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2005年3月29日 (火)

哀しみ本線日本海

 ファイターズ敗戦の報は鳥取砂丘で知った。0ー1。それもボークで二進した走者を適時打で生還させたという。まったすく何やってんだか…。開幕から押し出し死球に暴投で失点とミスばつかり。こんなのがなきゃ3連勝しててもおかしくない。砂丘を前に砂を噛む思いだ…。なんて、1人あまりに切なかったので、休む予定を変更して更新しました。初めてPHSで操作しているので、うまく表示されているか、わかりませんが。

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2005年3月28日 (月)

5時間8分イライラしただけ

 ふん詰まりのようなゲームは、最後までスッキリしなかった。サヨナラ負けかよ、ファイターズ。お互いのファンともに、イライラしたゲームだったろうけど、ソフトバンクは勝ったからいいだろう。日本ハムファンは、冗談じゃない。

 試合が長すぎる。手に汗を握り、時間を忘れてしまう試合展開ならいいが、ただダラダラしてるだけ。その責任は、昨日は主審にある。ストライクゾーンが狭すぎる。じゃあ、それで首尾一貫しているのならまだしも、ミスジャッジも多いから、話にならない。バティスタ盗塁を決めた3回松中の打席、カウント1-3からストライクといわれた高めの球は、絶対にボールだ。これは、日本ハムにはラッキーだったが、その後、ズレータの2-3からのインローはボールと判定されたが、ストライクだ。今度はアンラッキーだ。

 ストライク、ボールだけではない。その3回裏、満塁の場面で宮地が遊ゴロを放ち一塁はセーフと判定された。際どいとはいえ明らかにアウト。これで日本ハムは逆転されちゃったじゃないか! とはいえ、次の4回、大村の三盗失敗は、どこから見てもセーフだったから、助かったけどね。

 しかし、1球に神経をすり減らしている選手には、たまらんだろう。判定で試合の流れなんて、どっちにも転ぶんだから。ファンだってたまらない。挙げ句、内容のないただ長いだけの試合になってしまうとは、審判も球界改革を真剣に考えて欲しい。

 と、2度ほど書いた「ファイターズ批評」ですが、明日からしばらく、試合を見ることができないので、始めて早々ではありますが、休みます。すみません。

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2005年3月27日 (日)

9番坪井がベスト

 満塁で新庄。ピッチャーは三瀬。となれば、ファイターズファンは、昨年9月の札幌ドームの歓喜が、頭の中に甦ってきた。「初球のストレート。打球はレフトスタンド一直線」。だが初球は、絶妙の変化球だった。結局、新庄は三振。そうは、問屋がおろさない。そして、ソフトバンクは強かった。

 パ・リーグ開幕。30年来のハムファンは、このブログを、試合を振り返る場所にする。いいものができた。

 開幕戦のスタメンを見て「えっ」と声を上げた。9番レフト坪井…島田じゃないの? ソフトバンク和田を、昨年5割5分6厘と打っているのに。事実、スポーツ紙は全紙、島田のスタメンを予想していた。ほどなく、スポーツ・アイの島村アナが疑問に答えてくれた。「今年1年を戦っていくベストメンバーを、ラインナップした」。納得した。それがいい。目先の1勝よりも、1年を見据えた起用。左対左を嫌う、とか、相性を考えるのは、まだ先の話だ。確固たる信念に敬服した。

 1番センター 新 庄   右
 2番ファースト小  田   左
 3番サード  小笠原   左
 4番指名打者セギノール 両
 5番キャッチャー高橋信  右
 6番セカンド 木 元    左
 7番ライト   稲 葉    左
 8番ショート アルモンテ 右
 9番レフト  坪 井    左
 
 とんでもない強力打線だ。でも、わたしが1つ思うのは、5番と6番が逆か。そうすれば、2番3番を除けば、ジグザグ打線になるのに。ソフトバンクの、岡本、三瀬の交代のタイミングも変わってきただろう。

 そして、序盤の満塁機に坪井は凡退した。代打で出た島田は、2打席2出塁の結果を残した。うーむ、ああは言ったものの、やっぱり目先の1勝も欲しかった。だって、開幕戦だもん。


 それから、日本テレビさん! 注目の楽天のゲーム、千葉マリンのロッテ戦を途中で打ち切って、巨人オープン戦の録画中継を始めるなんて、どんな神経をしているんですか。

 西武対オリックスを中継したテレビ朝日さん! いい加減「お得意」の録画中継は、やめてくれませんか。開幕戦ぐらい、生で見せてください。

 そして、関東圏全地上波のテレビ局さん! ソフトバンク対日本ハムを、どこか中継してください。九州全県と北海道では、やってましたよ。楽天とカブる、日本テレビ系でしたけど。BSとスカパーが見られるCATVがあるから、別にいいんですけど、できれば2画面で見たいもんで。

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2005年3月23日 (水)

六本木で自分を憂えた

 昨日は六本木で、はしゃいだ。午前2時半から築地で寿司を食べ、閉店だからと追い出されたのが午前4時過ぎ。「物足らないでしょ」と部長代理を誘い、後輩は有無を言わせずタクシーに押し込み、13万というとてつもない曲数を誇る、カラオケBOXパセラへ。歌いたいと思った曲は、何でもあるといっても過言ではない。だから、もっとハジけるはずだった。部長代理は受付で「里谷多英の行ってた店はどこ?」なんて聞いてたほどだから、テンションは上がっていたのに。その顔は、ただのエロジジイだったけどね。でも、店を出た午前7時前には、哀愁が漂っていた。

 3週間ほど前も、この店で歌っていた。そのドキュメンタリーはこちら。中西クン事件の前だ。心の底からはしゃいだもんだ。その時と違うこと。部長がいない。そのお方は、途中で席を立たれたにもかかわらず、金を置いていかなかったからと、わざわざ引き返して1万円を置いていかれた。でも、今回はおられない。寿司代を払われると、一目散に姿を消された。その部長、月に1度ほど出張で、大阪から東京にお越しになる。よほど前回のことが懲りたのだろう。人の金で飲む酒、歌う歌は心から楽しめるが、今回は自分で金を払わなきゃいけないことが、まずブレーキをかけた。

 もう1つ違うこと。今回の部屋には、BOXでは珍しく窓があった。入った時には真っ暗でも、だんだんと明るくなってくるにつれ、逆に心には影が差してくる。一緒に行った部長代理は大阪から東京へ出向中。歌の合間に突然、窓から外を見やり、「はーっ…、東京まで来て何をしてんねやろ」とつぶやいた。さっきまで「アチチ、アチ」などと絶叫していたのに。

 ほどなく店を出て、地下鉄の駅に吸い込まれる上司の背中には、憂いがあった。

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2005年3月21日 (月)

福岡県の家が心配だ

 心配だ。だけど、状況は確認できなかった。震度6弱の地震が、福岡を襲った。わたしの家は、震度5弱と報じられた、福岡県の宗像市にある。今は転勤で東京にいるから、人に貸している。様子はどうだろう。全壊や半壊じゃないだろうか。地震に遭遇しなかったのは幸運だったかもしれないが、持ち家の状況がどうなのか、分からないのはもどかしい。

 入居されている方に、電話をしようとした。しかし、募集から契約の手続き、家賃の請求まで、すべて管理会社に任せている。昨年の台風で「樋が破損したから修理を」の依頼も、管理会社からあった。面識もなく、話したこともない入居者の方に、身を案じる電話をしても、どうせ家を心配しているだけだ、と思われるのが関の山だろう。たとえ家に何かあってても、どうすることもできないし、重大な事態になっていれば、管理会社から連絡がくるはずだ。などと、カミさんと話し、直接の電話はやめた。でも、気になる…。

 耳を疑った。午前7時に寝たわたしには、地震発生時は熟睡中の「真夜中」。それでも、小6長男の「福岡が震度6弱だよー」の大声に飛び起きた。「なんてか」。地震なんて、無縁の地域じゃないか。頭が覚醒していないせいか、テレビに映る福岡の街を見ても、まだ実感はなかった。カミさんは、その時ちょうど、宗像の友人と電話していたと言った。「揺れてる、揺れてる。大丈夫やけど、1回切るね」。そう言われたという。「受話器を通しても、轟音が聞こえてきたもんね」と、興奮覚めやらぬ様子だった。

 それにしても、もし家が壊れていたとしたら、地震保険に入ってて良かった。保険金は火災保険の半分でも、30年一括の火災保険と違って5年更新だけど、保険料も安くはないけど、前回も更新しておいて良かった。加入する意思を見せた時は、不思議な顔をされたもの。でも、阪神大震災の後だったから「福岡でも起きないとは限らない」と、意思を通した。悲観的なわたしは、生命保険もオーバースペックになっているが、地震保険に関しては良かった、と胸をなでおろしている。

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2005年3月20日 (日)

この保険証なら、なくさなかった

 寿命は短かった。「滅失再交付」と緑色のハンコが押してある健康保険証は、3カ月とせずに、その役目を終えた。新しく交付された保険証は、カード型だ。

 これなら、紛失せずに済んだのに。病院や薬局で返してもらったら、すぐに財布に入れることができる。「紙」の保険証をなくした原因は、薬局で返してもらって、そのまま手に持って車に乗り、助手席にポンと置いたけど、その後TSUTAYAに行くから、外から保険証が見えてたら危ないと思って、ダッシュボードに入れた、はずだったが、記憶の糸をほどいても、それ以降が思い出せない。車上荒らしにあった形跡はないけど、保険証もない。何日か後に、真っ青になって警察に紛失届を出し、おもにサラ金への悪用防止のため信用機関を行脚したことは、以前に記した。「紙」の保険証は家族全員の名前があるから、カミさんまで巻き込んで、大変な労力だった。

 カード型の保険証を始めて使ったのは、ちょうど1週間前。小3の三男がサッカークラブで大ケガをして、救急病院へ。薬局へは、わたしが行った。数日後、カミさん「アンタ、保険証を知らん?」「あっ…」。わたしの財布に、わたしの保険証の上に入っていた。「なして、所定の場所に戻さんと?」。怒られた。便利はなずの「個人型」には、こんな盲点があった。

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2005年3月17日 (木)

キムタク工藤静香の紅白名場面

 自分のブログに、どんな検索ワードで来てもらってるのかは、みなさんも興味があるところでしょう。わたしの場合は、依然として「もつ鍋 作り方 東京」のフレーズが断トツ。すみません、もつ鍋の記事は3回しか書いてないのに。尿酸値対策で、今は苦しみながら、もつ鍋断ちの日々。先日、福岡に出張した際も、もつ鍋店に向かいそうな足を、何とか止めました。

 もう1つ、すみません。「SMAP 雪が降ってきた」の検索ワードで訪れてくださった方に、おわびです。「雪が降ってきた」は、SMAPが紅白2度目の出場の時に歌った歌。2月24日の記事を書き始めた時は、その方向に話を持っていこうとしたのですが、「金太の大冒険」のことだけで終わってしまいました。ちなみに「金太の大冒険」も、このブログでは、人気ワードになってます。

 で、あらためて「SMAP 雪が降ってきた」の話。92年の紅白。なんだか分からないグループが、全然知らない曲を歌っていました。事実、番組の扱いも、ぞんざいでした。その前年、初出場で「Can't Stop!!-LOVING-」を歌い終わったSMAPに向け、紅組司会の浅野ゆう子は「白組のボクチャンたちー、元気ですねー」なんて、子どもでも相手にするように話しかけ「しーちゃんも頑張ってください」と紹介されたのは工藤静香でした。当時、まだロン毛じゃなかった木村拓哉と工藤静香の間には、大きな格の差があったのです。その後、この2人が結婚することになるなんて、と思うと、興味深い場面だったと1人、思ってます。

 わたしの中では、「ギターを燃やして、次の河合奈保子の登場を妨害した吉川晃司」(85年)「三波春夫をおちょくったように、バカ殿みたいなメークをしてNHKを激怒させ、その後の紅白に出られなく(出なく?)なったサザンの桑田佳祐」(82年)と並ぶ紅白3大名場面なのですが、どうでしょう。

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2005年3月16日 (水)

滑り込み確定申告

 税務署はすごい人だった。すいぶん離れた100円パーキングが満車だったから、なぜに、まさか、と予感はあったけど、想像以上。プレハブの提出所からは、人があふれんばかりだった。露天でも出せば、もうかるんじゃないか、と思ったのは締め切り前日の14日。確定申告に出向いた。

 わたしは、普通の会社員。確定申告に行ったのは、2000万円以上の給料・賞与があるからではない。転勤のため住まなくなったわが家を人に貸し、家賃収入があるから。わたしは、不動産事業を営んでいる個人事業主なのだ。

 ただ、その事業は大赤字。家賃収入は月々のローン返済に少し足らないだけだけど、ボーナス返済は、まったくの持ち出し。そのほか、固定資産税や損害保険、ローン保証料に団体信用生命保険と、出費は枚挙にいとまがない。昨年は台風で樋が壊れたからと、自分は住んでない家の修繕に、3万8000円を費やした。わたしが借りている家の樋も壊れてるんだけどな。直してくれと、大家さんに言ってもいいんだろうか。

 そんな現状を申告すれば、かわいそうだからと、国が源泉徴収した税金を返すといってくれる。その手続き、還付申告に行ってるだけなのだ。

 もう4回目。最初は、行きつけの焼き鳥屋さんに税理士の知り合いがいると聞き、紹介してもらいアドバイスをもらった。報酬は焼き鳥。正式に依頼すれば、2万だか3万だか、かかると聞いたから、やめた。自力で書類を作成するのに、2、3日かかった。2年目以降の作業は、毎年同じとはいっても、やっぱり面倒だ。今年こそ早く行こうと思っても先送り。書類作成に5時間もかかったのは、昨年やった事を覚えてないからだ。

 控え書類の受付印を見ると、3年前こそ3月5日だったが、一昨年が3月13日、昨年が3月11日、今年は3月14日。人間、いやわたしは、成長しない動物だ。

節約上手さんも、生命保険や住宅ローンのムダは

見落としがちです。家計の見直し相談センター

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2005年3月15日 (火)

酒の失敗また恥ずべき40歳

 酒の飲み方を知らないバカなオヤジが、また現れた。国会議員の次は会社社長かよ。

 神奈川県宮前署は14日までに、駅員を殴ったとして傷害の現行犯で東京都品川区、タクシー会社「東京エムケイ」(東京)社長の青木政明容疑者(41)を逮捕した――。

 40歳の次は41歳か…。何やってんだか、法を犯してんじゃねえよ同世代。わたしも飲んだらのまれる方で「飲み方を知らない」と何度となく怒られ、はしゃぎ過ぎて、上司に店からつまみ出されたこともある。出したチンチンに先輩から生ビールを浴びせられ、膿(うみ)が出てきて泌尿器科に通ったこともあるが、せいぜいその程度だ。それからは、出してない。膿が早く出て良かった、って、違うか。

 何でもこの社長、電車を乗り過ごして「なんで起こさなかったんや」と駅員を殴ったという。タクシー会社の社長なら、自分の会社のタクシーを呼べばいいじゃないか。わたしは何度、自分を嘆きながら、乗るはずじゃなかったタクシーに乗ったことか。有楽町線は大変だ。永田町から練馬を通り過ぎ清瀬、有楽町から乗り換えの小竹向原を過ぎ和光市。大江戸線が開通して助かった。光が丘が終点だから、まだ被害は少なくて住む。豊島園は過ぎたけど、練馬春日町で目が覚めた時は「光が丘まで行かなくて良かったな」と、自分を褒め称えた。

 酔って乗り過ごすなんて日常茶飯事なのだ。福岡にいた頃は、車庫に入った西鉄バスに、閉じ込められてしまったことだってある。そんな時にも「何で気付いてくれなかったんだ」なんて逆ギレは、しなかった。酔って、見知らぬ女性の乳をもむ、なんて真似も、権力のなせる勘違いなんだろう。そんなもの、わたしになくて良かった。

 この事件を受け、父親で76歳のエムケイグループオーナーは、その職を辞するらしい。さらには「もっと東京にきていれば、こういう問題は起こさなかった。私がそばにいたら、けんかしてでも指導できた」と後悔を口にしたという。

 あきれ返ってしまう。親が親なら子も子か、子が子なら親も親か。この年で、親がそばにいたら、うっとうしい。親に責任を取ってもらうなんて想像もできないし、親だって見放すだろう。だいたい、とうに自立している。

 この年だから、親不孝だけは、してはいけないんじゃないのか。

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2005年3月13日 (日)

たばこは吸っちゃダメ

 昨日の記事と順番が後先になってしまったが、2日続けて謝罪会見に見入った。これが18歳球児の言葉だろうか。日本ハムの新人ダルビッシュ有は、こう言った。「喫煙、飲酒、暴力など、法を犯す過ちを2度としないことを誓います」。

 ……。じゃあ、この3つとも、やってたのかよ、と突っ込みたくなった。たばこを吸わなくなってから体調は? と問われ「体重が1~2キロ増えました。ひざの調子も良くて、練習に入ってすぐ走れます」。常習者の言葉だ。東北高時代から、ずっと吸っていたのだろうか。それじゃあ練習も、ろくにできなかったろうなあ。

 しかし、だ。そんな体で、あそこまでの球が投げられていたということは、相当に潜在能力が高い証拠ではないか。とんでもない大投手になる、そんな可能性を、素行のマイナス面を差し引いても、日本ハムのスカウトは見出していたのだろう。膿(うみ)がスタートの段階で出て良かった。中途半端な形じゃなくて、ここまで大きい騒ぎになった方が、逆に良かったんじゃないか。30年来の日本ハムファンは、そう思っている。優しく、温かく見守る。誓約通り、たばこは吸わないだろう。でも、もし「まだ吸ってた」なんてニュースが伝われば、その時は、ファンだって見放す。

 ところで、ダルビッシュ問題が報じられたから初めて知りましたけど、菅野光夫さんは、鎌ケ谷の寮長になってたんですね。昨年限りで2軍コーチをお辞めになっていたから、心配していました。あの、昭和53年のオールスターに、ファン投票で選出された時、わたしも1票を投じていました。9人中8人が日本ハム。そのニュースをNHK夜の番組「スポーツアワー」で知ったわたしは飛び上がらんばかりに驚いたのですが、翌日からは、とんでもない組織票だと各メディアから批判の嵐。菅野さんは、辞退を強いられるという憂き目に合われました。当時、中学生だったわたしは、組織票の「選挙運動」など知らず、ファンとして純粋に1票を投じましたんですけどね。同じく辞退した古屋英夫選手が、次の年には堂々「実力」でファン投票に選ばれたのとは裏腹に、菅野選手は、晴れ舞台に立つことは、ありませんでした。そんな悲哀を、日本ハムファンは覚えています。

 また、話は戻りますが、日刊スポーツの見出し「本当に吸いません」は最高ですな。乳もみ議員のニュースを伝える「気をもむ地元」にも笑いましたけど。

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2005年3月12日 (土)

同じ40歳の酒、でも違う

 心が痛くなってくる会見だった。昨日夕方のニュースが映し出した中西一善衆院議員の姿。同じ40歳、そして行動も…似ている…。

 「後から思い出しても思い出せないほどお酒を飲んでおり」
 よくある。

 「そのことが、原因で常軌を逸した行動をした」
 うんうん。

 「ワインを1本ぐらい、焼酎は半分ぐらい、ビールも2、3本ぐらい」
 興が乗ったら、そのぐらいはね。

 「友人から量をそんなに飲まない方がいいと言われたことがある」
 よく言われます。

 「元来お酒は弱い。好きだけど強くない」
 まさにそうです。

 「軽い…」
 ホントにその通りですね。

 カミさんが言った。「アンタも気をつけりーよ」。

 だが、わたしは、見知らぬ女性を傷つけたりはしない。そのぐらいの理性は、記憶がなくなってもある。

 「人前でチンチンを出すのと、たいして変わらんやんね」

 ううっ、そうだった。決して公然で露出したわけじゃないけど、そんな話がカミさんの耳に入り、ついには「今度、出したら、切るけんね」と最終通告を受けた。阿部定事件を起こしたくはないから、それからは出していない。

 中西議員は「一生お酒は飲まない」と誓わされていたが、わたしは口が裂けても、そんなことは言わない。さあ、これから、飲みに行こう。

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2005年3月 7日 (月)

渋谷で遊ぶはずだったのに

 きょう、宅急便の不在通知が入っていた。差出人を見ると「本人」。オレには出した記憶がないと、少し頭をひねって思い出した。長男が進学先に決めた中学校、渋渋の説明会が昨日だった。教材やら制服やら、持って帰れなかったら、ヤマト運輸さんがその場にいらしてた、とカミさんが言ってた。

 持って帰ってきただけでも、相当あった。英語の教材は何種類もあった。高校時代、英語の偏差値が40に届かなかったわたしが、たどたどしく読んでやった。「あのう…ナニジンですか」と聞かれた。芥川龍之介の短編集もあった。久しぶりに読んでも面白い。「杜子春」と、ほかにもう1つ作品の感想文を提出することが、入学までの国語の課題らしい。英語にも課題がある。「大変やな」と言ったら、素直に頭をたれて「うん」と、うなずいた。渋谷の中学なら遊べると思ってたのに、こんなはずじゃ、なかった、と。

 野球好きの長男、福岡出身だからホークスファンは、昨年1年だけは、ナイターも見ずに勉強していた。中学になれば、野球が見られる。日本ハムは東京を後にしたけど「(家から近い)西武ドームだけは行こうね」と言っていた。そこに「交流戦」の知らせ。「神宮でも横浜でもダイエー(当時)の試合が見れるんだ」。平日が休みのわたしも乗った。「オマエが渋谷の中学に行けば、手っ取り早い。渋谷で待ち合わせをすりゃ、神宮も横浜だって、あっちゅう間や」。立教新座を蹴り、渋渋にしたのも、そんな理由があったと、わたしは推察する。5月を楽しみにしていた。でも…

 「オラ、交流戦は見に行けない」。説明会で相当に、中学受験成功の余韻に浸っていた頭や心を、相当ガーンとやられたようだ。カリキュラムの厳しさの現実。宿題の量や質からすると、平日の夜にナイターを見る時間はないそうだ。考えてみりゃ、そりゃそうだ。渋渋に合格したからといって、難関大学へエスカレーターは通じてないし、社会生活へのパスポートもない。これから6年間、どれだけ頑張んなきゃいのか、って感じたんでしょう。聞けば、有名大学の付属校だって、中高生活は厳しいらしい。

 でも、同じ野球好きのオレはどうすんだよ。長男と、神宮や横浜で交流戦を見ることを楽しみにしていたから「5月まではいいやろ」などと、焼き鳥屋のカウンターで説得を始めていた。

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2005年3月 6日 (日)

体がかゆくなる花粉症

 ううっ、かゆい。頭皮から首、腕、背中、尻から太もも、ふくらはぎ、すなわち体全体がかゆくてたまらん。たま、といえば、チンチンの裏側や袋の筋もかゆいが、決してインキンではない。耳たぶは腫れ、ひだの中のかさぶたを、かきながら取っていたら、血が止まらなくなった。花粉の量が増えてきたようだ。

 小学生の頃、30年も前の、まだそんな言葉が知られてない頃に「アトピー性皮膚炎」と診断された。その頃から、流行の先端をいっていたのだ。おとなになれば自然と治っていたのだが、2年前のこの時期から、症状が戻ってきた。かゆくて、夜も眠れない。アトピーの再発かと皮膚科を尋ねると、意外にも「花粉症ですね」と診断された。目も痛くないし、鼻もなんともないのに、だ。まれに、わたしのような症状の花粉症もあると聞いた。どうも、人とは変わったことになるようだ。

 「目の玉を取り出して洗いたいような気持ちになる」なんて言ってたヤツに「できるもんなら、やってみればいいやんなあ」などと悪態を突いた報いなのか。最近の目の痛みは、ブログのやり過ぎかと思っていたが、これも花粉症なのか。ああ、目の玉を取り出して洗いたい。

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2005年3月 4日 (金)

プロ野球中継CS再編は大歓迎

 スポーツ・アイの実況を3試合続けて観戦した。どこか違和感がある。伊原春樹さんの解説は、どっちにしても初めてで説得力もあったから普通に見たが、松沼博久さんは? やっぱりJ SPORTSだ、スポーツ・アイじゃない! 昨年までの聞き慣れた、若菜さんとか二村さんがいいな、江藤晴美さんが登場しないのも、寂しい、とは思うけど、わが家のケーブルTVをデジタルにしといて良かった。昨年までのアナログでは、スポーツ・アイは見られなかったから。

 CS業界の再編は、わが家にさらに朗報を伝えた。ヤクルトの放映権は、J SPORTSからフジテレビ739へ移行。その「穴埋め」か、ロッテの中継をJ SPORTSでやることになったという。昨年まで、12球団でロッテだけは放映局がつかず、パーフェクトチョイスでの放送。CATVのわが家では見られないから、イライラが募っていた。ローカルU局のちばテレビが、ロッテ戦の中継を増やしてはいるが、そのちばテレビも、J-COM東京では数年前から配信を停止していた。そんなロッテ対日本ハム、ソフトバンクが見られようになるとは、言うことなしだ。フジテレビ好きのわたしは、オプション契約もしているから、ヤクルトも問題はない。

 さらには、プロ野球中継を行う6つのチャンネル、J SPORTS123、スカイ・A、GAORA、スポーツ・アイで、相互補完中継を実現させたという。例えばGAORAで、放映権を持つ阪神と日本ハムがダブれば、従来は日本ハムがパーフェクトチョイスに回されていたが、今年はそれをJ SPORTSに回す。ロッテ戦を、スポーツ・アイで放送(昔はやっていたけど)とか、オリックス戦をスカイ・Aで見られたりとか、するらしい。このニュースは、スカパー110に番組を供給している、アクティブ・スポーツ・ブロードキャスティングのリリースによるものだが、6チャンネルをスカパー用、CATV用、スカパー110用に分けることなどできないだろうから、みんなが恩恵を受けるはずだ。素晴らしい! こういう、一般消費者が喜ぶ、便利になることを、再編、統合効果と言うんだ。ダイヤ「改正」の名のもとに、「改悪」を繰り返し、効率化のお題目のもとで分割した国鉄とは、えらい違いだ。JR各社も統合し、乗客へのサービスを一から考え直して欲しい、って、この話題に関係ないか。

 ひるがえって、わが家。GAORAで日本ハム対巨人を見たいわたしと、スポーツ・アイでソフトバンク対広島を見たい長男、さらには野球なんて見たくないカミさんの意見が衝突した。みんなが喜ぶには、どうすればいいんだろう。テレビ分割には、金がかかる。

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2005年3月 2日 (水)

さあ今日、日本ハムナイター開幕

 ナイターの開幕だ、って、昨日はソフトバンク対中日を見ていた。わが日本ハムは、今日の札幌ドームからだ。でも、放送はG+? 巨人対日本ハムって何だよ。 札幌なら日本ハム対巨人でGAORAだろっ! 巨人は、なにさま? いまだに全国区のつもりなんだろうか? 札幌まで行ってやったなんて恩を着せて、主催ゲームにしてるのか。週末の福岡もそうだ。巨人を崇め奉る時代は終わっているだろうに。今日は、巨人志望だった日本ハムの須永くんが、意地を見せてくれるだろう。

 さっき言ったように、昨日はソフトバンク対中日を見ていた。福岡育ちの小6長男が、ホークスファンなのだ。いまだにダイエーって言ってしまうけど、昨年までは、わが家アナログのケーブルテレビでは見られなかったが、今年からはJ-COMデジタルにしたから、スポーツ・アイも見られる。でも、なんか違う。解説・伊原春樹? 実況・島村俊治? スポーツ・アイはダイエー中心で、若菜嘉晴さんや岸川勝也、藤本博史、柳田聖人の各氏が解説だった。実況だって、加藤じろうアナのほかは、元TVQの川上アナとか、元TNCの佐藤アナとか、元RKBの隈部アナとか、九州を感じられた放送だったのに。島村さんは好きなアナウンサーだが、元NHKのエースだ。育ちが違う。NHKを定年退職した後は、おもにJ SPORTSで実況をされていたはずだったが。調べてみると、合点が行った。スポーツ・アイは4月に、J SPORTSと合併するらしい。CS放送にも再編が始まったらしい。

 気になったのが、日本ハムファンとしては、解説の二村忠美(ふたむら・ただみ)さんだ。九州産交から日本ハムに入り新人王。ホークス戦の中継は、幾多の変遷を遂げたけど、そのルーツは、今はなきディレクTVのディレク・スポーツだろう。その頃からなぜか、ホークスOBでもないのに、二村さんが解説をされていた。実況に、KBCモーニングモーニングで人気だった、後庵継丸さんが名を連ねたこともあった。その頃、パーフェクTVのホークス戦は、「地球の声」とか「MONDO21」とかで、水島新太郎が応援放送などしていて、聞くに絶えなかった。ディレクTVの放送が、今の(昨年までの)スタイルで、それに慣れていたのに。

 などと心配をしていると、別の心配をしてるヤツがいた。「(レポーターの)江藤晴美さんは、どうなるんでしょうね」。普通の地上波民放では見ることができないのは、その、ちょっと太めの体型からか。確かにスポーツ・アイの実況には、攻守交代の度に応援グッズの宣伝などで顔を出していたのに、昨日その姿を見ることはなかった。

 どんな世界にも「マニア」はいる。

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2005年3月 1日 (火)

いまさら言う国鉄分割反対

 特急「いそかぜ」は、昨日限りで廃止になった。最後の旅に出た「あさかぜ」「さくら」は、今、どのあたりを走っているのだろうか。寝台列車とはいいながら、超満員のお客さんたちのほとんどは、ほとんど寝てないんだろうなあ。

 先日買った鉄道雑誌の「追悼記事」を読んでいて、わたしも考えた。「あさかぜ」の不幸は、運転区間がJR東日本、東海、西日本の3社、「さくら」はさらに九州が加わり4社に渡ること。各社の思惑が交錯し意思の統一が図れず、運行形態も車両も旧態依然。前向きな改革など行われず、ただ「死」を待つだけだったのではなかろうか。「北斗星」や「カシオペア」が人気の、東京発北海道行の寝台特急とはえらい違いである。こちらは東日本と北海道の2社だけだから、意思の疎通も図りやすいのだろう。だいたい、ブルートレインといえば、東京発山陽・九州方面の代名詞だったのに、この凋落は目を覆うばかりだ。長崎行の豪華寝台列車なんて人気が出そうだけど、運賃収入は距離に応じての配分だから、JR九州は高い設備投資には踏み切れないだろう。

 おまけに長崎本線で、同じ特急「かもめ」に3本も抜かれるようでは、あわれですらある。2月号の時刻表を見て驚いた。さくらの欄に【東京発2月28日は鳥栖‐長崎間運休】とある。最後の運転日に、運休と言われても…。3月1日からの改正ダイヤに、足の遅い「さくら」の入り込む余地はないのだろうが、そこまで邪魔者扱いしなくても、いいじゃないか。初めて乗ったブルトレに、有終の美ぐらい飾らせてあげたかった。

 「いそかぜ」の廃止も、JR九州と西日本の関係が影響したと思う。いつの間にか、小倉‐博多間が廃止されていた。過密ダイヤの同区間には、自分の会社の所属ではない、のろまのディーゼル特急の存在は目障りだったのだろう。でも博多に行くのに、小倉での乗り換えは、やっぱり面倒くさい。10年以上前のゴールデンウイークか夏休みだったかは忘れたが、まだ博多まで行っていた「いそかぜ」に東萩から乗り込んだところ、通路までぎっしり満員だった。最近の乗客数は50人にも達していなかったらしいから、隔世の感がある。区間短縮も乗客減少の一因ではなかったか。

 今さら言う。だから、国鉄の民営化はともかく、分割は反対だったんだ。全国一元化こそが最大のサービスで、狭い日本をわざわざ分けなくったっていいじゃないか。20年以上前か、武蔵大学の「公益企業論」の試験問題は、国鉄の分割民営化だった。「東海旅客鉄道は新会社内での旅客完結度が70%台と低く…」などと例を挙げて持論を展開すると、授業には1度も出たことがなかったのに、Aの成績をもらった。

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