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2005年12月26日 (月)

酔っ払いの向こう側

 いやー、きれいきれい、って、何がきれいかと言えば、東京の夜空。

 満月じゃない、三日月なんだけど月が、光ってた。

 思えば、17年前の春、初めて東京に出てきたとき、
 寂しくなって夜空を見上げた時
 「今日、曇ってますね。星が見えないですから」って言った時、
 住み込みで働いてた、新聞販売店のオヤジさんが言った。
 「東京じゃあ、星は見えねえんだよ」。

 「そうなんだ」。寂しく悲しくなったのを、思い出した。

 でも、今、星も見えてた。
 東京だって、空気が澄む時間も季節もあるんだなあ。

 その場所からは、17年も経つのに
 歩いて5分も離れてない。

 今、午前5時45分。

 なんで、こんな時間に外に出たかと言えば、
 それは、言えないなあ。

 禁煙中だから。

 でも、きれいだった。さっきまで、仕事のモヤモヤが
 心の中に充満してたから。

 モヤモヤは、少し晴れた。

 自分の煙で、少し汚したかもしれない。

 そういや、最近、雨が降ってない。
 部下に同意を求めたら
 「洗濯物が、よう乾きます」
 だって。

 早う、結婚せえ。

 仕事中のフロアでは、「M1グランプリ」がついてた。

 録画してきたから、結果を知らずにいたいから
 「見るな」って言いたかったけど、
 1台じゃない、複数台ついてたから、言ってもムダだった。

 さらに、電話した先の受話器の向こう側からも聞こえたから
 相当に注目されているのね。

 決勝は、「圧勝、圧勝」って言ってた。

 「笑い飯」という名前は聞いたけど
 対戦相手は、覚えてない。
 カタカナだったから。

 今、ビデオで「ブラックマヨネーズ」
 に笑ったところ。

 年のせいか、カタカナが覚えられなくて
 良かった。
  わたし、英語だけじゃなく
 世界史も、偏差値38でした。
 解答用紙に全部
 アメンホテップ4世
 と書きました。

 ビデオで、ガチンコの世界を
 楽しんでます。この戦いは、どうなるのか。

 それとも、もう寝ようか。

 若者が一生懸命の世界に
 妙に心が新鮮になって

 外に出れば、空の美しさに心が洗われて
 こんな文章を書きました。

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2005年12月12日 (月)

王者も今日から期末考査

 いやー、驚いた。今、買ってきた日刊スポーツを開くと、3面にドーンと「16歳新女王 中村美里」の大見出し。記事には、しっかり「渋谷教育渋谷高」と入っている。中1長男の通う「渋渋」の高校生、中村美里選手が、昨日の福岡国際柔道で初優勝に輝いた。高1以下での同大会優勝は、YAWARAちゃん以来の快挙だという。今日の学校は、大騒ぎだろう。あっ、今日から期末考査か。でも、大騒ぎだろう。

 昨日は家族そろって、テレビに見入っていた。中村選手のプロフィルを紹介するVTRが流れると、長男「オレの学校だ」と言って興奮している。北田選手との決勝戦「1本」の判定に、「ヤッター」と大歓声。しかし技ありに変更。「なして、なして」とカミさん。知らん…。しかし、知り合いでもないのに、なんでここまで熱中してるのだろう。長男と同じ学校に通っている生徒というだけ。でも、それで十分か。勝利の瞬間には、みんなで拍手を送った。

 昨日のこのブログは、アクセス数294と、最高の数字を記録したのだが、それも中村選手のおかげだった。検索ワードをみてみると「中村美里」「渋谷教育渋谷高」「柔道」なんて言葉が、やたらに目立った。そして、優勝の決まった午後4時台以降に、数字が急増している。思わぬ渋渋効果。ありがとう、そして、中村選手おめでとう。

 期末考査の勉強を中断してテレビを見ていた長男。中継が終わると「中村さんも、明日から試験なのかなあ」。わたし「そりゃ、そうやろ」。すると長男「いいなあ、赤点とっても、何も言われんやろうね」。わたしとカミさん、同時に叫んでいた「そんな問題じゃない!」。

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2005年12月11日 (日)

ニンジン作戦なのかニンテンドーDS

 「ニンテンドーDS、手に入るかなあ」。福岡で明け方まで飲んでた酒が、まだ残っていたので、ソファーでグタッとしてた出張帰りの9日の夜、勉強をしていた中1長男が、突然つぶやいた。わが家では、ゲームは禁止。許していた時期もあったが、収拾がつかないほどやり続けていたので、やっぱり禁止。しかし、隠していたゲームボーイアドバンスを次男と三男が見つけ出し、隠れてやっていて、それがバレたので、ゲーム機2台を金属バットで粉々にしてやった。そんな事情を知っているはずなのに、なぜ、そんなことを言う?

 「ママが買ってくれるって! 期末(試験)で平均80(点)以上、取ったら」。そのママは、午後11時を過ぎても帰ってきてない。何の懇親会だか忘年会だか知らないが、まだ歌ってるのか。その間にも、居酒屋の庄やから、翌日の宴会予約を確認する電話が入ってきたから、この年末、どれほど飲むつもりなんだろう。そういや昼間、福岡空港にいたわたしに電話がきた。「今月、お金ないんよー。そこで思ったんやけど、アンタ今、出張やろ。そしたら出ようもん。出張費とやらが。それ、アタシにくれんね」。なんだ、そりゃ。それに、その金は、わたしの小遣いに、もう織り込んでいる。「アホか。オレの」と言って電話を切った。

 日付変更線を超えないうちに、カミさんが帰ってきた。「ただいま、フォーッ」とか奇声を上げて、腕を振り上げている。勉強を終えて「着信アリ」に見入ってた長男、「うるさいなー、聞こえない」。カミさん、お構いなしに「学問ば、したかーっ?」といっそう声を張り上げるから、長男「うるせえな、酔っ払いババアーッ」。でも動じない。「そげなこと言うと、ニンテンドーDSば買わんけんね」とか返してる。わたしが「なして、ゲームを買ってやるとか言うんか」と聞くと「80点取れたらのハナシ!。取れるわけなーい」。わたし危機感を覚えて「えっ、中間は取れとったやん」と聞くと「中間と期末は違うと!」「どこが?」「範囲が広い」。たったそれだけで…と返そうとすると「ニンテンドー80でも90でも、買うちゃる。世界中のゲーム機ば持ってこーい」。酔っ払ってるのか、ゲキを飛ばしてるのか、よくわからないし、ゲーム機の名前とテストの点数が、ごっちゃになっている。

 と、カミさん。小6次男の、漢検(漢字検定)5級の合格証を見つけた。「わっ、すげえ。あいつ受かっとる。何の勉強もしとらんとに」。次男は長男と違って、中学受験なんてまったく興味なし。家で教科書を広げた姿なんて、見たことない。素直に次男の「快挙」を褒めりゃいいのに、カミさん、長男に向かって「アンタ、今度4級ば受けるっちゃろ。落ちたら、あいつ(次男)と一緒(のレベル)やけんね」。「うるせえなあ」。長男の叫びが響いた。渋渋の期末考査は、あす12日から。

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2005年12月 9日 (金)

初体験! スイートルームと介助犬

 いろんなことを経験させてもらえた、東京から福岡へ1泊2日の出張だった。

 眠い目をこすって羽田空港に到着したのは、12月8日午前8時45分。9時20分の飛行機に乗るためだ。自動チェックイン機に航空券を入れても手続きできない。「なんでだよ」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「出発が遅れまして10時の見込みです」「えーっ」。その程度の遅れは何てことないが、それなら、そうと言ってくれよ。あと40分寝られたじゃないか。1時半まで仕事をして、羽田空港近くのホテルでベッドに入ったのは、午前4時。4時間も寝てないし、「寝過ごすわけにはいかない」という重圧で熟睡できてないのに。と、航空券と一緒に500円の喫茶券をくれた。なるほど、だから自動チェックインできなかったのか。寒くって、温かいコーヒーが飲みたかったので、ちょうど良かった。


 福岡の宿泊先は、グランド・ハイアット・福岡。こんな高級ホテル、初めてだ。好き好んで選んだわけじゃなく、ここしか空室がないと言われたから。往復の航空券と宿泊がセットになった、いわゆる「出張パック」。ヘタすりゃ、片道の正規運賃より安く往復できて、ホテルもついてくる。どんな料金システムになってるのか、よく分からないが、使わない手はない。9000円のオプション代金は痛かったが、ここしかないんじゃ致し方ない。

 grandhyattfukuokaチェックインしたのは午前2時ぐらいだったか。「スイート…」とか言われたけど、酔っ払ってたので適当に返事をして部屋に入ると、スイートルームじゃないか。何かの間違いじゃないかと、慌ててフロントに引き返して確認すると「あいにく満室でして、狭い部屋がご用意できなくて、申し訳ありません」だって。こんなおわびも珍しい。興奮しながら中洲の街に出て、何時にどうやって帰ったか覚えていない。目が覚めた時には、ベッドルームの床に寝てた。せっかくのスイートルームが、もったいない…。よくよく歩いてみると、5人で住んでいるわが家よりも、広い感じがした。

 二日酔い、というか、さっきまで飲んでたから、酔っ払った状態で福岡空港へ。と、また、自動チェックインできない。「また遅れるのか」とブツブツ言いながら有人カウンターへ行くと「お席の確認をしてまいります」。?? クラスJを取ったのに、ないのかな、と不安がよぎった。これも好き好んでクラスJにしたわけじゃない。この便の空席が1席しかなく、それがクラスJと言われたから。2000円のオプション代金は痛かったが仕方ない。それに、体がキツいので、クラスJに座りたかった。

 「クラスJは満席でして」(やっぱりか…)「お隣のお客様が、かいじょけんをお連れで」「はっ?」「介助犬です。ご了承いただけますか」「ええ、何の問題もなく」。席に行くと、いたいた。大きい犬が、ベタっと座っている。盲導犬なら知っていたが、介助犬は初めてだ。目がすごくかわいらしいし、何よりおとなしい。ワンもキャンも、一言も発さない。さすがに離陸の時には不安そうに起き上がったが、たしなめられると、頭を下げた。立派だ。着陸は、もっと不安だったのか、わたしの足に体をすり寄せてきた。子どもが大きくなって、寄り付かなくなった今、介助犬の仕草が、何ともいとおしかった。

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2005年12月 8日 (木)

車がヘコんだわけは

 もう2週間も前の話だけど、車がヘコんだのには伏線がある。アトピー性皮膚炎に苦しむ小4三男の症状が、冬になってひどくなってきたので、近くのかかりつけ医に行った。わたしの体質そのままだから、責任も感じている。かねてから、血液によるアレルギー検査を、行きつけの整体師や薬剤師から勧められていたので、親子そろって受けようとしたわけだ。

 ところが、まあ病院の混雑のひどいこと。2時間以上待った。医師は検査を快く引き受けてくれ、1回に11項目しか出来ないと言われたので、11項目を埋めなきゃいけないと思い、ダニやらハウスダストやら、牛乳やら卵やら、原因になりそうな物質に、ひたすらチェックマークをつけていった。で、会計。2人で1万円を超えた。「すみません、持ち合わせがないので、下ろしてきます」。大恥をかいた。さらに、薬局では4000円以上。医療費とはいえ、1万5000円もの出費を、わが家は簡単に許せはしない。そんなに、金がかかる検査なら、先に言ってくれよ。いや、医者はそんなこと言わないか。3週間分も薬を出す必要があるのか…などとモヤモヤしながら運転していたから、悲劇は起こった。と言い訳をする。

 家に帰って、さらに怒りは増した。処方された塗り薬の「プロトピック」という名前は確か「発ガン性があるから、絶対にダメです」と言われてた軟膏じゃないかなと、薬剤師に確認したところ、やっぱりそうだった。治癒効果があっても、発ガン性が指摘されている薬を処方する医師に対する信頼感は、一気にゼロになった。わたしは、その薬を、過去に何度も塗っている。

 さらに後日、怒、怒、怒…。検査結果を聞きにいった診察の場で「この検査は、こんなにお金がかかるんですか」と勇気を振り絞って聞いてみると「1項目1200円です。3割負担だから、自己負担は360円です」。11項目だと、4000円弱か。前回の会計も納得がいった。さらに、医師の言葉が続いた。「費用がかかりますんで、それでも検査をしますか、と確認してるんですよ」。はっ? アンタ、前回、一言でも、そんな話をしたっけ?? もし聞いてりゃ、家計の見直し中で、出費制限を強いられてるわが家は、11項目も選ばず、選び抜いたはずだ。よくまあ、しゃーしゃーと、そんなことが言える。

 でも、その医師をかかりつけ医として、3年以上通っていたのも事実だし、混雑しているのも、事実なのだ。この現実を、どう説明すれば、いいのだろう。

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2005年12月 7日 (水)

夫婦のお別れとは

 会社の大先輩のお父さんが亡くなったので、昨日は、お葬式に行ってきた。87歳、大往生。などというのは、他人の勝手な思い。いくつであろうが、どんな原因だって、悲しみに差があるわけではない。夫に先立たれた奥さまの仕草が、わたしの胸を打った。

 失礼ながら、足腰も立たない、自分の力では歩けない老女が、亡き夫のそばから離れようとしないのだ。号泣しているわけではない、泣き崩れているわけではない。ただただ、心のままに体が動いている。そんな風に思えた。お別れの場面では、棺おけにすがりつき、夫の顔をなでてほおずり。その姿はいとおしく、こんなに愛されたご主人は、さぞ幸せだったろう、と感じずにはいられなかった。

 帰りの電車の中、同い年41歳の同僚と話した。「カミさんは、あんな風に、してくれるやろうか」「オレ(の妻)なんて、棺おけのふたをしめる時に、『フッ』って、笑ったりしてな」「その場に、いないかもしれん」「熟年離婚なあ、あるよなあ」。駅から家に帰る、真冬の風が、体に冷たかった。

 帰ったら、カミさんがいた。「どうやった」と聞くから、その様子を伝えた。そして聞いた。「アンタも、あげん、なるんやねえ」「誰が?」「アンタが」「誰に対して?」「オレに」「なして?」「いや、夫婦やから」。

 突然に、カミさんの声が大きくなった。「バッカやない! なして、アンタの顔やら、なでな、いかんと? 気持ち悪い。ほおずり? 冷とう、なっとっちゃろ」。まだ続いた。「アンタ、いくら言うても、酒ば、飲みようやろ。そげな人に、できるもんかいね」。いたたまれなくなったので、寝た。

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2005年12月 1日 (木)

車がヘコめば心もヘコむ

 うーっ…車がヘコんだ。心もヘコんだ。ぶつけてしまった。あーあ。あれから6日。通るたびに思い出す。

 ぶつけようのない怒りというか、車をぶつけたというか、なんで工事中なんだよ。家まで、あと少しで、通行止めと看板が立っていて「右か左に迂回して」と横柄な態度で言われ、左に行こうとしたら、一方通行の出口じゃないかっ! わたしの通過を何台かが待っていたので、あわててバックすると「ガン!」。やべえ、後ろの車にぶつけたか…とドアを開けて飛び出すと、その手前で止まってたから、まずはホッ。でも後ろの左コーナーは、カーブミラーにめりこんでいて、方向指示灯のオレンジと停車灯の赤いプラスチックが、バリバリと落ちてきた。あーあ。

 しかし、こんなこともあろうかと、車両保険に入っといたんだ。単独事故もOK。1度目事故の免責は、0にしておいた。昔、スパシオに乗ってた時代、わたしが左のドアをこすると、間髪を入れずにカミさんが右のドアをこすった。修理代は左が11万、右が9万で、わたしに軍配、って言ってる場合じゃない。ただのバカ夫婦だ。タウンエースに変えても、東京に引っ越していきなり車庫入れでこすった。その時の傷は車両保険に入っていなかったので治せないまま、これを教訓に保険に入りなおしたのだった。はやりのダイレクト保険。車両を加えても保険料は安くなった。

 怒り狂うカミさんに、「保険でおりる」と胸を張って答えると、「なら、いい」。しかし、保険を使えば等級が落ちる、ということは保険料が上がる。その総額は3年間で2万6000円という案内は事故報告をした際にもらったが、カミさんには黙っておいた。しかし翌日、担当者が決まりましたとの連絡の電話にカミさんが出てしまい、2万6000円の案内もされてしまった。当然のように言われた。「あんたが、払いーよ」。あーあ、うまくいったと思ってたのに。

 事故から6日。担当者の顔写真が入った案内書が届いた。テレビコマーシャルとおんなじだ。それを真似て「わー、すごーい」と驚いてみたら、カミさんも中1長男も、さげすんだ目で見てた。

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