたでもご存知でしょう。

すっごいーよなあ、萩城下町が世界遺産なんだ。
ということは、萩城下町に実家のある
わが家も世界遺産か。

理想ですよ
「まちじゅう博物館」が
「まちじゅう世界遺産」

萩=世界遺産です。

萩の街に入るだけでお金取れませんか。
昔っから、そうできないかと思ってました。

今だからそうしましょう。何たって世界遺産なんだから。
だいたい、観光商売が下手なんですよ。萩って。

呼び込みなんて、どこにもいないし。
不快な思いをされた方は、多分いないと思います。

まあ、いいや。世界遺産になったんだから。

「萩反射炉」
は知ってても

「大板山たたら製鉄遺跡」

「恵美須ケ浜造船所跡」は
萩市民だった私でも知らない…っていうか聞いたことない。

そういや、一昨年に大阪であった高校の同窓会に初めて出席して
世界遺産の候補って初めて、聞いた。
でも「世界遺産になっても、何の整備もできていない状況です」
なんて言ってた。

だから萩市民として行ってきました。

萩市の中心にあるわが家から、昨日から引き続き借りているレンタカーで40分ほどですか。
今は萩市ですけど、旧福栄村なんですよね。
初めてきたかな。道が細くって、カーナビも途中からわけわかんなくなりました。

1723

携帯も入らない場所ですから、どうやら急ピッチで固定電話の敷設工事をしているみたい。トイレにも入りましたが、真新しくていいですね。

1727_2

んで、話は途中だけど続きは、またするとして
昨日のハムは良かった。

こだまのなかで、音を消してJCOMオンデマンドを見てて
1922

くるくる回るGAORAの画面に想像を走らせていた。スクイズか、すごいね。

家に帰って、確認しました。素晴らしい勝ち方です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月10日 (金)

世界遺産への旅その1

世界遺産に登録された地を目指して。
そんな旅に、カミさんと2人、1泊2日で行ってみました。

1753
ここは、昔から知っている。

でも

1725

も知らなければ


1736

も知らない。


結果的にタイミングよく、世界遺産を回る旅となったが、
実は、ただの里帰り。わたしの地元の山口へ行こうと
福岡出身のカミさんが提案した。


新大阪9時35分発こだま737号。

1721_2


今回は安さに目がくらんだ「こだま」の旅である。
新山口まで3時間37分。
最速の、のぞみなら1時間54分だ。速い…っていうか速すぎる。

1707_2


こだまの指定席2×2シートは快適だ。

以前「東海道」のこだまに乗って
「こだまは、いかんバイ」

と言ってたカミさんも、
すんなりと心地よく
その体を収めることができた。

カミさんの提案とはいえ
カミさんが不機嫌になると困るのだ。
その第一関門が「こだま」だった。
シートはOK。

しかし、まあよく停まる。
こだまだから当たり前だけど、
新神戸0分の後は西明石5分、姫路4分、相生3分…
全て後続ののぞみに抜かれるのだろう。
のぞみも止まる岡山を1分で乗り越えても新倉敷3分
そして福山。

ここで、わたしは策を講じていた。
福山到着11時16分、発車26分。
10分以上止まるのはここと新岩国だけ。
でも新岩国に何もないことは山口県人のわたしが知っている。
腹をすかせたカミさんは、不機嫌きわまりない。
だから、ここが長旅の分岐点なのだ。

「さあ、お弁当買いに行こう」
停車まくりなのは伝えていた。

でも不安のようだ。初めて列車から降りる。

10分も止まるんですよ。

わたしが鉄道を乗り歩いていた時代、
列車から降りる基準は4分だった。

4分あれば、入場券を買って駅舎の写真が撮れる! 
乗り遅れるはずがない。

でもカミさんには経験がない。
エスカレーターを「ずいぶん長いね。で、遅いね」と言い
降りたら一目散に売店に向かい
大好きな「幕の内」と「ビール」を買っていた。

いつも会計は必ずわたしなのに…
待つこともできないほど焦っていたみたい。

わたしは、ゆったり
「あなご弁当」と「お茶」買った。

その後の新岩国では

1709_2

錦帯橋の「壁画」を見ながら発車を待ち

1715


のぞみが追い抜いてゆく

そんな中

1713

喫煙コーナーに人の姿。

なるほどね。

700系こだまには、喫煙ルームなんてないから。
駅のホームが喫煙時間ですね。よくできてます。
当然ながらわたしも一服しました。

こんな光景をよそに

ビールを飲んだカミさんはスヤスヤ。

食って寝て
起きて食って
飲んで寝て

快適環境の中で
本能のままに生きるカミさんが、うらやましい。

13時12分
新山口到着。

ビールを飲んで気持ちいいご機嫌なカミさんと
2時間前にビールを一口だけ飲んだ義務感のわたしは
レンタカーを借ります。

ここからはプライベート。
山口に行って、いとこの子ども
(って、なんていうんだろ)
赤ん坊って、まあ、かわいい

赤ちゃんなんて抱いたの20年ぶり!

って、カミさん第一目標の対面を果たし

わたしの「人生の恩人」
益田の伯父に会って、

夕方、萩に帰りました。

さあ、明日は世界遺産をめぐります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »