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2005年2月27日 (日)

鉄ちゃんの血が甦った

 2月限り、つまり明日限りで廃止される特急「いそかぜ」の記事が、発売中の「鉄道ジャーナル」4月号に掲載されているという情報を、わたしのあしあと様からのコメントにいただいたので、書店へ向かった。24日の朝日新聞文化欄には、雑誌が相次いで「鉄道特集」を組んでいる、との記事が載っている。へえ、と向かった家から近い書店。大型店でもないのに、そこの趣味のコーナーには、あった、あった! こんなに、たくさん。

 鉄道ジャーナルは、中学高校当時に定期購読していた、なじみの雑誌。けっこう久しぶりに手にとったが、感触は変わっていなかった。「いそかぜ」に加え「あさかぜ」「さくら」の特集もあったので、迷うことなく買う。朝日新聞で紹介していた、新幹線の模型が付いている「ラピタ」も、鉄道を見る! を特集している「東京人」も平積みされていた。ともに増刷をしてなお、完売する程の人気だという。そのほかにも、「図説 夜行列車・ブルートレイン全史」「週刊歴史読本 国鉄・JR廃線ハンドブック」を手にしていた。昔からの雑誌、そしてこれも定期購読していた「旅と鉄道」や、たまに買ってた「鉄道ファン」「鉄道ピクトリアル」にも食指が動いたが、カミさんの顔が頭に浮かんで、書棚に戻した。結局5冊6960円のお買い上げ。大の40男が、趣味にこのくらいの金をかけても、バチは当たらんだろう。「鉄道」は、読者が男性に偏ること以外、趣味系雑誌には、いいことずくめだそう。わたしなんかは、まさに編集者の思うツボだ。

 で、家に帰った夕方、新幹線の模型に取り組んでいると、小5次男と小3三男が「わー、わー、なに、やらせて」。パパは人気者になった。夜は、いそかぜが廃止になるので、小倉から萩への経路を時刻表と首っ引きで練っていると、小6長男「さっきから、なにブツブツ言ってるの。時刻表? オラ、そんなものの見方はわからん」。なんだと、いかんいかん。中学受験なんぞに係わってたから、大事な教育を忘れていた。次回からの休日は「時刻表を読もう」講座を開設しよう。

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2005年2月25日 (金)

家計の見直しその10

 すべての手続きが完了した。おととい23日が、東京三菱銀行からの融資実行日だった。と、同時に、住宅金融公庫、年金住宅福祉協会への一括繰上完済日。福岡銀行と東京三菱銀行の間を、言われるがまま、伝書鳩のように飛び歩いた。

 住宅ローン借り換えの手続きの詰めの確認で、東京三菱銀行の小椋佳似の窓口氏が、口ぐせのように言っていたのが「抹消の書類が欲しい」。なんの事かさっぱり分からなかったが、飛び歩く中で理解できた。東京三菱銀行は融資をする。「見返り」に土地や建物を担保に取る抵当権を設定する。だが今は、住宅金融公庫と年金住宅福祉協会が担保に取っている。これを外す、抹消のタイミングが問題なのだ。公庫や年金は、金を返さない限りは外さないだろうし、東京三菱は担保付きの物件に融資はできない。理屈どおりにやっていては事が前に進まないから、どちらかが折れざるを得ない。今回は、どうやら東三が折れるようだ。

 まず東三が融資、わたしの口座に資金を入れる。そこから公庫の業務取扱をしている、わたしの場合は福岡銀行の口座に一括返済金を振り込む。入金を福銀が確認して「抵当権抹消の書類」を出す。これを受け取って初めて東三は、安心できるというわけ。融資をしてから抹消の書類を受け取るまでの時間は「無担保融資」となり、大きなリスクを抱えている状態だと理解した。

 ただしわたしの場合、公庫の取扱店は福岡県の支店。通常、同じ地区同士であれば、融資を受ける当事者が銀行から銀行へと動き、リスクを抱えるのは2、3時間らしいが、「福岡まで行ってもらうわけにはいきませんし、当日までに書類を…」と小椋佳氏も頭を悩ませていた。そこでわたしが「福銀にも東京支店がありますし」と提案すると、小椋佳氏のつきものが落ちたようだった。福銀の答えも、あっさりしたもの。担当の福岡県にある支店に電話をすると「抹消の書類は、どこでも取れます。東京支店に連絡してください」。博多弁交じりだったのが、微笑ましく、おもしろかった。

 おとといは、ほとんど寝てない体で振り込みが確実に確認できると言われた朝10時半過ぎに、八重洲にある福銀東京支店に行き、手続きに11時まで。12時過ぎには東三に入った。受け取ったまま「委任状」と「抹消の書類」を渡すと「これだけですか。公庫と福岡銀行さんが…委任が…」。2600万円の融資金が口座に入ってきたのは確認したし、福銀から公庫に返済したのも確認した。東三から年金へも一括返済金を振り込んだ。これ以上は徹夜頭には入らないし、伝書鳩は考えられない。黙って困った顔をしていると、小椋佳氏は福銀に電話。「お客さまには、その書類は渡されてないんですね」。わたしが何にも隠していないことを確認すると「あとは、わたくしどもと福銀さんでやりますから」。やっと伝書鳩は、安心して家に帰って寝たのだった。

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2005年2月24日 (木)

雪が降ってきた金太の大冒険

 カラオケBOXを出たら、雪が降っていた。「ありえねー」。小学生のガキ3人と夫婦は、先を争うように自転車を走らせた。「寒い、冷たい」。いつもは「はよ入れ」と言われても入らない風呂に、みんなこれまた先を争うようにして入った。東京都練馬区は、午後10時前から、雪が積もり始めている。

 渋渋の合格祝いに家族そろってカラオケ、ってカミさんが言い出したんだけど、手を変え品を変え、いったい何度お祝いしたことだろう。それに、家族相手なんて、照れて歌えない。8年ぶり2回目ぐらいかなあ。

 コーラスをやっているカミさんは、お構いなしに歌いたい歌を歌っている。ガキは、オレンジレンジとか、アニメの主題歌とか。みんなに人気だったのは、ゆず、だ。「パパも歌ってよー」。何を…。1曲目は「ファイターズ賛歌」。物心つく前から、東京ドームに強制的に連れて行ってたから、みんな知ってる。でも盛り上がらない。「SMAPでも歌うか」「歌って」「俺たちに明日はある」「…」盛り上がったのは、カミさんだけだった。じゃあ、思いっきりギャク路線。「ドリフの早口ことば」は今ひとつ。「恋のぼんちシート」はダメだった。この時わたしは、ひらめいた。つボイノリオの、これなら。実は、近田春夫と、つボイノリオが、酔った頭の中で錯綜して一緒になっていた。

 「金太の大冒険」。♪金太、負けるな。♪金太、マカオについた。受けた!! 「知ってるー」「なんで」「ネットで」。30年近く前の放送禁止歌をなぜ。わたしだって、中学の頃、給食の時の校内放送で、誰かが面白がって流したのを聞いただけの「伝説の歌」。テレビはもちろん、ラジオでも耳にはしていない。ちなみにカラオケBOXでも、つボイノリオの方は、何度入れても送信エラーが出て、誰だかは知らないけど、HI-MEとかいう人のは入った。同じ歌だからいいけど。

 でも、子ども以上に受けたのは、「なして、こげな歌を知っとうとっー? アタシは知らんバイ」と言いながら、「♪金太、負けが多い」には長男に向かって「アンタのことやね」と大笑いしていたカミさん。家に帰って、風呂でも口ずさんでいた。

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2005年2月22日 (火)

衝撃だった時刻表3月号

 昨日のブログを書き終えた段階では、3月号の時刻表に、もっと衝撃的な事実があろうとは、知らなかった。趣味じゃなくて、3月に帰省するから買ったんだ。その時に乗る小倉から山口・萩への特急「いそかぜ」の時刻を確認しようと、寝る前にページを開くと、「あれっ、あれれっ、ない…」。2月限りで廃止になっていた。

 くるべき時がきた、のだろうか。先日、鉄道好きの会社の同僚が、「山陰から九州に旅行する。いそかぜに乗る」と言ってたので「すごい車両がくるぞ。デッキへのドアは手で開けるんだぞ」と宣伝しておいた。数年前に乗った時は、昭和40年代製造のキハ181系が、平気で走っていた。帰ってきた同僚「すごかった」と感心していたから「オレも3月に乗る」と言い、2人で「鉄っちゃん話」で盛り上がったもんだ。廃止も規定路線だったんだろうけど、東京にいるわたしには「寝耳に水」。せめて、あと1カ月もってくれれば…。

 ブルートレインほどの栄華はなかったけど、萩を通る山陰本線の特急、急行は、個性あふれる列車ばかりで、全国の鉄道ファンの注目をも集めていた。それが1つ消え、2つ消え、ついに優等列車はすべて姿を消してしまった。とむらいの気持ちも込めて、折に触れ思い出話を記していこうと思う。

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2005年2月21日 (月)

さみしい時刻表3月号

 3月号の時刻表が発売になったので買った。覚悟はしていたけど、ページを開いてガク然とした。「さみしーい…」。寝台特急、東京発山陽・九州のページは、空きだらけ。2月限りで、「あさかぜ」と「さくら」が廃止になるから「富士」と「はやぶさ」しかない。それも、東京と門司の間は併結運転だから、実質は1本だ。

 昔の、あれは小学5年か6年の頃か、ブルートレインブームが突然に起こった頃に比べると、栄華は面影すらない。ブームの前から「ブルトレ」に魅せられていたわたしは、親に頼んで写真を取りにいった。夜も明けないうちに車を出してもらい、萩から小郡(現新山口)へ。最初に停車した「さくら」を皮切りに、数時間ホームに居座った。「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1号」「あさかぜ3号」。大阪から呉線を通って下関まで行く「安芸」なんて列車もあった。ずっと興奮状態だったわたしは、時間を忘れてシャッターを押していたが、付き合わされた父親は、時間が長く感じただろうな、と今思えば同情する。

 「トワイライトエクスプレス」に乗りたいがために、新婚旅行は北海道に決め、発売1カ月前に、みどりの窓口に並んだ。超人気列車の申し込みを受け、マルス端末を操作した駅員が「取れましたよ」。「えっ、ホントですか」。天にも昇る気持ちだったが「あっ…」「はっ?」「1カ月前のキー操作を忘れてました」「ということは、この寝台券は?」「今日のです」。そんなやりとりをしてるうちに、1カ月後の寝台券は売り切れてしまった。

 せめてもの意地と、大阪から青森まで、「日本海」のA寝台を取った。初めてにして、それ以降でも唯一のA寝台。アルバムにはJR模様の浴衣に身を包んだカミさんが、写っている。

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2005年2月20日 (日)

「父と子の中学受験ゲーム」って

 ライブじゃなかっんだ…。「ええっ、どういうこと?」。酒のせいか、わけが分かんなくなっていた。週刊朝日のコラム「父と子の中学受験ゲーム」は、今まさに受験に挑んでいる次男と父親とのドキュメンタリーが記されている、と思い込んでいた。

 気がつけば感情移入し、少しライバル意識もあって気になる2月第1週。週刊誌だから、まだ結果は載ってないだろうけどと思いながら手にすると「平成15年2月…」。こんな表現、確か初めてだ。今は何年? 平成でいえば、17年じゃなかったっけ。

 欄外に目をやると、著者の紹介には武蔵高に通う長男、世田谷学園に通う次男の中学受験を経験とある。あれっ、これまでそんなことは書いてなかったし、次男の話をしているけど、その学校とは違うドキュメントだし…。寝室の奥を探すと昨年10月の週刊朝日があったから見てみると、子どもの学校名は書いてなかった。今、明かされた「録画中継」の事実。テレビ朝日のプロ野球中継だな。過去の話を、あたかも同時進行のように書いていただけなんだ。って、知らなかったのはオレだけなのか。

 もともと、小学以来に再発したアトピー性皮膚炎で通っている、行きつけの医者、じゃなくて
(飲み屋じゃないから、そうは言わないか)
かかりつけの病院の待合室で昨年の秋、たまたま手にしたのが週刊朝日だった。塾選びから受験指導まで、子どもと「一体」になっているお父さんの姿が書かれていた。

 一方の私は…。今でこそ、渋渋とか立教新座がとか言っているが、当時はホント、なんにも知らなかった。ここまで、のめり込める作者の高橋秀樹氏を尊敬した。そのコラムで桐朋中のことを知り昨年末、カミさんに「桐朋中なんて、いいんじゃない」って聞いたら、「アンタが、遠いからやめれって言うたんやないね」と怒られた。そんな事、全く記憶にない。「偏差値だって足りるわけないやないね」とダメを押された。

 わたしと、長男の中学受験を結んでくれたのが、そのコラムだった。振り返ってみれば、昨04年11月19日のこのブログ「中学受験斬り」で、初めて受験の話題を記している。影響を受けた証拠なのだ。2月1週以降は、週刊朝日を必ず買って読んでいる。だから、だまされたなどとは決して思っていない。

 長男は武蔵高ですか。わたしは、武蔵大です。ハッハッハ、参ったか…。

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2005年2月19日 (土)

故郷・萩の味じまん

 夏みかんジュースが残り少なくなってきた。休みの度にカミさんと、焼酎で割って飲んでいた。「うまい」。甘過ぎず、ほんの少しだけ苦味があって。サントリーのカクテルバー、それもびんのスクリュードライバーしか飲まなかったカミさんが、転向したほどだ。思えば、この2週間、すいぶんと故郷の味に舌を癒やされた。

 三越日本橋本店で行われておた「第50回記念 おいでませ! 山口展」に行ったのは、2月3日のこと。「金太郎」という魚の存在は、しばらく忘れていた。福岡育ちのカミさんも子どもも知らないと言ったが、久しぶりに食べた味は懐かしく、うまかった。ほかにも、たくさん買い求めた。

 夏みかんジュース(萩市・岸田商会

 金太郎、あじみりん(萩市・広松

 瀬付開アジ、釜上げしらす、ふぐぞうすい、うに茶漬、しそこんぶ(萩市・井上商店
 「しそわかめ」が数年前、ふりかけ特集をやっていたTBSテレビ「ランク王国」でベスト10に入っていたのには、驚いた。確かに、東京・練馬のわが家から近い、さして大きくないスーパーでも売っている。わたしが子どもの頃には、そんなシャレたものはなく、刻んだわかめに醤油をたらし、ご飯にかけて食べていた。
 
 ちくわ(宇部市・宇部かま

 やきぬき蒲鉾・玄海、上板(長門市仙崎・大留蒲鉾
 板ごと焼き抜くのが、山口県のかまぼこの特徴。プリプリした食感、これが、かまぼこなんだよ。「山口のかまぼこに外れはないよ」と物産展である店のご主人が言っていたが、その通り。わたしはいまだに、紀文など東京で売っているものには、なじめない。いつも実家から送ってくる、萩市・大草章弘商店は出店してなかったので、いろいろ食べ歩いて、これに決めた。

 なじめないといえば、その代表は醤油。お取り寄せグルメが流行るはるか前から、萩から送ってもらっている。この醤油じゃないと、ダメなのだ。

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2005年2月17日 (木)

家計の見直しその9

 バカと思われただろうなあ。東京三菱銀行の応接室。直前に説明を受けたのに、2枚の書類で記入を間違えた。印鑑証明書を提示され、「住所は、この通り、東京都から記入を、丁目、番、号とも書いてください」と言われたのに、3枚目の書類になるとすっかり忘れ、○の○の○なんて書いていた。「あーっ、あのお、すみません…」と小椋佳似の窓口氏。「あー、ごめんなさい」。舌の根も乾かないうちに、6枚目で、またやった。

 だって、ほとんど寝てないんだもん。午前9時半に起きるために、5時には寝るつもりだったのに、4時46分に発生した地震のせいで、カミさんが起きてくる7時前までは、余震対策で寝なかった。睡眠約2時間という、一番眠い状況で銀行に出向いた。「ほとんど寝てないので、すみません」と言い訳をすると、「それで、手続きの説明を、ここまで理解されるのですから、すごいですよ」と慰められた。融資当日まで、まだやることはあるのだが、それは後日ということで。

 ともあれ、借り入れの手続きは終わった。10枚以上の書類に署名、捺印しただろうか。消費者ローン契約書から始まって、抵当権設定契約証書、保証委託契約書…。1時間以上はかかった。昼過ぎに家に帰ったら、腹は減ってくるわ疲れは出るわ。カミさんを誘って、近くの回転すしスシローに出向いた。ともあれビール。「なして?」とカミさん。「お祝いやないか」「なんの?」「銀行の審査に合格した」「ふーん…」。中びん1本で、いい気持ちになった。

 家に帰ると、小6の長男がもう帰っていた。2階でゴトゴトやっている。「なん、しよんか」と聞くと「復旧作業」。机や棚から崩れ落ちた本を整理していた。カミさんが食器棚を開けると、コップが1つ落下。「けっこう、ひどかったんやねえ」。中の食器も、かなりの数がズレていた。わたしが、押さえたのにである。東京都練馬区の震度は、やっぱり4だった。

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2005年2月16日 (水)

地震すごかった

 いやー、すごい地震だった。つい、今さっき。ブログサーフィンをしてたら、グラッときた。「またか、最近、東京は多いなあ」ぐらいにしか考えてなかったが、揺れが激しくなっていく。「2階のカミさんと、子どもを見にいかなきゃ」と思った瞬間に、ガシャーン!食器棚か!! 駆けつけると、食器棚の上に置いていた色鉛筆セットが落下していた。扉を突き破って皿が木っ端みじんになったら、後片付けが大変だと、食器棚を支え続けていた。

 揺れが収まったから、階段を駆け上がった。カミさんも、子ども3人も全員が目を覚ましていた。「揺れたねえ。ベッドを押さえたよ」。そう、わたしも3段ベッドが心配になったのだが、ガシャーンの音に気を取られてしまった。良かった、わたしより体重のあるカミさんが支えてくれていて。そして「下、どう。食器やら割れとらん?」と聞いてきた。「大丈夫」と胸を張った。ふと見ると長男が固まっている。「どうした」と聞くと、カミさん「アンタの机から、モノが落ちてきたもんね」。その1メートル先に、長男の頭がある。「被災地…」。恐怖におののいた顔で、そうつぶやいていた。

 「4はいったな」。「4強はいっとるよ」とカミさん。4には強も弱もありません。NHKの速報によれば、午前4時46分に発生した地震は震源地の茨城で震度5弱。東京23区は以外にも? 震度3でした。でも築30年近いわが借家は、もっと揺れたに違いない。2階から1階のパソコン部屋に降りてくると、さっきまで座っていたイスに、後ろの本棚から雑誌が落下してました。

 わたしは今日、住宅ローンの手続きで、午前10時に東京三菱銀行に行かなきゃならないのに。余震が心配だ。カミさんと子どもに「なんかあったら、すぐ来るから」なんて、カッコつけてしまったもんなあ。寝たいんだけど、でも心配で眠れないなあ。わたしの横で2台のテレビが、けたたましく情報を伝えている。救急車のサイレンも聞こえてきた。

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2005年2月15日 (火)

家計の見直しその8

 「合格通知」が、わたしにもきた。通勤途中にPHSが鳴った。「東京三菱銀行の…」小椋佳似の窓口氏だ。「保証会社が(保証を引き受けることが)大丈夫とのことですので」。晴れて、住宅ローンの借り換えができるということだ。今の公庫と年金の借り入れを一括返済して、東京三菱銀行から新たに借り入れを起こす。総返済額は、500万円ほど変わってくるはずだ。断られなくて良かった…。

 続けざまに、今後の手続きについて指示をされた。前回、窓口でも話を聞いたのだが「審査がOKなら」が前提の話だったので、実は、ほとんど頭に入っていなかった。「回収が」とか「融資の実行が」あるいは「抹消可能な書類の用意を」とか言われても、こっちは「3分後の地下鉄に乗らなきゃ、遅刻だ」とあせっているから、聞いちゃいない。って、この光景、朝じゃありません。午後の話ですけど、わたしの仕事時間は、そうなのです。

 まあ、近いうちに、窓口を訪れる約束はしたので、詳しい話はそのあとで。とにかく、よかった。融資を引き受けてもらえなければ、長男の中学進学も、ままならなかった。

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2005年2月13日 (日)

親がのぼせてどうする

 渋渋に受かった1日以降、長男は参考書など1秒たりとも開いてない。すっかり遊びほうけている。ゲームはするわ、デュエルはするわ。変われば変わるもんだ。昨日はサッカーチームの練習に、勇んで行った。受験勉強との両立に悩み、チームを去る友だちが相次ぐ中、長男は辞めなかった。これは褒めてやってもいいと思う。親に似て、決してうまくはないけど。

 参考書や過去問集は、どこに行ったかというと、1日の日に無造作にダンボールに放り込まれ、階段の途中に放置されている。小5の次男は、これが気になって仕方がない。今は、吹奏楽に夢中。トランペットをうまく吹くことしか、考えてない。受験なんて毛頭する気はないと分かっているけど一応、確認のために「塾に行くか。受験するか」と聞いてみたら、頭をブルブル震わせていた。参考書が、自分に回ってくるような事態は、何としても避けたいのだ。ダンボールの前を通るたびに「お兄ちゃん! 早くチリ紙交換に出しちまいなよ!!」と叫んでいる。

 小3の三男が「オラも受験したい」なんていい出したのも、気に入らない。受験なんて言葉を出して、自分に降りかかってきたらどうする、という警戒心は解いていない。だから、弟には邪険に言う。「だったら、とっとと塾に行っちまえよ」。すると三男「オラは、2学期からと決めとるんじゃー」。

 ちょっと待て。何を勝手に決めとるんじゃ。あれほど「先着1名」と言ってるのに。私立に2人もやる金はない。左利きの利点を生かして、小学1年から始めた野球で、サウスポーとしてプロ野球界に入る。1億円以上の契約金をもたらすと、今から確約があれば話は別だけど。

 「野球を続けるという条件で受験させるか」「そうやね、早実とかならね。そしたらアタシも働かんば」。父と母、そろって、のぼせ過ぎか。

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2005年2月12日 (土)

お返しに17万円の制服等

 昨日は、長男が進学先に決めた中学・渋渋の制服やらバッグやらの購入日だった。その前日に、わたしも「行く」とは言っていて、朝9時に長男も起こしにきたけど、「今から渋谷に行って、また練馬まで戻って午後1時半から3時までテニススクールがあって、4時から仕事して、終わるのは早くて午前2時か」と思うと、やはり重い。で、やめた。母子2人だけが行った。

 会社に行くと、長男が自らの合格祝い寿司の代金、1万2600円を出したという前日のブログを読んだ部下2人が言う。「エライですね、長男は」「当然、補てんは、したんでしょ」。「いや、なんにも」と答えると「なんて、親ですか」と非難された。ちょっと、待ってくれ。

 この長男、年末の物入りの時に、1万円を落としやがった。散髪に行かせた時、カミさんが大きいのしかないからと渡した福沢諭吉さんを、「ない、ない」と、散髪が終わった後で、そりゃ、たいそうに慌てていたと、のちに理髪店のご主人から聞いた。

 当たり前だ。慌ててもらわんば。なんたって1万円なんだから。長男の1カ月1000円の小遣いは10カ月凍結と決まった。「なんで」と聞くから「当たり前だ」と、ニベもなく答えた。でも、父ちゃんは優しい。「渋渋に受かったら解除」と、助け舟を出していた。今にして思えば、また我ながら、この作戦は成功だったと思う。

 寿司はごちそうになったけど、「小遣いは? まだ、もらえんと?」とは聞いてこない。もう少し、黙っとこうか。でも昨日、何に使ったんかは行ってないから知らんけど、「制服等」で17万円を払ったと、カミさんはわたしに伝えた。

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2005年2月11日 (金)

弟が泣いた合格祝い

 初めて子どものおごりでメシを食った。合格祝いにと要求されていた「回らない寿司」を、当の長男が「オラが出す」と言い始めたのだ。いわゆる、普通のお寿司屋さんに行くと、いくら取られるか不安で仕方ない。1度だけ、近所に行ったら3万近く取られた。だから車にはなるが、明朗会計の桃太郎寿司に行こうとしたら、カミさん「帰りは誰が運転するん? お祝いやろ。わたしも飲みたか」と言う。どうしよう、となったところで「出前がいいんじゃない」。それを知った長男が「オラが出す」と言ったのだった。

 1年と少し前。お年玉の使い道を考えている頃の話だ。カミさんが長男に「アンタ、自分が受ける試験のお金ぐらい、自分で出しーよ」と言ったらしい。長男、それを真に受けて、お年玉を全部とっておいた。その何カ月後か、わたしは夕食の一杯やっている状況でその事を知り「それは、あんまりだ」とカミさんを否定した後で「渋渋の1回目に受かんなかったら、2回目以降は自分で出せ」と言ったらしい。この話、酔っ払っていて覚えていない。長男は「なんて親だ…夫婦して」とあきれたかもしれない。でも、われながら、なかなかの作戦だったと、今は自負している。

 普通の寿司屋さんの出前にしようと思ったが、以前に食べておいしかったというので、宅配専門の店にした。写真入りのメニューから選んでいる子どもたちも楽しそうだ。長男が「特上はどれ?」と聞くから、表紙にある「極(きわみ5人前)」を教えてやると「じゃ、これ」。チャイムが鳴ると、長男が財布を持って出て行った。「いちまんにせんろっぴゃくえん、です」「じゃあ、1万5千円から」なんて話している姿を、ドアのすき間から夫婦で見ていた。どう思われたろう。映画の「誰も知らない」のような世界と思われなきゃいいが。

 「おにいちゃん、おめでとう。ごちそうさま」。みんなが声をそろえた。次男も三男も泣き出した。「あっ」とカミさんが大声。「さび抜き(が2人前)って言うの忘れてた」。それでも弟2人は、寿司を口にするたびに「おいしいね」と言っていた。

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2005年2月 9日 (水)

東京のもつ鍋店

 こんな時間に、記事を書くのは久しぶりだ。今は午後3時過ぎ。ちょうど4週間前もそうだった。長男の中学受験1校目の結果を伝える電話が震えた。もう1カ月になるのか。

 もつ鍋をつつきながら、祝杯を上げたものだ。その、もつ鍋の東京人気。どうやら恵比寿にできた「蟻月」が火付け役のようだ。眞鍋かをりさんが、ブログ上でも大絶賛したのが、その店なのか。恵比寿のほかにも、六本木、新橋などに、もつ鍋店ラッシュを呼んだ、発信源なのか。知らない世界だった。だから最近できた店に、わたしは行ってない。唯一、名前は覚えてないが、銀座のフェラガモの近くに、もつ鍋を食べさせてくれる店があるというから出向いたが、高いだけで、味は…だった。

 六本木の「ろくまる」には部下の和白犬ウロウロが行ったという。その感想は「おいしかったですよ。でも…」「なに?」「もつ鍋屋はもっと、きちゃのーないといけん」。標準語に訳しますと「汚くないといけない」。確かに博多のもつ鍋店は往々にしてそう。東京のもつ鍋店は、おしゃれじゃないと、だめなのでしょう。

 博多の雰囲気を味わうなら、中目黒の「鳥小屋」だ。ブームの前からの老舗で、味も博多そのまま。うちのガキ、小学生3人の食いっぷりも、すごかった。ただご多分に漏れず大人気。部下のカレリンは先週、午後11時半という時間でも入れなかったとか。

 池袋の「もつ鍋帝王ふるさと」も、ブームの前から店を構える。こちらの味は、本場よりあっさりしていて甘味がある。やはり先月カレリンが行き、入れないことはなかったが、満員だったという。他のメニューもたくさんあるのに、座るやいなや「何人前ですか」と聞かれたとか。もつ鍋人気を実感させられる話だ。

 この東京人気。今度は長く続いてくれないかな、と思う。せめて、わたしの尿酸値が下がるまでは。ずっと食べたかった時に店は少なく、店ができたと思ったら食べられないなんて殺生だ。 

 綾小路きみまろさんも言ってました。売れない頃は肉なんて食べられず、売れてお金が入ったら、痛風で肉が食べられなくなってたって。

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2005年2月 8日 (火)

家計の見直しは、その7だったかな

 長男の中学受験や、もつ鍋の話題で盛り上がっていたわが家だが、その最中に住宅ローンの見直し計画の方も、実は着々と進行していた。銀行への手続きが終わった。3日の木曜日、渋渋の入学金29万円と施設拡充費7万円を振り込んだ東京三菱銀行で、お客様相談課に行き必要書類の最後、公図を提出してきた。

 それにしても、時間がかかった。公図とは土地登記簿につけられている地図。わたしの物件は福岡だから、福岡の法務局にある。東京から、写しを取るためだけに、行けはしない。司法書士に頼めば簡単らしいが、「成功報酬」の名のもとに数千円も取られる。家計の見直しをしている最中に、余計な出費は本末転倒だ。電話で聞けば郵送でも大丈夫だというので、近くの法務局で申請書の書き方を尋ね、手数料500円分の登記印紙とともに郵送した。登記関係の書類を取るには、この登記印紙というヤツが必要なのだ。収入印紙とは違うらしい。

 ところが、数日経って送られてきた書類には「ご申請物件の土地(地図)には、該当する登記はありません」なんて書かれてある。「そんなはずはない。じゃあ、オレの家はどこに建ってるんだ!」とばかりに電話した。「調べますのでお待ちください」。そして延々と保留音。福岡まで電話代がいくらかかると思ってるんだ!! 結果は「地図には確かにあります。申し訳ありません」だって。しかし、いつものように「クレーマー、クレーマー」には、ならなかった。イライラがピークに達したところで、「あまり長くお待たせすると申し訳ありませんので、こちらからご連絡します」と言われていたから。ちょっとした気遣いで、気持ちは和らぐものだ。しかし、送られてきた書類には「現在、コンピュータ会社に原因を究明させております」と書いてある。人のせいに、してんじゃねえよ!!

 登記簿謄本の時もそうだった。これには土地や建物の所有者や、抵当権の有無などが書かれている。こちらは公図と違い「登記情報交換システム」なるものが導入されているから、福岡の物件でも東京の法務局で取れると聞いた。いざ出向いて、申請書類に地番や家屋番号を記入して提出すると、「大字の(町名の)後に、丁目があるはずですが」。田舎のわが持ち家は大字がつくぐらいだから、丁目なんてシャレたものはなく、3ケタの番地があるだけだ。それでも表示が変わったのかと、担当の法務局に電話すると延々待たされ、テレホンカードの数字は41減った。で回答は「その住所には、丁目はありません」。そのまんまを窓口で伝えると「でも入力しないと出ない」とか言いやがる。我慢も限界だ。「だから、ないもんは、ないって! 担当の法務局もそう言ってるのに、どうしろって言うんだ」と声を荒げると、3、4人集まって協議。何だかは知らないが、さらに1枚の書類を書かされ、しばらくすると「こちらで丁目を消してみたら出ました」と謄本を渡された。じゃあ、最初からそうしろよ。いろいろやってみてから、「できません」って言えよ。って、この時は、いつもの「クレーマー、クレーマ」だった。でも、オレが悪いのかなあ?

 審査の結果は、2週間ぐらいで出るという。「大丈夫だとは思いますが」はいつも口ぐせなんだろうか、東京三菱銀行の窓口氏。前回まで田口浩正似と書いたが、小椋佳に近いかも。でも、小椋佳は第一勧業銀行か。そんなことはともかく、審査の結果が気になる。ちょっとした受験生気分。ついこの間までの、長男の心境がわかる。

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2005年2月 6日 (日)

博多弁に負けた山口弁

 またまた、もつ鍋の記事に、たくさんのご訪問ありがとうございました。最近の、東京での人気ぶりは、すごいことになっているみたいですね。今日もここで、もつ鍋の話…と思ったのですが、わたしは九州男児ではなく、山口・萩の出身。東京にきても、博多弁をしゃべり続けているカミさんが家にいるだけです。今日は、わたしの故郷自慢をさせてください。今日しないとダメなんです。東京の三越日本橋本店で開催されている「第50回記念 おいでませ! 山口展」が、今日までなのです。

 すごい人出でした。わたしが行ったのは、3日木曜日のお昼過ぎ。会場の通路が狭いこともあるのでしょうが、すれ違うのも苦労するほど。カミさんに「どうだ、この人気。これが山口の力だ」なんて自慢してました。

 それも、ズラリと並んだ萩焼の店をはじめ、夏みかんや、しそわかめ、かまぼこなどの海産物や加工品など、ざっと見渡して半分以上が萩からの出店。山口展というより萩展だ! 今の日本をつくったのも萩だ!! 気持ちも大きくなり、たくさんの食物を買い込むと「ご近所のよしみで」なんて、サービスまでしてもらいました。この場で初めて存在を知ったのが、夏みかんジュース。瓶のラベルに書いてあった通り、家に帰って焼酎で割ってみると、ホントにうまかった。ぜひ、試してみてください。繰り返しますが、三越日本橋本店で今日までです。お見逃しのないよう。

 会場に、わたしの高校への通学路でもあった武家屋敷のある城下町の地図があったので、じっと見入っていると「萩には行かれましたか」と年配の女性。「いえ、出身なんです」と答えると、声のトーンが変わり「それかね! 萩のどこかね?」と方言で聞かれた。でも…、高校時代まで当たり前に話していた山口弁が、すっと出てこない。忘れたわけではないんだけど…。少し寂しい気持ちでいると、「なんしよーとね。ぼさーっとしてから」とカミさん。こいつの、この博多弁のせいだ。

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2005年2月 5日 (土)

東京の家庭でもつ鍋を食す方法

 最近、もつ鍋の東京での人気を、よく感じます。銀座、新橋、六本木などに、十数年前を思わせるほどの新店ラッシュ。その影響でしょうか、家庭で食したい方も多いのでしょう。このブログにも、「もつ鍋」「作り方」「東京」という検索語で訪れていただく方が、ここに来て増えてます。その方々にすみません。来ていただいたのに、作り方などは書いてなくて。わたしも、福岡に住んでいる時は、家でよく、もつ鍋を食べたもんです。でも、東京では困難。わたしにも経験があるから、わかるのです。頼みの綱であるダイショーのもつ鍋スープが、どのスーパーにも置いてない。昨年の秋ごろの話です。ネットで「もつ鍋」「作り方」で検索しても、作り方が書いてあるサイトって、ほとんどないんですよね。

 わたしは意を決して、我流でスープを作りました。だし汁に日本酒、しょう油、味の素、塩を適当に入れ、スライスにんにくと鷹の爪を加える。沸騰したこのスープに、もつと、キャベツ、ニラ、豆腐を入れただけ。これでも、食えなくはなかったですよ。福岡育ちの小学生の子ども3人は「うまい、うまい」と、おかわりを続々と要求してましたから。牛もつが、いい感じに油やエキスを出してくれたんでしょう。買ったのは焼き肉用の牛ホルモン、シマ腸でした。臭みを抜こうと、きっちり湯通ししていたのが良かったのかもしれません。ものすごい量の油が出て、お湯を捨てた時に、流しが詰まったほどですから。この油が体の中に入っていたら、と思うとゾッとしました。

 今は冬ですから、どこでもはないけど、どこかのスーパーには、ダイショーのもつ鍋スープは、あると思います。モランボンのスープもあります。これを使うのが、手っ取り早いです。もつ入りのスープは、絶対にやめてください。もつが古くて柔らか過ぎて、食えたもんじゃありません。あとは、もつを、どう手に入れるかですが、やはり牛。豚はダメ、真空パックやボイル済みのヤツも、やめた方がいいと思います。これは、あくまで煮込み用なんでしょう。鍋にするには違います。でも福岡では、普通に「ミックスホルモン」なんて生のヤツがスーパーにも置いてあるのに、東京では、なかなかないんですね。さっき書いたような、焼き肉用で、お茶を濁してます。どこか、売っているところがあれば、教えてください。…って、わたし尿酸値が高くて、もつ鍋は止められてました。今までも、ここからの話も経験したことです。

 


 この前も書きましたけど、あらかじめ予定が決まっている時は、楽天市場のMEET MEATS(写真)http://www.rakuten.co.jp/meetmeats/
に注文していました。福岡県の山田市にあるお肉屋さん「山田ホルモンセンター」です。行ったこともお話ししたこともなく、メールを通じてだけですが、真摯(しんし)な応対に「若旦那」の人柄を感じました。前回、もつ鍋のことを書いたこのブログにも、コメントをもらいました。と蓄場に行くことから始まる「若旦那」の1日はブログで分かりました。スープはあっさり味。そのスープも、ちゃんぽん麺も、もつも、追加や個別で注文できるのは、いいシステムだと思います。
 

 

 
 今は東京に住む熊本人が、今日言ってました。「オマエ、どこだったっけ。もつ鍋をネットで買ったのは?」「楽天の…」と言ったところで「そう、楽天地。うまかったよ」。楽天地(写真)は天神や博多にあるお店。福岡に住んでいた時に、わたしも行ったことは、あります。おいしいお店です。東京でもつ鍋を食べたい、と思った時、真っ先に頭に浮かびましたが、「高いな」と思って、注文するには至りませんでした。MEAT MEATSと楽天地の同じ3~4人前、肉の量は同じ800グラムの値段を比べれば、わかると思います。

 もう一つ。福岡には評判の「万十屋」というお店があります。残念ながら、わたしは行ったことがありません。でも、通販があると知って、メールで質問しました。ご丁寧な返信をいただきました。スープだけの注文ができないのが、わが家にはネックでした。子どもたちがスープをたくさん飲んでしまうので、気が気じゃないのです。でも、返信の文面には温かみがあり、機会があれ(尿酸値が下がれ)ば、注文してみたいと思ってます。

 東京の、もつ鍋屋さんに行った感想なども書こうかと思ったのですが、さすがに長くなりました。またにしたいと思います。

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2005年2月 4日 (金)

ありがとうございます

 このブログを読んでいただいた、すべての皆さまに感謝します。「ありがとうございました」。長男の中学受験に感情移入していただいたり、応援していただいたり。1月12日の西武文理中学から合格発表が始まりましたが、1月26日の立教新座、2月1日の渋渋と、その度に最高アクセスを更新させてもらいました。ただ1人の中学受験生の「ドキュメント」が、こんなにもなるとは思っていませんでした。本来なら、お1人お1人にお礼の言葉を届けるべきでしょうが、このシステムでは、そうもいきません。「心に太陽を唇に歌を」ブログをしているカミさんともども、この場を借りて御礼申し上げます。また、まだ受験が終わっていない方々もいらっしゃると思います。バカ親のはしゃぎっぷりに、不愉快な思いをされた方もいらっしゃるでしょう。申し訳ありませんでした。

 と言いながら、仕事休みの昨日、妻と2人で渋渋への入学手続きを終えてきました。親としては、自分が手にできなかった「立教ブランド」を捨てるのは、もったいない気もしたのですが、決めるのは本人です。何のためらいもないようでした。もともと「甘えるから、大学の付属はダメ」というカミさんの方針で、渋渋を第1志望にしたのです。「大学は国立へ。そのために塾に通わせるぐらいなら、私立に行かせても、出て行く金は一緒」なんて小市民の考えもありました。長男の選択には「男女共学」が大きくはたらいたようですが。当初、立教新座なんて、とても手が届くとは思ってなかったので、チャレンジ校に設定したのです。

 入学金29万円と、施設拡充費7万円を払って帰ると、長男「きょう、渋渋へ手続きをしていただいたそうで」なんて改まってました。「ああ」とカッコつけて答え「その後の言葉はないのかな?」と聞いたら「たくさん、お金を使わせまして」。そうじゃない、「ありがとう」の言葉が欲しかった、なんて、親の勝手な論理でしょうか。
 
 でも、頑張ったと思いますよ。突然「受験したい」と言ったのは、小5の10月。東京の常識からすると、明らかに遅い。そこから塾選びが始まり、市進学院に決めたわけですが、最初の模試の偏差値は48でした。そんなガキを、偏差値60台後半の立教新座に合格させるまでにしていただいた先生にも、感謝してます。

 昨日は合格後、初めて長男と一緒に過ごしましたが、いつもなら勉強を始めたばかりの午後9時半には、ベッドに入ってました。2月、3月は、のんびりしていいか。でも4月からは、また戦いが始まるんだと、クギをさしておきました。

 そして、わたしとカミさんは、いつまでも祝杯を挙げてました。わたしは1日から、飲みっぱなしです。

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2005年2月 2日 (水)

ホッとしただろう

 「オラ、受かったけん」。しんちゃん言葉と博多弁の混ざった電話の声は、心底ホッとしているような気がした。早くから第1志望と決めていた、渋谷教育学園渋谷中に受かってくれた。大きな声で祝ってやりたかったが、ここは会社だから控えめに「おめでとう」。それを聞いた部下の拍手が照れくさかった。

 発表の30分ほど前、午後6時半からは、落ち着かなくて仕方なかった。PHSの調子が悪いから、報告は会社の電話に入ってくる。7時直前に何本か仕事の電話をとった時は、正直「なんだよ、仕事かよ」と心の中で叫んでいた。その打ち合わせをしている最中に、それらしき電話がきた。部下が「こんにちは」なんて話しているから、もう仕事の話は上の空。「どうだった、なんて聞くなよ。まず、オレに結果は聞かせろよ」。人づてに聞きたくないから、「はよー終われ、電話をかわりたい」。頭はそんな考えでいっぱいだった。

 自分が何をしたわけでもないけど、前夜は眠れなかった。それでも、ボーッとした頭でテニススクールに行った。会社にくる地下鉄は、「kit kat」のラッピングだった。車内には「きっと。サクラサクよ。がんばれ受験生」のメッセージ。広告もすべてキットカットだ。必死のゲン担ぎのあと、これは吉兆だ、なんて思おうとした。

 仕事のピークが過ぎた午後9時過ぎに電話した。「喜んどるか?」と聞くとカミさん「喜んで喜んで、今、救命病棟24時なんて見とるよ」。そういや、午後9時のテレビなんて、1年以上見てなかったもんなあ。「ダンボールば、持ってきたもんね。(受験の)資料を全部入れるって」。もう封印するのか。「明日も、あさっても、受けて見らんのか。渋渋は特待生があるやろ。それを目指して」と言ってみたが、「無理に決まっとろうもん」と一蹴された。何もしていない親の、ばかな欲深さだった。

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2005年2月 1日 (火)

中学受験の不思議な仕組み

 仕事が終わり「午前8時部長」の横を通ると、冷蔵庫を指差し「(ビール)入ってるよ」。「ごちそうさまです」って、喜んで一番搾りのプルタブを開けている場合じゃない。今日は長男の大事な日。本命・渋渋の試験日じゃないか。

 渋渋より偏差値の高いとされる、チャレンジ校の立教新座に受かったとはいえ、学校公開で「一目ぼれ」し、早くから第1志望と決めた学校には思い入れがあるようだ。発表日の夕方にダウンはしたけど、また翌日から机に向かい続けているから、気の緩みもなさそう。試験は第1回目が今日。そこで受かればいいんだけど、日程は2日、3日、さらには6日と続く。「敗者復活戦」? と思いきや、そうでもないらしいのだ。最初にこのシステムを聞いた時、わたしは不思議で仕方なかった。

 東京の私立中入試は、2月1日に一斉に始まる。そして、いわゆる御三家と言われる麻布、開成、武蔵の試験日は2月1日だけ。そのほか難関校といわれる学校も1日だけのところが多い。2日に1度だけ試験を実施する有名校もある。これらの志望者は、後のない1発勝負。長男が1月25日に受験した立教新座は、その「滑り止め」の1番手ともいえる。御三家などに不合格だった児童は、難関校の下、わたしの長男が本命にしている渋渋などに、2日あるいは3日に参戦してくるというわけだ。だから、渋渋に入ろうと思えば、1日の試験が最も難易度が低く、2日、3日の合格偏差値は上昇する。6日は何のため? 5日にブランド校である慶応中等部の試験があり、手ごたえを感じられなかった児童が、また参戦してくるのだ。だから、それなりに難易度は高い。長男には今日1日が最大のチャンスで、落ちてしまえば救われる可能性は減っていく…。

 結果は即日発表で午後7時。2日の第2回受験の願書締め切りは午後7時半。だからカミさんは、受験料2万2000円を持って見に行くらしい。うまくできたシステムだ。さらには、あらかじめ2回3回受験を申し込めば、セット割引もある。「最初から4回ぶん申し込んどけば」と提案したら「縁起でもない。それに、ムダになるかもしれんやないね」と怒られた。立教新座の発表日、わたしはテニススクールに行っていた。「1日も行こうかいな」と聞くと、カミさん「行って、絶対に行って」。そんなゲン担ぎしか、わたしにはできない。だから今日は出社前に、テニスに行かなければならない。そして会社で、カミさんからのメールを待つ。

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アテもなく8時だった

 昨日の記事で訂正があります。会社で飲んでた時刻を、午前7時過ぎと書きましたが、午前8時過ぎの間違いでした。

 人を引っ張るだけ引っ張った部長は、帰り際に「オレ(今日)休みだから」。そりゃ、ないよな。だから、好きなだけ飲んでたのか。昨日、2日ぶりに再会して「家に帰ったら9時を回ってたから、8時過ぎまでいたよ」と申されたので明らかになりました。そして、なぜかニコニコ顔。「オレ、酒に強くなったかもしんない。(午後)2時には起きて子どもとプールに行ったもん」。それは、健康的で良かったですね!

 それからしばらく経ち、仕事も佳境に入った時刻に、大きな声で呼び止められた。「わかったよ。会社で飲むと終わらないわけが」「ほう」「店なら閉店時間があるから、追い出されるじゃん。会社は閉まんないもん」。そんなことは知っている! 何度目で気付いてるんだ!! 「それにね」「はあ、なんですか…」「店なら食うから、それで満足しちゃうんだよ。会社じゃ何も食わないから満足せず、ついつい長くなる」と、わが意を得たりの表情だ。そんなことで、クソ忙しい時間に呼び止めていただいて、ありがとうございました。

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