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2015年5月31日 (日)

カミさま、さまです、か?

アクセス数が急増した。29日の金曜日のことだ。

2週間ぶりの休日だからパソコンに向かってた。富田勝さんの急逝を受けて、書かずにはいられなくなって、ブログを再開したのが27日の水曜日のこと。ほとんど0だったアクセス数が増え、翌28日には、ハム論評を久しぶりに記すと、数字が一気に上がっている。

「すごいよなあ。更新したからって、こんなにアクセスが増えるんかなあ。3年ぶりなのに。みなさん、どこで更新情報が分かるんだろう。その前の更新は6年ぶりなのに。ありがたいよなあ」なんて1人つぶやいていた。聞いてないと思ったんだけど、そばにいたカミさんが突然に口を開いて「あっ、それ、わたし」

「はあ?…」カミさん「あんた、ブログ書いたって言いよったろ。やけん、見てみたと。おもしろいねえ。あったよねえ」

聞けば、自分が登場する記事だけを、まとめ読みしたらしい。しばらく更新してなかったから知らなかったけど、スマホ版には、「このブログの人気記事ランキング」ってのがあった。更新したばかりだから1位は「富田勝さんの衝撃」。でも2位以下には「総務省の家計調査2カ月目」「総務省の家計調査やってます」さらに「給与の一策」が並んでいた。この3つの記事の共通点。主役がカミさんってことだ。ハムの記事ばかり書いてるのに。それを差し置いて。


それを伝えるとカミさん「そやろ、そやろ」って、喜んでる。「でも、その人気って誰が決めるっちゃろ? あんたのブログを読んだ人が決めると? 投票するん?」


想像もできないボケが飛んでくる。まるで松本伊代だ。昨日30日の土曜日、サンテレビでやってた「ウチくる!?」に出てた。夫のヒロミが言ってた。「ママはね、苗字って何、って聞くんだ」。ちょっと前にも言ってた。「ねば~る君」を見てた伊代ちゃん「ねっ、パパ。人が入ってんのかな」。当たり前だ。伊代ちゃんはカミさんと同じ今年50歳…


「アクセス数に決まってるやろ」…「そうね、そうね。やっぱりね。わたしのことば書き。ハムのことやらいいけん」


そうは言われたけど、少しだけハムのことを

●2―4中日(15年5月29日)
賢介の故障が、ここまでとは思ってなかった。三塁からのタッチアップで右腕を抱えるように走塁してるじゃないか。気迫でセーフにはなったものの痛々しい。大いに心配だ。

○4―2中日(15年5月30日)
仕事から帰ってブログを書きながら録画を見てるんで、最後までまだ見られてません。でも吉見はどうしちゃったんだろ。降板までは生で見てましたけど。3回の投球を見て、あのカミさんに「今日の吉見なら、いつかつぶせる。でも大谷が復調するか心配」とラインで伝えたら、4回に吉見はマウンドにいなかった。やっぱり異変か。高校球児だった三男の経験上、故障は克服してほしい。それが球児の励みになる。


ああは言うものの、カミさんはブログ開設当時は興味がなかったハムに、今は熱狂してます。ラインのやりとりの、ほとんどがカミさんからのハムの実況ですから。

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2015年5月28日 (木)

最大の逆転やっぱり夢か

日本ハム4―7ヤクルト

あまりの惨敗ぶりに洗濯物を干していた。部屋に戻ると0-7ながら走者2人を置いて中田。「ホームランじゃない、走者をためよう」。でも「行った―」と思ったんだけどな。まあ、願い通りの二塁打で反撃ムードが一気に高まった。なのにねえ。


仕事休みなのに、仕事に出かけ、帰った時は8時前。上沢が真っ赤な顔をしてマウンドにいた。スマホで見ながら帰って来ようとしたのに見られない。J-COMオンデマンドの「新しいバージョンのアプリがあります。最新バージョンにアップデートしてください」なのに「お使いの端末はこのバージョンに対応していません」って何。


まあ、見ていたら失点シーンばかりだったのでいいか。冒頭の場面に戻ろう。中田二塁打で1-7。近藤の遊ゴロが今浪の失策を誘って3-7。杉谷が何かあったのかと思わせる4安打目で4―7。ヤクルトは投手交代。左の成瀬から右の今季2戦目の松岡。押せ押せ、攻めまくれでしょう。渡辺諒は期待の若手で前の打席にヒットを打ってるとはいえ、代打賢介でしょう。同じセカンドなんだから。もっとレフトスタンドが盛り上がったはずなんだけどなあ。今季、両リーグ通じて最大の逆転が見られると思ったのは淡い夢だった。


まあ8-0の試合を追いつかれたチームですけどねえ。その佑ちゃんは昨日GAORAで見たけど、何をしたいんだろう。残念でした。

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見ると聞くでは大違い

日本ハム5―5ヤクルト。

9年前を思い出してファイターズの試合論評を書こうかな。

昔は東京の職場のどこかで日本ハムの試合を見ることができたものだった。

でも、今の大阪の職場では、どのテレビもハムの試合が映ってない。だから、見ずして書くことはできなくなって、このブログも休止状態になった。

たとえば昨日の試合。2―3で迎えた無死二、三塁。浅間は見逃し三振に倒れた。テキスト速報では、あーあ、である。浅間っ、ここで見逃し三振はないだろ。まだ、1軍に上げるのは早すぎたかな。そんな妄想で家に帰ってきた。

でも今は、録画環境が進化して、CS放送も試合全部が録画できるようになった。今年は全てのハムの試合を家に帰って確認している。

だから…浅間くん、ごめんなんさい。君の特長は選球眼、って記事を読みました。あのストライクの判定はないよな。でも、最近はストライクボールの判定に不服をいう打者もベンチも、ほとんどなくなった。これは、いいことだ。

でも、22日の札幌ドームで、近藤が打った遊ゴロだか三ゴロはセーフです。完全に一塁手の足がベースから離れていました。何より札幌ドームの反応がそれを証明しています。わたしも、その場に、いましたから。このお話は、また記すとして。

神宮の試合。栗山監督も「うれしい」って言ってるぐらいだから、負けなくて良かった。誰も責められない。白村は、よく抑えたよ。慶応ボーイには見えない風貌がいい。なーんか親近感を覚えて、応援してしまうんだよな。

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2015年5月27日 (水)

富田勝さんの衝撃

日本ハムの交流戦初戦白星に気を良くしていた深夜、「えっ」…パソコン画面の文字に驚いた。


「法政三羽がらす」の富田勝氏が死去 68歳


ネットのニュースに目を疑った。


過去、元プロ野球選手の訃報を目にしてきたが、最大の衝撃だった。わたしを日本ハムファイターズの「とりこ」にさせてくれた選手。それが、富田勝さんだった。長らく休止状態にあったこのブログであるが、さすがに書かずにはいられなかった。


あれは1978年(昭53)3月11日のこと。日本ハムファイターズが、わたしの住む山口県萩市にやってきた。大洋対日本ハム。まさかのファンのチームの来萩に、ドキドキわくわくして観戦に行った。


Photo


大洋のホームゲームなので日本ハムは先攻。先発は前年の新人王・斉藤明雄だ。その1球目は目にも止まらない速球だった。三塁ベンチの真後ろで見ていた中1少年には、信じられない速さ。地方球場だから距離が近い。にしても、あの速さは衝撃。「こんな球をどうやって打つんだろう」。そう思った瞬間に「カキーン」。


打球音は37年たった今でも耳に焼きついている。1番富田の打球は、これも目にも止まらない速さで、ライト前に達していた。「プロって、すげえ」。感嘆した瞬間だった。このヒットが、今でもファイターズファンでいる、わたしのルーツだ。


この試合、終盤にもつれる。9回に4―4の同点に追いついた裏、マウンドには移籍1年目の間柴。確かこの年、移籍3年目の富田さんはキャプテンじゃなかったか。三塁側ベンチの真上だから、選手の声も聞こえる。「間柴っ、踏ん張れよっ」。


一際大きい声は、富田さんじゃなかったか。その激励むなしく、ハムはサヨナラ負け。傷心で球場を後にしたことを思い出す。


ショックは、それだけじゃなかった。大量の色紙を持っていったのにサインは0。日本ハムファンの中1少年に「サインください」の声が緊張のあまり、出せなかったのだ。翌年は大洋対ロッテ。レオンと岩崎のサイン色紙は、今でも実家に飾ってある。岩崎は後にファイターズに移籍してきた。


富田さんの、あのバッティングは今でも目に焼き付いている。こんなずごい1番バッターのいるチームをずっと応援したい。ホテルまで自転車を飛ばして、「サインください」と言いたい。それもできなかったけど。富田さんは、81年に中日に移籍。その年にハムは初優勝を遂げることになるが、間違いなくファイターズV1の礎を築いてくれた。


50歳になるこの年まで、日本ハムに夢中にさせてくれて、ありがとうございました。謹んで哀悼の意をささげます。

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