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2006年7月14日 (金)

宮田コーチあるところに投手王国

 宮田征典さんが亡くなった。言わずと知れた「8時半の男」。巨人のV9が始まった65年には20勝、うち19勝がリリーフの勝ち星だったそうだ。セーブ制度のない時代だけど、今に置き換えると22セーブだったそう。ならば一昨年までのセーブポイントは41。断トツのタイトルだろう。ホールド制もあれば、ホールドポイントは少なくとも19ある。さらに、69試合で20勝5敗22Sだから、残り22試合のほとんどはホールドだろう。中継ぎ、救援のダブル受賞もあったのかもしれない。すごいセットアッパー兼守護神だ。164回3分の2も投げている。でも、現役時代の勇姿は知らない。わたしは64年生まれだから。

 知っているのは、名コーチとしての宮田さんだ。日本ハムファンは、ただ1度の優勝は、宮田コーチのおかげと信じている。巨人から移籍された77年から、日本ハムの成績は上昇カーブを描く。わたしがファンになったには、高橋一三や富田が巨人から移籍した76年。その年の5位を起点に5位→3位→3位→3位、そして81年の1位だ。ソレイタを筆頭に、クルーズや柏原、古屋、大宮に島田誠、高代、岡持、井上弘と強力打線のイメージが強烈だが、その背景には、育ってきた投手力の裏付けもあった。間柴15勝0敗、岡部13勝2敗だから、この2人で貯金が26。もちろん、植村コーチや、この年に三顧の礼で迎えた江夏の存在を否定はしないけど、投手王国の礎を築いたのは、宮田コーチだった。

 それが証拠に、宮田コーチは83年に西武に移籍。なぜ、引き止めないのかと、子ども心、いやそれは言いすぎか、高校生心に不思議に思っていたのだが、案の定、そこから日本ハムの成績は急降下。代わって西武時代が訪れる。その強さを支えたのは、やはり「投手王国」だった。今でも、宮田コーチの流出は、なんてもったいないことを、と思い出す。

 宮田コーチに手向けの優勝を贈ってほしいのだが、世間は結びつけようともしないだろうなあ。さっき日テレのニュースを見ていたら、「現役引退後は巨人、西武、中日などのコーチを歴任」と紹介してたもんなあ。など、と言わずに、日本ハム、って言えばすむことなんじゃ、ないの。

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