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2006年1月31日 (火)

ニンテンドーDSにハマってる

 長いこと更新が途切れていたのは、送別会だ、新年会だ、歓迎会だ、反省会だ、と仕事帰りに毎日のように飲み歩いていたせいもあるのだが、もう一つ理由がある。ニンテンドーDSの「脳を鍛えるトレーニング」にハマってしまった。

 わが家はゲーム禁止だったはずなのに、ニンテンドーDSを買ってしまった。中1長男が期末テストで80点以上取れば、カミさんが「買うちゃる。世界中のゲームば持ってこーい」と約束したからではない。長男の平均点は75点。そんなに遠い数字じゃないじゃないか。「そうよ。冷や汗ば、かいたー」とカミさん。変な約束をするから、子どもの点数が上がらないように祈らなきゃならない。

 でも、ニンテンドーDSはある。長男が、納得できない、といったふうに聞いてくる。「なんで、買ったん」。さらには、「今さら買うなよな。禁止なら禁止の方が、カッコいいよ」と口をとんがらかす。すまん、主義主張を曲げて。すべては、「おいでよどうぶつの森」をしたいと懇願した小6次男に負けたから。ほとんどの友だちが持っている。だから、友だちと遊べない、と言われると…。そして、わたしにも、はやりの「脳トレ」をやってみたい気持ちもあった。で、ハマってしまった。

 しかし、DSは、ないもんですなあ。簡単に買えると思いきや、時期が悪かった。正月明けのお年玉戦線でほとんど売れてしまったらしく、特に東京は品薄とかで、1月15日に次男は、近くのTSUTAYAやヤマダ電機から、ちょっと遠いけどビックカメラ池袋本店とかの量販店、さらには新古書店やらゲーム店に、かたっぱしから30店以上電話しても、「売り切れました」の返事ばかり。唯一、ブックオフ要町店に「中古ならあります」と言われ、「中古? やめようよ」とは言っても、次男の心の火は消せない。仕方ないかと出かけ、そういや近くにゲオ要町店があったと思い出し、そこには電話はしてないという。なら試しにと入ってみると、「1台だけあります」。「えっ、新品が?」「はい」。その時の次男の感激ぶりときたら。「やったー」の声が、店中に響きわたった。

 丁重にブックオフ要町店に、わびを入れ、今に至る。「アンタ、何分やっとーと。いい加減にしーよっ」と、みんながカミさんの罵声を浴びながら。

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2006年1月26日 (木)

メール1本「ご飯はない」

 仕事も終わり、そろそろ帰るかと、ふとPHSを見ると、カミさんからメールが届いてた。仲直りもしたし、愛のメッセージか、いや、そんなことはないと、見てみると

 「お寿司を食べに行ったから、ごはんは何もないです。食べてくるか、適当に食べてください。鬼嫁みたいに言わんでよ。作っておいても食べてくるんだから」。…。

 適当に食べてください、って、何もないと伝えてきて、何を食えというんだ。確かに、昨日も飲みにいった。帰ってブログを書き終わった朝には、みんな、起きてきた。ここ最近、ほとんど家で飯を食った記憶はない。でも、今日は違うんだよなあ。

 仕事が早いんだよなあ。いつもより、5時間以上も早い、午前10時には家を出なきゃいけないのに。だから、真っすぐ帰って、風呂に入って、飯を食って、すぐ寝ようと思ってたのに、それでも5時間も寝れないのに。飯がない…。

 給料日だからって、オレ抜きで家族4人で寿司を食いに行きやがって。さぞ、おいしく、楽しかったんでしょうね。だいたい、食べてこいと言われても、人の財布からキャッシュカードを抜きやがって。下ろせやしなかったから、金もない。これは、周到に用意された、計画的犯行に違いない。わたしは、まんまと、はめられてしまった。

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2006年1月25日 (水)

図書の授業の参観日

 今日、というか、昨日から今日にかけては、1日が長いなあ。この記事が何時にアップされるかは分からないけど、書き始めた今は、わたしが家に帰ってきた午前5時半です。もう、何時間、起きてるんだろう…。

 そもそも、昨日のブログに書いたケンカの前に、話はしてたんです。カミさんが子どもに言う。「あした、学校公開やけんね。アンタら、何時間目に来て欲しいと。1時間目以外の時間を言いーっつ」。

 学校公開とは、授業参観の「拡大版」。わたしも、東京に来て初めて知ったのですが、1日中、小学校があいてて、どの授業を見てもいいシステムなのだ。

 子どもは答えた。「じゃあ、2時間目」。カミさん「2時間目は、早いねえ。行けんかもしれん」。なら、最初っから、2時間目も行けん、って言えよ。と、他人事で聞いてたら、一大事でも起こったような、カミさんの叫び声。「あー、あした、学校公開やら行けん。わたし、コーラスやった。なんか、忘れとったと、思うとったんよねえ」。

 コーラスとは、火曜日に、カミさんが毎週、通っている、コーラスサークルの練習日。何を今さら思い出しとんじゃ、毎週、決まったスケジュールやろ、と思うと「ねっ、アンタ、行ける?」と聞いてくる。「オレ? テニス」。毎週月曜日が仕事休みのわたしは、週の始まりの火曜日はテニススクール。午後1時半から3時まで、心地いい汗を流した後、4時から仕事をすることにしている。普段、午後2時とか3時にしか起きないわたしが、頑張って昼過ぎに起きてるという日なのに、そんなことは、お構いなし。「あんた、テニスと子どもと、どっちが、大切やんね?」。そのまま同じ言葉を返してやりたいけど、どうせ言うんだろうね。「それと、これとは別ったい」って。案の定、言われた。「だいたい、アンタだって、たまには、学校に行っても、いいっちゃろ」。

 行きましたよ。午前11時に目覚まし時計に起こされて。わたしの習慣では、午前6時前には寝れないのに、5時間ほど寝ただけで、誰もいない家を出て学校へ。

 ところが、小4三男の教室に行っても誰もいない。なんだ? と思っていると、黒板の文字が目に入った。「4時間目は、図書の授業です。図書室にいます」。ふーん、と図書室に行くと、父母なんて、誰もいない。それでも、と、ドアを開けて入ると先生が、あいさつしてきた。「図書の授業なんです」「何を、するんですか?」「みんなで、本を読みます」。たーだ、ガキどもが、本を読む姿をながめていた。退屈だ。でも、こんな世界もいい。わたしも一緒に、図書室の本を読んでいた。

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2006年1月24日 (火)

ホリエモンも食わぬ夫婦ゲンカ

 なんで、ホリエモンの逮捕で、われわれ夫婦が、怒鳴り合いの大ゲンカをしなきゃ、ならんのだ。

 仕事休みの昨日は、ずっと、そのニュースを見ていた。「実体のない会社は、こうなるよなあ。ライブドアなんて会社、IT企業とはいっても、実態は何やってんだか、わからんやろ」などと持論を展開していると、カミさんが「ほか(のIT企業)だって、わかるもんかいね」と反論を始めたその時、楽天の三木谷社長がテレビ画面に映った。「楽天だって、同じようなもんやろうもん」とカミさん。「いや、違う」とわたし。「なして違うなんて、アンタ言えるん?」と、突っかかってくる。

 「だからあ!!」。わたしは声を荒げてしまった。「楽天はインターネットに一番大きい仮想商店街をつくったやろうが。何の実体もない、ライブドアとは違うと!」などと必死になって説明しても、反応は「ふーん」だけ。そして「わたし、三木谷さん、キライやもん」とぬかしやがった。

 「キライ? 誰も、好きとか、キライとかの話は、しよらんやろ! 人が真面目に説明しようのに」とさらに声を荒げると、「何、ムキになりよん? バッカやないと? なん、三木谷さんば、かばいよーと?」とくる。かばう? 同学年という共通点はあっても、なんで見ず知らずの人間をかばわな、ならんのだ。そして、どこから、「かばう」なんて発想が、出てくるのか。その後も「アンタ、わかるん? それ、ホントね、アンタが見たんね」などと、人の説明にいちいち突っかかってくるから「ホントのところは、わからんよ」と言うと「ほら、わからんやないね」とこうだ。あったまにきて、「そしたら、そこにあるテレビだって、ビデオだって、ほんとにソニーとか、シャープがつくったんか、わかるんかー」などと怒鳴ってる。本質から外れて、収拾がつかなくなってしまった。

 「実録鬼嫁日記」の存在は知っていたが、昨日、初めて手にとった。古本市場で見つけ、パラパラッとめくると、あまりにおもしろいので買ってしまった。バスに乗り、運転手の直後の席で何度も吹き出してたから、おかしいヤツと思われたかもしれない。福岡の物語だとは知らなかった。「鬼嫁」は熊本、「カミさん」は福岡だけど、同じ九州女…。

 「おもしろいよ」とカミさんにすすめてみた。東野圭吾の直木賞作品を中断して読み出したが、アレッ? 反応がない。しばらくして「どう?」と聞くと、「なんか、そうでもないねえ。普通っていうか、常識的で驚きがない」と言って、東野圭吾に戻ってしまった。あれが常識ねえ…。口角泡を飛ばす勢いでケンカを挑んだオレが、バカらしくむなしい。

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2006年1月 3日 (火)

近藤貞雄さんを悼む

 とは、タイトルをつけてみたものの、何を書きましょうか。

 日本ハムファンだからと、責任を感じて画面に向かったものの不思議なぐらい思い出は、ないんですよ。

 近藤さんが日本ハムの監督に就任されたのは89年。わたしが、社会人2年目でした。自分の生活に、余裕がなかったんでしょう。社会人として、必死に生きていかなきゃいけない。そんな気持ちが、生活の中心を、日本ハムから会社へ置き換えなきゃいけない時期で。ハムが強さを取り戻してくれれば、まだ心も動かされたんでしょうが、この年から5位、4位、4位ですから。たいした見せ場もないチームでした。大沢監督の退任以来、植村監督がどん底に落としてくれたチームは、這いつくばってました。監督としては、82年に中日を優勝させましたけど、その年以外は、全部Bクラスなんですよね。そんな指揮官も珍しい。優勝のお立ち台で、乱入したファンに帽子を取られて本気で怒っていた場面を思い出しました。

 それは映像ですけど、近藤さんを拝見した生の場面に強烈な印象が、あるんですよ。あれは、日本ハム監督就任前の評論化時代。大学生のわたしは、とある中日系のマスコミでアルバイトをしていました。新聞の評論家って、自分で記事を書くことがないって聞いて驚いて。でも、例外があるって聞いて。近藤貞雄さんだけは、自分で書いてるんだって。

 へえって思っているとある日、会社のフロアで近藤さんをお見かけしました。ホールで談笑されてたから、ただ遊びにきたもんだと思ってましたけど、しばらくすると、机に向かい、原稿用紙を前にペンを走らせておられました。ああ、この評論家は、本当に自ら評論記事を書いてるんだ、その光景を目の当たりにして、いたく関心したのを覚えてます。そんな理論家なら、監督就任のニュースを聞いた時に、ハムをよみがえらせてくれると期待が大きかったんですけど…。

 就任年のプロ野球ニュースの座談会かなんかで、「わたしは送りバントはしません」と宣言されていたことも思い出されます。当時は、西武「森野球」の全盛期。強いけど、面白くもなんともない野球に反発した発言だったのでしょう。思えば、今この時代に、面白い野球を見たかった気がします。野村監督との対決なんて、興味をそそったかもしれません。

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