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2005年6月11日 (土)

21年前って、こんな年

 それにしても、よく負ける。それも、心にズシンとくる重い負け方だ。日本ハムが、21年ぶりの10連敗を喫した。

 21年前は、1984年。昭和で言うと昭和59年。わたしが大学2年の時ってどんな年…、と少し考えて思い出した。大沢監督から植村監督に変わった初年度に、チームはガタガタになった。
 
 大沢監督は、西武の広岡監督に、過剰すぎるほどの対抗心を燃やし、例えば菜食主義に猛反発。「草なんか食って、力が出るか。ヤギさんのメエメエ野球か。肉を食え、肉を」と親会社の業種まで意識したような発言で盛り上げていた。選手も、それに呼応するように打倒西武に燃え、81年の優勝になって結実した。だが、植村監督は、大沢監督の放任主義が気に入らなかったみたいで、西武と同じ管理野球を打ち出したからたまらない。優勝からたった3年で、チームは奈落の底へ、まっ逆さまに落ちて行った。

 「タフ・トゥー・ジ・エンド」をキャッチフレーズに掲げたにも関わらず、監督本人が途中休養する始末。投手コーチとしては有能な方だったけど、監督の器ではなかった。大沢監督が復帰しても、もう手の施しようがなかった。前年に力の衰えがはっきり目立った江夏が西武に移籍はしたけど、優勝当時とメンバーは、そう変わってなかったのにである。ただ遊撃不動のレギュラー高代が序盤で大ケガをしてしまい、シーズンのほとんどを棒に振った。何でもできる2番打者の抜けた穴は大きいんだ、と痛感したことを覚えている。

 同時にわたしの願望も、かなえられないのかと、不安が募った年でもあった。山口・萩から東京へ出てきたのは、日本ハムのシリーズを目の前で見るため。優勝した81年は高2だったから、大学に行けば、すぐにでも見られると思っていた。ところが、大学2年で、この体たらく。大学生活を1年延長したが、かなうはずもなかった。そして今、仕事場が東京になった頃には、チームは東京を後にした。ああ…。

 ●日本ハム4-5阪神 何とかしてくれよー、小笠原っー。同点の8回、無死一塁で三邪飛かよ。打てないなら打てないで、走者を進めて欲しかった。自ら送りバントでもすれば、ベンチに、いい意味の緊迫感も走ったんじゃないかな、と思うけど。10回1死三塁では、カウント1-3からボール球を空振りし、挙げ句三振。ため息、焦燥感、イライラ…もう勘弁してくれ。わたしは北海道のファンのように、温かくはない。

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コメント

マユキチさま

「よさこい」が終わったあとの虚脱感で
日本ハムに気をやる気持ちになれないとか
存在すら忘れていた、なんて、ならないでください。

北海道の人に見放されたら、
ファイターズは行き場が、なくなります。
何卒、よろしくお願いします。

並べるの、難しいですね。

あっ、そうそう。地下鉄139駅スタンプラリー。
中学生や高校生の頃なら、喜んで挑戦したでしょうが、今はとても。
そのポスターを横目に見て通り過ぎてます。

投稿: 人生真ん中 | 2005年6月12日 (日) 05:18

さすがに「11連敗(しかも大逆転って」までくると、
道民のあたたかさもなくなってきてるでしょう。
(でも、あんなにボロボロのコンサにも
あたたかいサポーターがいるから、
まだ大丈夫・・・でしょうか。)

今頃は「よさこい」一色で、
ハムのへパワーが
薄れているのか。

私もハムの
試合は
見に

きたいけど、勝つ試合がいいな~。(キレイに並んだので遊んでしましました)

投稿: マユキチ | 2005年6月11日 (土) 22:32

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