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2007年11月 3日 (土)

それは、なしだ!

絶好調だった。
昨日のブログを書き終え1時間後、
朝、5時25分に小6三男を起こして、車で10分、
都立の公園、400メートルトラックを走ろう
としたが、雨でベチョベチョ。

普段は10分ほどで5周するトラックを
12分で4周。
ラジオ体操の第1と第2をして
ゲートボール場に移って投球練習。

大きいB球から再び小さいC球、
18.44メートルから16メートルに距離も戻すと
「ビュッ」ときてたねえ。

「今日、良かったろ」。

こんなふうに聞いてくるのも珍しい。
「これが、日曜まで、もつかなあ」とも。
「あと、たった2日やないか。もたせろ」。

すっかり、日本シリーズのモードから
自分が投げるであろう、練習試合モードになってる。

「じゃあ、札幌行きはキャンセルしていいんだな」。

父ちゃんは、泣く泣く、西鉄旅行に電話を入れた。
「前日なので、40%のキャンセル料をいただきます」。
しかし、なんで、東京から北海道に行くのに
西鉄旅行なんだろ? わたしは、福岡になじみが
あるから、いいんだけど。

あーあ。なんか、もったいない。
でも、試合をやってない札幌ドームを見ても
しようがないよな。

その札幌ドームが、昨日は、修羅場と化したらしい。

わたしは、耳を、いや目を疑った。

佐藤投手コーチにクビ通告?

先日、どこのスポーツ紙だったか
前高田GMが、ヤクルトに連れて行く、なんて
記事が載った。

「行くんなら、1人で行けよ」。
怒りをあらわにしたが、その後、そんな報道はなくなった。

ホッとしたのもつかのま、
「やっぱり、引き抜きか」と思ってたら
どうも、様子は違うようだ。

ヤクルトは、この日、スタッフを発表した。
投手コーチは荒木、伊東…。
生え抜き2人か。佐藤コーチの入る余地はない。

一方、道新スポーツには
ハム投手コーチに吉井
なんて記事が載ったらしい。

いったい、何が、あったんだ。

しかしなあ。
佐藤コーチを「クビ」にするなんて、
どうかしてる。

「辞めます」と言われれも、すがりついてでも
引き留めるべき逸材でしょ。
佐藤コーチは、ハムを「投手王国」にしてくれた
最大の功労者じゃないか。

想像するに…

高田GMは佐藤コーチを引き抜こうとした。
でも、ヤクルトは荒木コーチをとった。
ハムは、佐藤コーチを残留させようとしたところ
吉井が、ロッテから戦力外通告を受けた。
梨田監督と吉井は「近鉄ライン」。
梨田監督が、吉井の投手コーチを進言した。
ハムは佐藤コーチを解任せざるをえなくなったが
佐藤コーチは、もうヤクルトには行けない。
だから、怒った。

って、ことなのかなあ。

佐藤コーチにだけは、辞めてほしくなかった。
ましてや、追い出すなんてもってのほかだ。

ずいぶんと、梨田監督の「息のかかった」人たちが
入閣するようだけど、
トップが替われば、側近も変わるのが常だろうけど
有能な人材を「クビ」にしてまでも、
大ナタをふるうべきなのか。

ヒルマン政権だって、集めたわけじゃなくて
ヒルマン監督が、つくりあげたものでしょ。

梨田監督の就任にあたって、
相当な条件を、のまされたのかなあ。

なんて、酔った勢いで、
思いのタケを、ぶつけてみました。

三男よ、思いのタケをぶつけろ。
完全試合でも、やってみろ。

って、試合は明日でした。

今日、わたしは、仕事が休みなもので、
タガが、外れてるなあ。

今日は、シニアリーグの見学に行くのでした。
中学の部活か、シニアか。
それが、悩みどころだ。

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2007年11月 2日 (金)

札幌に連れてって欲しかった

●日本ハム0‐1中日

山井から岩瀬への交代を告げられたとき、
終戦を覚悟した。
ハムは札幌へ戻れなかった。
わたしの札幌行きも消滅した。

異様な雰囲気の中、
山井が完全試合を目指すマウンドに立つ。
言いようのない重圧に包まれるだろう。そこにしか、
ハムの付け入るスキはないと、思っていた。
でも、落合監督なら岩瀬への交代を告げるだろう。
しかし、ナゴヤドームの観客がそうさせるのか。
落合監督の決意が揺らいでくれ、
そう願ったがかなわなかった。
落合監督の、したたかさに屈してしまった。

今回は、土日が札幌開催。
昨年は1人で行った決戦の地に、今年は
日本ハムファンに仕立て上げた、
いや、自らの意思でなった
野球少年の小6三男と行くはずだったのに。

一般発売の電話が、10時10分に、
奇跡的につながった。
取れた席は、三塁側ベンチのすぐ上。
今まで、経験したことのないような「特等席」で、
ハムを応援するのを楽しみにしていたのに。

負けても、親子旅行をするはずだった。
「カニ、ねっ、野球がなくても、カニ食べに行こう」。
そう言ってた。
旭山動物園行きも予定し、
帰りは旭川からの飛行機をおさえたんだけど。

4日の日曜日、三男に野球の練習試合が入った。
一応、エース。投げなきゃいけない。
それでも「練習試合なら、日本シリーズ」。
そう言っていたが、負けた瞬間
「オラ、練習試合に出る」と、カミさんに告げたらしい。

やっぱり、先週の試合が心にひっかっかっていたんだろう。
秋のリーグ戦3位決定戦で、1回3分の0KO。
投げ方がわかんなくなったとかで、パニック状態。
ストライクが入んない。
1-1の2回表、無死から連続死球を出して、
交代を告げられた。
1回の2四球と合わせて4四死球、
失った1点も暴投では、致し方ない。
レフトのポジションで、泣きじゃくっていた。
公式戦最終戦で、自己最短降板。いたたまれなかった。
チームが勝ったのが、救いだった。

練習試合とはいえ、予定になかったリベンジの場。
思いっきり、心のたけをぶつけてくれ。
完全試合の、お返しをしてやれ。
さあ、1時間後には朝走だ。B球にもちかえた左手に
再びC球を握って、投球練習だ。

ツアーの前日キャンセル料、4割の分もね。
ああ、小市民…。

完膚なきまでにやられたハム首脳陣は、
事実上の解散をするらしい。

これが転落の第1歩にならないことだけを祈る。
この2年が、いい夢だったと、後に振り返りたくないから。

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