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2005年1月31日 (月)

アテもなく午前7時

 しんどい1日だった。今やっと仕事が終わった。体調はずっと、すぐれないままだった。そりゃそうだ。昨日のちょうどこのくらいの時刻、午前2時半に同じフロアにいるグループ会社の部長が歩み寄ってきた時から、イヤな予感はしていたが…。事態は想像をはるかに越えてしまった。

 仕事机の上に、焼酎と日本酒の5合瓶。仕事の話をつまみに、午前7時を過ぎるまで面をつき合わせていただろうか。胃に入るのは酒だけだ。これは、さすがにキツい。どうやって帰ったか、帰ってから次男に絡んでいたらしいのだが、まったく覚えていない。おまけに、この日の仕事は、月で1、2を争うハードさ。テンションを上げて仕事をしていたときは、気持ちの悪さを忘れていたが、今、またよみがえってきた。

 そういうわけで、あまり長く書けません。今日は、まっすぐ帰って、風呂に入ってすぐ寝よう。

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2005年1月29日 (土)

酒は飲んだら、のまれるもの

 この人たちの酒の飲み方は尋常じゃあない、なんて趣旨のことを、ブログ仲間のわたしのあしあとに書かれてしまった。確かにそうでしょう。こんな飲み方や、こんな飲み方(同一人物の同じ席の話みたいですね)をしてる女性がいるほどですから。足元に及ぶべくもないが、わたしのカミさんも、大酒飲みでした。

 付き合い始めたばかりの頃だから、もう16年前。場所は博多の居酒屋。よくある職場の飲み会。新入社員のわたしは、当時は先輩だったカミさんに誘われていた(わたしたち職場結婚なんですが、結婚半年後にわたしは転職しました)。わたしと同期の女性も一緒で、その子は当時の南野陽子似で、それは可愛かった。カミさんは、当時お嫁さんにしたい芸能人NO・1東ちづるに似ているなんて言われていたけど、それは太めの体型だけでしょう。その2人が、突然に戦いを始めたのだった。

 なんの拍子だか知らないが、ストローでビールの早飲み競争。酔いが回ったところで、日本酒の一気飲みだ。1合グラスにも満たないグラスだったけど、2人とも飲む飲む。1升瓶なんて、あっいう間に空いてしまった。

 で、先にダウンしたのは、東ちづるのほう。ナンノちゃんは死者に鞭打つように「○○さん(カミさんの旧姓)、酒豪って聞いてましたけど、たいしたことないんですね!」などと罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせてました。九州初上陸だったわたしは「とんでもない土地にきたもんだ」と、おののいてましたけど。

 その後、カミさんを送っていったのですけど、「お母さん…。よ、よっ、酔っ払った」って玄関に倒れこんだ娘を、いたわるわけでもなく「シャンとせんね」なんて言ってたお母さんも、スゴイなあと思いましたね。きのうカミさんに確認したら「8合は飲んだかね」って言ってました。

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2005年1月28日 (金)

ノロじゃなくてよかった

 合格発表当日、長男がダウンしてしまった。「お祝い、何が食べたい?」「焼肉!」と言うから、行き先は安楽亭。みんなで「おめでとう」と祝福しても、顔色は青く、苦痛の表情だ。「車酔い」。そう言ってトイレへ。確かに新座まで往復1時間40分ドライブはしたけど、次男、三男と違って車には弱くない。それに1度吐いても、気分はすぐれないようだ。結局、長男はカミさんに伴われて家に帰った。

 しばらくして、わたしたちも帰ると、長男はソファーでぐったり。「ノロウイルスじゃなかろうか」とカミさん。「違う! 」と願いも込めてわたし。「いきなり吐き気じゃなくて、その前に微熱が出るとか風邪のような症状があるはずだ」。「でも、こいつ(三男)は、いきなり吐いたやないね」。「うーむ」。とにかく、少しでも症状が出ればすぐ知らせろ、夜中でもなんでも起こせと言い聞かせてベッドへ見送った。

 まあ、疲れも出たのだろう。まず、受かんないと思ってた中学に受かったもんだから、張りっぱなしだった緊張感が、一気に緩んだのかもしれない。でも、まだ試験はある。大事に至らなきゃいいが、と思ってたら、翌日、つまり昨日は回復していた。「次はいつ、焼き肉に連れてってくれると? オラ1切れも食ってないんだよ」なんて減らず口をたたいていたから、大丈夫だろう。

 わたしも、どうも気分が悪いのだが、これは原因がはっきりしている。安楽亭では5人前を想定して注文していたから、残された3人で食った食った、そしてわたしは飲んだ。家に帰っても、カミさんと祝杯。「飲まん方がいいっちゃないと。病院に行くようなことにならんとも…」「タクシーで行きゃいい」「そうやね」。まったく、なんて親だ。でも、2人とも、うれしかったんだもん。これが飲まずにいられるか。そして飲みすぎた。

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2005年1月26日 (水)

暖かかさが痛みを癒やした

 まぶたの裏を、じわっと濡らしたものは暖かかった。

 じっと午後2時を待ってもいられなかったので、わたしはテニススクールなどに出かけた。ドキドキしながら帰ってきたのが午後3時10分。長男もいる。カミさんもいる。でも態度から結果を推察できない。取り繕っているようでもあるし、沈んでるようでもある。まあ、立教新座中は実力以上のチャレンジ校。落ちてもショックは少ないのかな。カミさん「自分の目で見りー」というからパソコンに向かった直後、我慢し切れなくなったのだろう。小3三男が口を開いた。「お兄ちゃん、受かったんだよ」。振り向くと長男が笑っている。「ホントか」。抱きしめてやろうと近づくと、このやろう、逃げやがった。追いかけて、お構いなしに抱擁してやった。じわっと涙がわいてきた。

P1260171 しかしだ。ホームページでの発表は、あくまでも参考。正式な発表は本校での掲示をご覧になるか、本校よりの通知で必ずご確認ください、とある。「行くぞ!」「どこへ?」「掲示を見に」。

 てなわけで、片道50分かけて、しっかり3人の目で確認してきた(写真)。何枚も写真など撮っていたから、長男は塾に遅刻した。これって、本末転倒か。第1志望、渋渋の試験日まで、あと6日。

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痛い目に悲しい涙は避けたい

 目が痛いんです。今にも、血がしたたり落ちてきそうな気さえします。事実、先週、久しぶりに会った上司は「オマエ、その目は、どうかしたんか。真っ赤やないか」なんて言ってましたから。

 昨年11月に始めたブログにハマってしまって、家でもずっとパソコンに向かってる。会社では、自分のノートパソコンの横に、もっと大きな端末があるのです。ITなんて無縁だった40男が、ここまで目を使ったのは初めてですから、限界を超えたんでしょう。

 実は12月も同じような症状がありました。その時はノロウイルスのおかげで、丸3日パソコンに向かえませんでした。ノロウイルスの退散とともに、目の痛みも消えていました。

 でも今回はパソコンには向かい続け、昨日は子どもの中学受験の付き添いで、朝7時に家を出ました。ふだんなら、仕事を終えて一杯やって、家に帰ってくる時間です。ほとんど寝てません。きついんです。

 その立教新座の結果は、きょう午後2時発表です。子どもはその時間まだ学校にいますから、帰ってきてから一緒にネットを見るって、カミさんは言ってました。わたしの乾いた目を潤すのは、うれし涙なんでしょうか、悲し涙なんでしょうか。

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2005年1月25日 (火)

気を遣うクレーマー

 生命保険も含めた家計の見直しをしている最中に、保険更新の案内がきた。がん、心筋こうそく、脳卒中に適用される特定疾病保障定期保険のヤツで、保険金は500万円。月2135円だった保険料は今後10年4160円になると書いてある。女性の営業社員が新しい提案書を持って、家にもきたらしい。国内大手の会社。今、新しい商品の説明を聞くのは苦痛だし、書類の提出がない場合には自動更新すると書いてあるので、放っておいた。それでも営業社員「更新するにも書類が必要」などとカミさんに伝えたと聞いた。「自動更新するって書いてあるから、ほっときゃいい。用がある時は、こっちから電話するって言っとけ」「でも、書類がいるって言いよんしゃーよ」「出さなきゃ自動更新」「知らんけんね」「いい、って言いよろーが」。あわや夫婦ゲンカだ。

 更新時期は12月1日。その月の末からは新しい保険料が引き落とされるはずだ。でも引かれてない。ほかの契約分は落ちているのに。更新されなかったのか。それならそれで、まあいいか、と思ってたところに、先日ハガキがきた。「口座へ保険料ご用意のお願い」。1カ月遅れとか、お払い込み猶予期間とかの言葉が並んでいる。いわゆる督促状だ。わたしの口座から、引き落としができないなんてことは、ないはずだ。定期が担保になっているし、当座貸越もついてる。実際、残高はいつもマイナス。それでも公共料金も、なんもかんも落ちている。限度まではいってない。不審に思って、お客様サービスセンターに電話をした。

 「こういう案内がきたということは、契約は生きている、ということですよね」「はい」。じゃあ、と意気込んだ。「更新の手続きがされた、ということですね」。少し時間を置いて返答があった。「自動更新されておりますが、その場合、こちらの都合ですが、保険料の請求が1カ月遅れになってしまうんです」。そんなことは初めて聞いた。オタクの営業社員は、更新には書類が必要だと言ったじゃないか。その言葉通りにあてはめれば、更新されないはずの保険が更新されて、保険料は督促状かい! 人の気持ちを悪くしやがって。 1つは間違った説明。1つは説明不足。「自動更新もできますけど、その際は手続きが遅れます。口座へ保険料ご用意のお願い、のハガキが届きますが、ご了承ください」の言葉さえあれば、何の問題もなかったはずだ。電話の声は「大変申し訳ありませんでした。担当者に伝えます」と繰り返していたが、事が荒立ってからでは遅い。わびに来られても返す言葉に困るし、そこでまた新しい商品を説明されるのも面倒くさい。「伝えなくていいです」と捨て台詞を残して電話を切った。

 などと、この文章を書いていたら、気持ちも覚めてきた。無理やりクレームをつける必要もなかったかな、って。電話で説明を聞いた時に「ああ、そうなんですか。わかりました」でも、よかったかな、と。

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2005年1月24日 (月)

家計の見直し久しぶりの、その6

 家計の見直し同時進行ドキュメントを目指したこのブログ。なのに、あらぬ方向へと向かっている。保険証をなくしたり、ノロウイルスに侵されたりと邪魔が入ったところに、長男の中学受験ドキュメントまで始まってしまった。もう1カ月以上も「家計の見直しシリーズ」を書いていない。たまには本筋、住宅ローン借り換えの話を書こう。

 保険証も必要書類の1つだから、なくして手続きができなくなったのは事実。でも正月明けの新聞で、住宅ローンの金利が銀行間の競争もあって下がっている、1月の店頭金利も下がった、なんて記事を目にしたから「待てば海路の日和あり」的な思いが行動を引き延ばしていた。実際、1年以上前の借り換えは見送り、その時より今の金利は低いから、東京三菱銀行の担当は「結果的にラッキーでした」と繰り返し言った。しかし素人判断は危険だ。専門家に聞こう。

 昨年12月、6時間近く根っこり話をした、家計の見直し相談センター
のファイナンシャルプランナー藤川太社長だ。そう、東京三菱銀行の事を、わたしの知らない「トウミツ」なんて略称で話すから、「じゃあ(話に出てきた)山口銀行はヤマギンと言えよ。わたしの育った山口県では、みんな、そう呼んでいる」などと、心の中で悪態を突いた相手。わたしより年下の好青年といった風なのに、話していると、どうも立場ある人のようだ。「あのお、もしかして社長でらっしゃるんですか」「そうです」。早く言ってくれよ。それも同じ山口県の出身じゃないか。当然「ヤマギン」もご存知のはずだ。悪態を突いた心が、いたたまれなくなった。朝日新聞のbeを初め、雑誌などにも多数、執筆されているから、お見知りの方も多いだろう。

 メールを打った。「1月の店頭金利が下がったなんて聞きましたが、この先どうなるんでしょう。もう少し待った方が、得策なんでしょうか」。返信がきた。「1月金利は下がりました。2月も低いままと思われますが、4月以降はペイオフ完全解禁ですから、どちらかというと金利は上昇する傾向だと思っています。ですから、あまり引きずらない方が良いのではないでしょうか」。なんで、ペイオフ完全解禁だと金利が上がるのかは分からないが、そういうことらしい。とにかく急ごう。保険証は再発行をした。ほかの必要書類をそろえよう。

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2005年1月23日 (日)

替え、大縄飛びで1つになれた

 昨日の父と子の感動物語に、カミさんは冷たかった。「(ブログを)読んだけど、今一つ」。「どう?」「面白くない」「どこが?」「なんか、全体的に」。家庭でダメ出し、差し替え指令を食らおうとは思わなかった。会社で福岡の上司と電話で話していると「オマエのは、長いったい」。わかりました。書き直します。

 「ウオーッ!!」。自然と心の中から叫んでいた。場所は小学校の体育館。小5次男の学校公開(1日中やってる授業参観)5時間目は体育。なぜか大縄飛びに参加して、大縄を回していた。前夜に痛飲したアルコールも抜けたような気さえする。

 電話の上司とは違う、福岡から出張してきた上司と痛飲。何時に帰ったかは、よく覚えていない。すると登校前の次男が「今日、きてくれるよね」と聞いてきた。しまった。学校公開の日やった。一刻も早く寝なきゃ、慌てて布団に向かった。さらに次男の声が背中越しに追いかけてきたが「わかった」と適当な返事をしておいた。

 1時半に目が覚めた。1度寝ると忘れていた。「なんだ、あと1時間以上寝れるやん」。もう1度寝ようとして、ハッ! 学校だ。最終授業5時間目の開始は1時40分。良かった。まだ間に合う。しかし危ないところだった。

 酒が抜けていようはずもないから、飛び箱の上にボーッとすわっていた。なわ飛びか。先生は後ろ三重飛びなど披露している。「すげえー、ありえねえー」。小5の賞賛も若者言葉か。と、その先生、わたしのもとに歩み寄り「大縄飛びを回してもらえますか?」。思わず「それだったんだ!」と大声を上げた。思い出した。次男に適当にした「わかった」の問いは「大なわ飛びを回して」だった。しかし、なわ飛びの風景を見ても思い出さないなんて、おめでたいというか、アルコール性健忘症というか…。

 先生が取り出した大縄は、長さ20メートルはあろうかという大物。試しに回してみると、まったくできない。一筋縄ではいかないとは、このことだ。本番までの5分間、わたしは大きく腕を回し続け、ストレッチで体をほぐした。

 1度目、回らない。「せえの、イーチ、ニーイ、サーーンで回しましょう」。それでも回らない。覚悟を決めた。照れたり恥ずかしがったりしてる場合じゃない。吹っ切んなきゃと。わたしも大きな声で「イーチ、ニーイ、サーーン」。回った!でも今度は飛んでくれない。1回も飛べない。そのうち、ひっかかったあたりの子どもに「ここらへんが頑張れよ」なんてゲキを飛ばすほどに、のめり込んでいっていた。

 10度目ぐらいか。1回だけど飛べた! 拍手と歓声。しかし、なかなか2回が回せないし飛べない。授業終了の時刻は、もう過ぎてる。先生さすがに「最後にしよう」。ひと際大きな声で「イーチ、ニーイ、サーーン」。1回クリア、おっ2回目も。3回「ヨッシャー」、4回「ヨッシャー」。掛け声が自然に出ていた。5回も飛べた。児童も先生も参観のお母さんも拍手の嵐。わたしは叫び、何度も右手を突き上げていた。その腕は、しびれ切っていたけど。

 先生、児童全員の前で「ありがとうございました。また、次もお願いします」。冗談じゃない。腕がちぎれてしまう。「勘弁してくださいよーっ」と泣きをいれ「オジさんは、これから仕事なんだよ。じゃあ、行ってきまーす」と言うと、また大きな拍手と歓声で見送ってくれた。気持ち良かった。

 昨日、次男のコメントが取れたので追記。「みんな、言いよったろう。父ちゃんに、ありがとう、とか、頼もしいね、とか、カッコいいねとか」。土曜朝のアニメに夢中の次男、面倒くさそうに「いいや」と否定。「なら、なんて、言われたんか」「面白いオジさんやね、って」。次は絶対に行くもんか!

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2005年1月22日 (土)

大縄飛びで1つになれた

 一昨日は福岡から東京に出張してきた上司と痛飲。それも、ほとんどの時間は大声で絡んでいたから、エネルギーを使い果たしたので、家に帰るには帰ったが、パソコンの前に座る元気はなかった。リビングでダラーッとしていると、登校前の小5次男が「今日、きてくれるよね」。しまった。学校公開(1日中やってる授業参観)の日やった。それなら、ここまで飲むんじゃなかったと、急ぎ布団に向かった。8時前だったとは思うが定かではない。次男は続けて何か言っていたが「わかった」と適当に返事をしておいた。

 1時半に目が覚めた。「何だ、あと1時間以上、寝れるやんか」と、もう1度寝ようとしてハッと気がついた。学校公開やった。慌てて起き、冷蔵庫の横に貼ってある時間割を見ると、5時間目の開始は1時40分。良かった、間に合う。急ぎ学校へ向かうと、小3三男は教室で保健の授業中だったが、小5次男、小6長男の教室は空っぽ。「何だよ、言っとけよ」と腹を立てながら受付で聞くと、次男は体育館、長男は家庭科室。酒も抜けていようはずもないから、体育館でボーッと飛び箱の上に座っていた。母親ばかりで父親はわたし1人。すると、さっきまで後ろ三重飛びで「すげえー、ありえねえー」などと、せん望のまなざしを浴びていた顔なじみの先生が近寄ってきた。「大縄飛びを回してもらえますか?」。思わず「それだった!」と叫んだ。全部思い出した。次男に適当にした「わかった」の問いは「大なわ飛びを回して」だった。体育も家庭科も全部聞いてた。

 家庭科室をのぞくだけのぞいて、急ぎ体育館に戻った。先生が長さ20メートルはあろうかという大縄を取り出し「回してみましょう」。初体験。回らない。一筋縄でいかないとは、このことだ。二日酔いの身には、とんでもないことになった。「本番」までの5分間、わたしは必死にストレッチをし、大きく腕を回し続けた。

 1度目、うまく回らない。「せえの、イーチ、ニーイ、サーーンで回しましょう」。それでも、うまく回らない。もう覚悟を決めた。わたしは人見知りをするタイプ。でも、照れたりとか恥ずかしがったりとか、してる場合じゃない。自分でも「イーチ、ニーイ、サーーン」と大きな声を出すと回せた。でも今度は、飛べない。何度やっても、1回も飛べない。そのうち、ひっかかったあたりの児童に「ここらへんが頑張れよ」なんてゲキを飛ばす自分になっていた。

 10度目ぐらいか。飛べた! 拍手と歓声。私は右手を突き上げていた。でもそれから数度、2回が回せないし飛べない。授業終了の時刻は、もう過ぎてる。先生さすがに「最後にしよう」。気合を入れた。足を開き、腰を落とし、ひと際大きな声で「イーチ、ニーイ、サーーン」。1回クリア、おっ2回目も。3回、4回と飛ぶたびに「ヨッシャー」の掛け声が、自分の口から自然に出ていた。しびれ切った両腕に目一杯の力を込めた。5回も飛べた。みんなが拍手。わたしは「ウオーッ」と叫び、何度も右手を突き上げていた。最後の1度の集中力。先生と父親と30人の児童が1つになったんだ。

 先生、児童全員の前で「ありがとうございました。また、次もお願いします」。冗談じゃない。腕がちぎれてしまう。「勘弁してくださいよーっ」と泣きをいれ「おじさんは、これから仕事なんだよ。じゃあ、行ってきまーす」と言うと、大きな拍手と歓声で見送ってくれた。気持ち良かった。

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2005年1月20日 (木)

都県境越え30分のドライブ

 さっきも書いたが、昨日は休み。となると、早く目が覚める。前日に深酒をしなければ、という条件はつくが。直前14日の休みは5時に寝たのに8時半に起きた。食器洗いをしていたカミさん「わあ、びっくりした。なんね、なして起きたとね。休みやからね。バッカじゃないと。子どもみたいやね」。その通り。子どもみたい。昨日も7時に寝て12時に目が覚めた。

 「ガソリンがなかったバイ」とカミさん。わたしは平成6年式のタウンエース ロイヤルラウンジ リミテッドを出し、都県境を越えた。ほとんどの場合、この埼玉県のスタンドに行く。とは言っても車で15分ほど。セルフで安いこともあるが、「都県境」の響きが、わたしを引き付けるのだ。昨年、車内のにおいを消したカーショップのジェームスもすぐ近くだ。

 「境」という言葉には、どこか興味をそそられる。小学生の頃、関門トンネルを汽車で通ってからだろうか。 ←福岡県|山口県→ の文字を見たような記憶がある。12年ほど前に初めて人道で海底を歩いたら、県境の線が書いてあったから、その場でしばらく感慨に浸っていた。大分県と熊本県の両県にまたがり、ホテル内に県境のある杖立観光ホテル ひぜんやには1度泊まってみたいが、九州に住んでいた時代は、カミさんの希望で、その先の黒川温泉まで行った。

 それでも普通は「県境」。ここは「都県境」だ。田舎もんとしては初めて聞いたし、特別の響きがある。だが、そこは片側1車線の道路が、都と県を隔てていた。幅たった10メートル足らず。村や町や市ならともかく、都に関わる境なのに。でも、それはそれで、面白い。通るたびに電信柱の住居表示を確認する。当然だが、右は埼玉、左は東京。同じバス停でも「所属」は違うのか、向かいの家なのに市外通話なんだなあ、地価はどのくらい違うのかなあ。通るたびに、そんなことばかり考えている。

 昨年の7月には、都県境に天然温泉のスーパー銭湯ができた。温泉好きにはたまらない。すぐ近くにはコジマもある。家電好きにはたまらない。駐車場つきの松屋もあるから、牛めし好きにはたまらない。さっき言ったカーショップもGSもあるから、往復11キロ、30分のドライブを楽しんでいる。

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2005年1月19日 (水)

本命受験までになくなれ涙

 きょうは仕事休み。塾に行った小6長男の帰りを待って午後7時半、久しぶりに家族そろって家での夕食。家族団らんといった感じ。小3の三男「お兄ちゃん、ごはん食べ終わったらデュエルしようね」。カードを使った戦いごっこ、という説明でいいのかは分からないが、わたしもカミさんも、とっさに反応した。「デュエル?」。わたしは、そのあとの言葉を飲み込んだが、カミさん「そげなこと、しとる暇があるんか!」と一喝。でも「ちょっとぐらい、してくれてもいいやんか」と三男が頼み込むので、3兄弟はカード遊びに興じ始めた。

 危機感はないのかね。確かに西武文理には受かったけど、次は立教新座ですよ。「10は偏差値が違うっちゃけん」とカミさんが言う。その試験は1月25日。あと6日じゃないか。まあ、もともとダメもとのチャレンジ校だったけど、1度だけ偏差値が66まで上昇したもんだから、周囲はあらぬ期待を持ってしまった。でも本人の意識は「受かるわけないやん」なのかもしれない。それはそれでいいのだけど、第1志望の渋渋だって、2月1日が試験日。もう少し切羽詰まっても、とは思うが、これ以上は言うまい。

 そのうち、長男が「あっ…」小5の次男「(三男が)泣き出した」。どうやら2人の標的が三男に一致したようで「ずるいやんかー。みんながオラを狙ったら負けるに決まっとる…」とホントに涙を流して泣いてる。イライラ気分のこっちは酒の勢いもあって「泣くぐらいなら、ゲームやらするな!」。三男、エーンとひと際大きな声を発し「もう、いい」と隣のパソコン部屋に逃げ込んでしまった。まあ、いいか。とにかくゲームは終わった。と、しばらくして長男が「また、泣きよるよ」。何だよ、今度は。三男に訳を聞くと「(パソコンが)遅い…」とポツリ。どうやら、パソコンを立ち上げてゲームをしようとしたらしいが、わが家のパソコン、本当に遅い。1度見てもらおうと思ってるが、それにしても…。あきれ返ってしまったカミさん「涙が余っとるんじゃないと。幸せなヤツやね」と吐き捨てるように言っていた。

 まあ、理由は何であれ、今のうちに泣くぶんにはいいか。涙を枯らしといてくれないか。2月1日までに。

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こんな映画館なら行ってみたい

 昔の映画館は、威風堂々としていたものだ。ビルの何階だか分かんないような空中じゃなく、堂々と地上に構えていた。大学進学で上京したのは1983年だから、ギリギリ日比谷映画街の有楽座に間に合った。エレベーターなど使わずとも、そのまま地面から劇場へ続いている。見たのは、インディ・ジョーンズだと記憶しているが、平日の第1回だったのに、ものすごい人だったことを覚えている。テアトル東京はこれ以上の広さだったと聞くから、話を聞くにつけ、行ってみたかったと思う。
 
 東銀座の松竹セントラルも好きな劇場だった。2階席のあった池袋劇場も良かったな。旧スカラ座も好きだった。ここはビルの中だったけど、東京宝塚劇場などが入った、主役がエンタテインメントのビルだから許せる。確か3階にあった映画館には、広い階段が通じていた。もう20年も行ってないけど、地下にある千代田劇場(現日比谷映画)は階段状の座席が好きだった。ここで見たのは、武田鉄矢主演の「ヨーロッパ特急」。海援隊ファンのわたしでも耐えられない、ひどい映画だった…。みゆき座は今ひとつか。これらの映画館が入った東宝本社ビルも近く取り壊されるらしい。日比谷映画街は、軒並みビルに変わってしまった。シャンテ・シネはダメだ。

 今もって憧れる劇場は新宿ミラノ座、新宿プラザと新宿ピカデリー1ぐらいか。ピカデリー4はダメ。あまりの狭さと、幕が開いた時のスクリーンの小ささに、カミさんと顔を見合わせて笑ってしまった。まだ学校の視聴覚教室の方がマシだ。雰囲気は好きだったけど、やたら古かった上野松竹(現上野セントラル)は改装したようだから行ってみたい。川崎グランド(現チネ・グランデ)はどうなのだろう。大学時代を最後に足が遠ざかっているが、お変わりないか。変わったところでは、昨年取り壊された新宿東映会館にあった、新宿東映パラス2は面白い構造だった。新宿東映の2階部分だけを独立させたとかで、昔の大阪球場かと思うぐらい傾斜が急。ひざのあたりに前の人の頭があるという、まさにスタジアム形式、シネコンの先取りだ。ただ、座席はボロボロだった。

 全盛期の浅草に行ってみたかったな。「ハチ公物語」を見た満員の浅草松竹で、そんな雰囲気を少し感じた。既存館で行けるのは、さっき挙げた劇場と、シネコンに近いつくりの池袋HUMAXシネマズ4ぐらいか。新宿ジョイシネマの設備がいいと聞くけど、昔の歌舞伎町松竹にしか行ったことがない。シネマスクエアとうきゅうは、別の意味でおすすめ。単館系の元祖ともいえ、こじんまりした劇場だけど、椅子の座り心地が最高にいい。原一男監督の初の劇映画「またの日の知華」を公開中だから、ぜひ行ってみたい。学生時代に見たドキュメンタリー「ゆきゆきて神軍」は衝撃だった。屋根裏のようなユーロスペース(渋谷)にもびっくりしたけど、雰囲気は嫌いじゃなかった。わたしの故郷・萩市にあるけど、行ったことのない離島を描いた「わたしの見島」も撮影された監督。公開時に見逃してしまい、今もって見たいのだが、どうすればいいのだろう。この島の「見島牛」「見蘭牛」は、ホントにうまい。

 そういや萩の映画館、萩ツインシネマが昨年なくなってしまった。萩喜楽館時代から歴史は長かったのに。よく行った萩東映や萩スカイシネマは、とうにない。さびしいニュースだけど、故郷を出た人間に、こんなことを言う資格はないか。

 【追記】先日、05年4月上旬に萩に帰省すると、映画のポスターが張ってある。まだ、残っているのかと、もう1度見ると最新作のポスターだ。両親に確認すると、閉館ほどなく再開したという。うれしいニュースだ。すぐにでも行きたくなったが、滞在時間があまりに短く、かなわなかったのが残念だ。次の機会には、ぜひ行こう。

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2005年1月18日 (火)

故郷・萩のうどんと東京で再会できる

 ちゃんぽんを食べて先ほど家に帰り、ひとっ風呂浴びて、今これを書いている。博多ラーメンを食べるはずだったけど、注文の時には「ちゃんぽん」と言っていた。14日、金曜日の恨みか。家でもつ鍋を食べたことは記したが、小学生のガキ3人が締めのちゃんぽんに「おいしい、おいしい」と群がっていしまい、3人前の麺はあっという間に、なくなった。わたしの口に入ったのは、茹で加減を見た1筋だけ。そのうっ憤を、少しは解消できたかも。

 行った店は、会社近くの築地市場の向かいにある、ふくちゃん。ずいぶん、久しぶりに行った。福岡から東京に転勤になったのは、11年前のこと。当時は、とんこつラーメンを食べようと思えば、ここに来るしかなかった。上司と新橋あたりまで足を伸ばして一杯やり、締めに「とんこつラーメンが食べたい」などと言うから、タクシーを走らせたものだ。それが今や、数年前のとんこつブームのおかげで、一蘭も一風堂もある。唐そばもできた。あの頃からすれば、夢のような世界だ。ちゃんぽんなら、銀座にリンガーハットもあるから、世の中便利になったものだ。部下の1人は、唐そばの話になると、いくらでも喋る。それも当然、そいつは北九州・黒崎の出身。日常生活の中に、唐そばのラーメンは入り込んでいたという。

 そう、故郷の味は、体に染み付いている。それがない世界にくると、とたんに恋しくなったりするもの。山口・萩出身のわたしにとっては、それは、「どんどん」のうどん。日曜の昼などは、店から人があふれるほどの人気店だった。高校の帰りには、学割うどんをよく食べた。たぬきうどんに、少し肉が入って確か180円だった。高校生の小遣いでも、食べることができた。

 最近、ネットサーフィンをしていると、その「どんどん」が東京に進出したという。何だよ、早く言ってくれよ、とパソコンの前で叫んでいた。家族が住んでいた福岡・宗像市に、6年ほど前になるだろうか、店ができた。縁もゆかりもなかった宗像が一気に魅力ある街になり、単身赴任の帰省の際には必ず行ったのだが、今はなくなったようだ。残念だなあ。福岡の人に、山口のうどんは合わなかったのかなあ、と思ったけど、東京にできたのなら、そんなことは、どうでもいい。今は家族で東京にいるのだから。早く行きたいと、気がせいている。

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2005年1月17日 (月)

映画魂まで売ってしまったか

 昨日のブログで書いた映画を見たのは、渋谷TOEI①。最近、渋谷東映劇場から名前を改めたようだ。なんで東映じゃなくてTOEIなのか、なんで丸数字の①なのかは知らない。東映直営館が「東映」を名乗らなくて、どうするんだとは思うけど。寅さんが大好きで松竹ファンだったわたしは、最近になって東映ファンになろうとしていたのに、やっぱりなれないようだ。大好きな北海道日本ハムファイターズも、元々は東映なのにね。身売りしたことを恨んでもいないし、その時代のことは、さすがに知らない。

 こんな前振りで分かるかもしれないが、今日も悪口を書く。最近シネコンばかりだったわたしは、久しぶりの既存館。こだわり派は劇場にもこだわる。丸の内東映も、今はなき新宿東映も、堂々とした映画館といった感じで好きな劇場だから、池袋のシネマサンシャインなどに行かず、東映直営館という理由で渋谷TOEIに初めて行ってみた。映画だけじゃなく劇場にも裏切られた。

 到着したのは、タイムテーブルの1分前だった。映画館が何階にあるのかも分からない。焦っているのに、エレベーターもこない。やっと来たと思えば、劇場専用じゃない。1階から4階を占めているビックカメラにも停車するから、さらにイライラする。今の時代、映画館は1階に、なんて言わないけど、エレベーターを使わせるなら、映画館専用にしろよ。有楽町マリオンの東宝、松竹(ピカデリー)は、そうですよね。行きはまだいい。映画が終わった帰りは余韻に浸りたいのに、つまんない映画でも何か考えたい時に、エレベーターに乗って騒々しい量販店のテーマが聞こえたから、思いっきり興ざめした。渋谷パンテオンがなくなって、渋谷TOEI②(旧エルミタージュ)に行くお客さんは、どう思ってるのだろう。

 鑑賞中にも問題ありだ。本編が始まってるのに横のドアから人が入ってくる。その人は責められない。でも、そのたびに明かりがもれてきて、集中力がそがれる。まあ、これは渋谷TOEI①だけに限ったことじゃないけど、今はなき伊丹十三監督が、ニュースステーションでリポートしていたことを思い出した。日本のシネコンの草創期だった。劇場のドアの先にさらに通路があって、上映中でも光がもれないことを賞賛していた。

 とはいっても、シネコンを手放しで褒めるわけじゃない。わたしは、外資は嫌いだ。東京で2番目にできたシネコン、ワーナー・マイカル・シネマズ板橋に初めて行った時は、チケットを求める列の長さに驚いた。イライラした。上映開始に間に合わなかった。シネコン先進地の福岡では、こんな経験はなかった。教訓になった。東京のシネコンに行く時には早めに行く。土日には行かない。板橋SATYには大渋滞ができる。

 それでも、シネコンに行く。前の人の頭が気にならないからだ。どこも、スタジアム形式の構造。極端な場合、前列の人の頭は、ひざのあたり。このストレスのなさはいい。渋谷TOEI①は空いてたから良かったけど、つくりは平面だった。

 などとこのブログ、テーマを絞り切れずに、いっぱい書いたな。支離滅裂か。こんなんじゃ、何もかも盛り込もうとしたんだろうけど、結局のところ何も盛り込めなかった映画「レディ・ジョーカー」の批判など、できないか。

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2005年1月16日 (日)

見なくてもよかった映画

 結局、映画「レディ・ジョーカー」は公開最終日の14日、劇場まで足を運んだ。仕事休みに、渋谷へ行く用事ができた、というより、つくった。酒を飲んでいたから、1段落だけ書こうと思った1月13日付のブログで、酔いにまかせて、公開形態への不平、不満、ある意味で悪口を書き連ねたから、心にひっかかっていた。そう、わたしは小心者なのだ。

 映画の内容はというと、もう公開も終わったから、書いてもいいだろう。「なんだ、こりゃ」。前評判からある程度、覚悟はしていたけど、これほどとは…。原作を夢中になって読んだのは、6年以上前のことだから細部までは覚えてないけど、こんなつまんない話だっけ。そうじゃないよな。もっと奥の深い小説だったよな。原作を読んだ人間には物足りなく、読んでない人間には、何のことやら、さっぱりわけがわかんなかったと思う。

 印象に残ったのは吉川晃司ぐらい。同年代だからと勝手に親近感を持ち、名曲だと思う「終わらないSun Set」はカラオケでもよく歌うけど難しい。この人の映画を見るのは、すかんぴんウォーク以来だ。さすがにあの頃(1984年)の若さはないし、かっこよさもない。でも、存在感があった。役作りかもしれないが、ちょっと太めになったところには、40腹の出てきたわたしに「吉川晃司でも太った」と安心感を与えてくれた。

 そんなことをカミさんに話すうちに、「本が読みたい」と言い出した。でも、本棚を探せどない。4年前の引越しの時、大量の本をBOOK OFFに持ち込んだから、その中に入ってたのかもしれない。当時「捨てる!」技術 なんて本が流行っていた。感化されてよくものを捨てた。でも、今になって「あれ、どうしたっけ」なんて探すものもたくさん出てきて、捨てたことを後悔する。そう、わたしは、クヨクヨするタイプなのだ。

 あんな内容のない映画なら、高い金を払って、わざわざ劇場にまで行って見なきゃよかった。って、待てよ。わたしはあの日、朝8時半には目が覚めた。なら、わざわざ最寄駅まで15分も歩いて電車に2本乗って渋谷に行かなくても、家からわりと近い(車で20分)T・ジョイ大泉の唯一の上映、10時10分に間に合ったじゃないか。弱り目にたたり目だ。まあ、いいか。久しぶりに唐そばのラーメンが食べられたし。やっぱり、おいしかった。

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2005年1月15日 (土)

祝杯のもつ鍋を極めるために

 昨日も休み。2日続きの祝杯は、もつ鍋だ。福岡の味はやっぱりこれ、って、オレ福岡じゃなかった。山口の萩だ。でも、社会人になって初めて福岡市に住んで、すぐにこの味のとりこになった。ホルモンなのに臭くない、プリプリしている。しょうゆ味のスープはあっさり、鍋にニラとキャベツなんて初めての経験だけど、相性もいい。東京にいる今、福岡出張の時は、上司に「何が食べたいか」と聞かれると、迷わず「もつ鍋」と答える。家で作ると、子どもたちの評判も、オレの料理の中では群を抜いていい。昨日カミさんは新年会で出かけるというから、食事当番はオレ。その日に合わせて、あらかじめ、楽天市場で注文しておいた。

 そうでもしないと、東京で食すには困難なのだ。まず、牛もつがない。近くの肉屋には、豚しかない。車で20分ほどのショッピングセンター内にある精肉専門店で見つけたのは、焼肉用のホルモン。すごく高い。100グラム400円近くする。もつがあっても、スープがあるとは、限らない。ダイショーのスープを置いている店は限られ、冬場の今はいいが、ほかの季節ではお目にかかれない。さらに、福岡のスーパーでは普通に売っている、ちゃんぽん麺は皆無。むし麺じゃない、スープが入った2人前セットとかで代用していたが、どこか違う。東京で、もつが買える肉屋はないのか、そう思ってネット検索を始めたのだが、ない。電話しまくっても答えは「置いてません」。休みの予定が立たないわたしだから習慣になかったけど、通販に頼るしか、本物のもつ鍋を食す方法はなかった。いろいろな店を見て回った。

 いろいろ見て、楽天に出店しているMEET MEATShttp://www.rakuten.co.jp/meetmeats/
にした。何よりもつが安い。5~6人前1200グラムで5040円。東京で買えばもつだけでこの値段なのに、キャベツ、ニラ、カボチャまで入っている。スープも、にんにくも、たかのつめもついているから、自分で用意したのは豆腐だけだ。昨年の10月、台風の影響でレタスやキャベツが高騰した時に初めて頼んだけど、ザク切りのキャベツがたっぷり届いた時には、感動すら覚えた。

 スープが、なくなるのもイヤだ。ダイショーのにする時は、3袋は買っていた。昨日はいなかったけど、カミさんはダイショーと比べて「いいスープやねえ。やたら塩辛っくなく、さっぱりしとう」と褒めた。そのスープも、たっぷりある。さらに、ちゃんぽん麺は必須。でも、これが、意外にないのだ。昨日、子ども3人はセットの3人前を、あっと言いう間にたいらげた。「いつものとは違うね。やっぱり、福岡のは、おいしいね」。こんなことなら、追加しとけば良かった。

 最初は品物が届いても、メールで質問した。「もつは湯通しすべきですか」「このタレは、なんですか」「作り方はついてないんですか」。その度に答えがちゃんと返ってきた。おまけに、「作り方が入ってるほうが便利ですね。これからは作り方を作成して、送るように致します」なんて返事がきたと思えば、今回は作り方が同梱されてきた。もつも、スープも、気がつけば、ちゃんぽん麺までが個別注文できるようになっている。対応の速さ、きめ細やかさに感心。福岡の、行ったことはないけど山田市にあるらしい。一昨日、確認したいことがあったので電話して、「ミートミーツさんですか」と聞いたら「はっ?」。「山田ホルモンセンターさんですか」と聞いたら「はいっ!」って、女将さんらしき声が返ってきたのは、ご愛嬌。今回もおいしく、いただきました。

 でも、もつ鍋が食べられなくなりました。尿酸値がずっと高くって、以前から医者から止められてました。それでも好きだから食べてましたけど、今回は生命保険の見直しが、かかっています。ドクターストップじゃない、ファイナンシャルプランナーストップです。感慨を持ちながら、昨日は味わいました。悲しいけど、効果2000万円と聞けば、しばらくは、もつ鍋絶ちです。

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2005年1月14日 (金)

焼き鳥屋で祝杯

 約束したから祝杯は挙げなきゃ、トリ年に羽ばたくために、ってなわけで焼き鳥屋に向かった。とは言ったけど、行きつけの店で、ただ私が飲みたかったから。だいたい、家族で食事をするのは、昨日行った焼き鳥大吉か、ステーキのBigBoyか、焼き肉の安楽亭か、回転寿司のスシロー、すし銚子丸しかない。家族は5人。予算を考えれば、このあたりになる。

 わが家から歩いて20分ほどの勝手知ったる道を、長男と次男はどんどん進んでいった。わたしの単身赴任時代からだから、この店との付き合いは、もう7年になる。家族でも月に1~2度は必ず行っている。塾の長男を除いた4人で先に行き、「終わったら大吉さんに来い」と言ったこともあった。だから、店の前で待つなんてことはせず、2人は先に入って座っていた。わたしら残り3人が入ると、女将さんが「おめでとう」。「てめえ、もう自慢しやがって」「違う、わたしが聞いたから」と女将さんは弁護したけど、1月10日が試験なんて話したかな。まあ、いいや。うれしかったのだろう。ビールとウーロン茶で「乾杯」すると、隣の知らないお客さんも「乾杯」と言ってくれた。いい気持ちだ。2月にも同じ気分を味わいたい、って受験するのはオレじゃないし、何の協力もしないけど。

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2005年1月13日 (木)

久しぶりの連休だーっ

 わくわくしています。昨年、急性胃腸炎と診断され、結果的に5連休となった12月16日から20日以来の連休が、今日、明日と、やってまいりました。こう見えても頑張ってたんですよ。長男は受験にも受かったし、年末年始の激務も休憩しながらですが乗り越えたし、その前にはノロウイルスにも遭遇したし、(違うか)。何だか肩の荷が下りたので、今日はこれから、目覚ましなどのしがらみなく、起きるまで寝ます。でも、せっかくの休日、久しぶりに映画を見たいな。
 
 「レディ・ジョーカー」。小説を読んでからずっと見たかったのに、気がつけば上映が終わろうとしている。おまけに評判も良くないようだ。平山秀幸監督だから、間違いはないと思ってたのに、どうしたことか。おまけにこの作品、東映邦画系の公開だから、わが家から近いシネコン、ユナイテッド・シネマとしまえん、マーナー・マイカル・シネマズ板橋では公開されない。池袋にある、元々は池袋東映のシネマサンシャインの影響だと思われるが、不便なこと、このうえない。少々遠い、シネマサンシャインを運営する佐々木興業のT・ジョイ大泉ではやっているが、今、調べたら、朝1回の10時10分だけかよ? ふざけるな。もういい、DVDが出たら見る。と、すごい怒りを感じている。近くの、としまえん、板橋で上映しないなら、せめて大泉では普通の上映時間でやってろ。東映作品は、見たいとは思っても、面倒くさくって仕方ない。

 駐車場完備の、それも家から近いシネコンの心地よさを1度、覚えてしまったら、今さら休みの日に、駅まで15分も歩いて電車に乗って池袋まで行こうなんて、思わない。わが家族は東京へきてから、東映アニメフェアには行かなくなってしまった。5人で電車の往復も、交通費はばかにならないから。変な系列意識とか、縄張り意識は、やめた方がいいですよ。「レディ・ジョーカー」絶対見たいと思ってたけど、そんな困難を乗り越えてまでとは、今は思ってません。

 って、軽く1段落だけ書いて寝ようと思ってたのに、欲求がかなえられない悔しさを、ぶつけてしまいました。おやすみなさい。

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2005年1月12日 (水)

最初のサクラは咲いた

 午後3時13分、PHSが鳴った。「受かったよ」。今日は会議で、普段より3時間近く早い1時半に出社していた。会議も終わり、することもないので、会社の近くを散歩していた時だった。カミさんのPHS番号が表示されたので、そのつもりで答えたら、変声期を終えた野太い声だった。「おめでとう。明日は仕事が休みだから、お祝い行くか」「お祝い? 第1志望じゃないよ」なんて、かっこつけてやがる。でも、さすがに明るく弾んでいた。カミさんに電話を代わり、思い出した。クギを刺すのを忘れた。ほっとけば、オレと同じで、どこまでも舞い上がってしまうタイプ。カミさんのブログに、短所はとことん父親似と書かれた。だから66まで上がった偏差値が、直後に54だ。と、カミさん「もう、ゲームやら、しようよ」。やっぱりか…。

 まあ、今日ぐらいは、いい気持ちにさせといてやろう。発表前は「落ちた方が危機感が生まれて、いいんやない」なんて言ってたが、やっぱり受かるに越したことはない。それに、偏差値急落でヘコんでいたから、これ以上の落ち込みは危険だったかも。中学受験は、まだ始まったばかり。2月、本命の渋渋までは長い。

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今またノロウイルス胃腸炎対策

 すごいことになってきましたね。感染性胃腸炎。わたしが急性胃腸炎と診断されたのは、昨年の12月19日だから、流行を先取りしていたわけか。しかし、あの頃、ノロウイルスなんて言葉は知らなかったなあ。あの時、こんな騒ぎになっていれば、カミさんの態度も変わっていたと思う。

 思い出せば、12月18日土曜日の午前2時半ごろ。わたしはこのブログを書いていたから、日時は正確だ。2階がバタバタする。そのうち、カミさんがシーツを丸めて降りてきた。「(三男が)吐いた」。涙目の三男も一緒だ。「大丈夫か」と声をかけると、細い声で「うん」。「ゆっくり寝ろよ」と2階の3段ベッドまで送っていった。すると30分後またバタバタ。今度はカミさんの怒鳴り声が聞こえてくる。「いい加減にしーよ。寝られんやないね」。そのまま三男を1階のリビングまで引きずり降ろし「ここに、おりっ。また吐きとうなった時、ベッドを降りるのは、アンタも辛かろ」と自分を正当化し、去っていった。残されたこっちは、横たわっている三男を見守り、またおう吐を催したから、トイレで背中をさすり、って、これがいけなかったのだ。吐しゃ物のついた手をろくに洗いもせず、三男は落ち着いたから再びベッドに送り、ピーナツなど食べてながら一杯やってた。経口感染。

 ダメ押しは、その夕方。三男を車で病院に連れていったら、また吐いてしまったから、その処理もした。何気なく、口にゲロがついたとも限らない。その12時間後、19日(日)の午前4時ごろ、体全体の痛みが収まったと思えば、二日酔いでも経験したことのない、ものすごい吐き気が襲ってきた。明け方、やっと落ち着いて眠れた。夕方、起きても熱があったから救急病院へ。会社は休まざるを得ない。するとカミさん「休む? 家におるんやね。なら行ける!」と、PTAだかコーラスサークルか母親の会か知らないが、忘年会に出向くと言う。病院から帰ったら、カミさんはいなかった。わたしは、子ども3人の世話もそこそこに、布団にもぐりこんだ。しかし、よくカミさんには、感染しなかったな。最初の吐しゃ物の処理をしといて。さすが、わたし(59キロ)より重いだけのことはある。そして丈夫だ。

 普段から規則正しく体を健康に保っていることが、ノロウイルス撃退の特効薬。でも、不規則、不摂生の代表のようなわたしでも、手洗いを入念に、そしてうがいを欠かさなければ防げただろう。1日40本のタバコをやめて8カ月。酒席だけは我慢できないけど、吸うのは週に4、5本。のどが痛くなくなったから、最近うがいの習慣を忘れていた。万が一かかっても、高齢者の場合は深刻でしょうが、子どもでも、普通なら感染しない大人でも、丸2日もあれば治りますから、ご安心を。2日ぐらいは食べなくても平気ですが、ただ水分は必要です。欲します。三男もわたしも、アクエリアスは、たくさん飲みました。

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きょう午後3時

 で、入試の手ごたえは、西武文理は、どうだったのか。昨日11日、午後0時30分に起きた時、長男は次男とカードゲームに興じていた。「そんな暇があったら、べんきょ…」と言いかけて、やめた。どうも体が重い。まだ風邪が抜けきってないのだろうかと、もう1度寝た。

 起きたら3時を過ぎていた。今度は勉強していた。そして自分から話しかけてきた。「まあまあ、よかったよ」。「ほう、それは、それは」。ゆっくり話している暇はない。急がなきゃ遅刻だ。メールチェックをと、パソコン部屋に入るとカミさんがいた。「なんや、おったんかい」。なら、ブログで会話するのは、やめようよ。とカミさん、ゲンコツを2つ鼻の上につけて「こげん、なっとんけんね」と言う。スポーツ新聞によくある、天狗の鼻が妙に太く長く、その横に「あっ!!」凄い!!蘇る男の自信、なんて広告が頭をよぎり「また、でかくなったんか」と聞くと、「違う、チンチンじゃない」。ブログに長男のチ○チ○がテカイし立派と紹介したのは、オマエじゃないか。「天狗になっとうけん、鼻っ柱を折ってやって。偏差値66の時も、そうやったろ」と真面目に言うから、勉強している長男のもとへ歩み「そうか、よかったか。受かってりゃ自信にして突っ走れ。落ちてたって、いいやないか。どうせ、行かん学校やし」と話していると、後ろから頭をポーン。「励まして、どうすると」と突っ込みが入った。結果は今日の午後3時にわかる。受かってりゃ、この場で自慢しますから、便りがなければ不幸だったと思ってください。

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2005年1月11日 (火)

どうだったんだろう

 昨日、1発目の受験だったはずだ。どうなったのだろう。家を出るころには当然、長男は西武学園文理のある狭山からは帰ってきてなかったし、あれから13時間、わたしはまだ会社にいる。普段なら、仕事の合間に電話の1本もするのだが、昨日はとても、そんな暇もないほど、忙しかった。今、確認したけど、メールもきていない。1度、お気楽なメールがきた時「そんなメール、会社にいる時によこすな」とカミさんを怒鳴り上げたので、まあ、こないだろう。当然、電話もあるはずない。でも、やっぱり気になる。どうだったのだろう。帰って、家が悲劇に包まれてなければいいが。

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2005年1月10日 (月)

埼玉で小手指いや小手調べ

 いよいよ今日だ。市船橋と鹿実の決勝戦。って、昨日も同じ書き出しか。長男の中学入試1発目が、あと数時間に迫っている。昨日、一昨日とこの話題を書いて、おかげ様でこのブログ、連日アクセス数が自己最高を更新してしまった。12月6日の98を越え一昨日、初めて大台を突破したと喜んでいれば、昨日は143。週初め月曜日の6倍だ。本当にありがとうございます。

 この勢いで今日も、といきたいのですが。ネタがありません。昨日、午後3時に起きた時には、長男は塾に行って家にいなかったし、今は当然寝ている。「せい、セイ、何かな? 星稜だ」以来、会話はない。何せ夫婦の会話も、ブログを通じてしているぐらいだから。今日受験する西武学園文理は埼玉県の狭山にあるとカミさんが言ってたから、練馬のわが家からは1時間半は、かかるだろう。だから、もうすぐ起きてくるんだろうけど、待って激励を、なんてことはしない。普段通りが一番だ。それに、わたしは今日の仕事が早いのだ。普段は午後4時からだけど、2時には行かなきゃなんない。だから、2日続けてカレーも食ったので寝る。

 ところで、ここにきて感染性胃腸炎が猛威を振るっているようです。神奈川の施設で死者が出たようだし、広島・福山で7人死亡の施設でも、感染性胃腸炎の代表的な感染源であるノロウイルスが原因という。わたしと小3三男2人が屈した様子は、12月25日付に記してありますので、よろしかったらどうぞ。わたしのブログ、今もってこのページへのアクセスが一番多い、ということは、流行している証拠でしょうか。予防策は手洗いと、うがいしかないようで。わたしは、セロテープを口にくわえる癖があるが、そのようなことはなさらないよう、どうか、お気をつけください。ほとんどの感染は口からです。

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2005年1月 9日 (日)

叱咤し続けられると

 いよいよ明日だ。高校サッカーの決勝、じゃないか、長男の中学受験1校目。でも、ダメみたいだ。「ええと、第2試合は、市船橋対セイ、セイ…せい、なに?」。昨日は家族で高校サッカーの準決勝を見ていた。やっぱり気になる九州対決。第1試合は国見対鹿実。国見が完封負けで連覇を絶たれた時、長男がさっきの言葉を発したのだった。わたしとカミさん、顔を見合わせ「受験生が、あげなこと言いよるけど」「やっぱり、ダメか」「ゴジュウヨン様以下かもしれん」。で2人そろって、ため息を「ハーッ」。やっと星稜が読めた長男「セイリョウだ、せいりょうだ。松井だ。ねっ、星稜といえば松井だよね」と取り繕うのに必死。「そんな問題じゃない」と相手にもしなかった。

 ここにきての偏差値急落。その責任は、わたしにあるんじゃないか、と最近、思い始めている。もともと「やりたかったら、やればいいやん」と言ったのは、まったく無関心だったから。ところが昨年11月、渋渋の学校説明会に行ってから、中学受験は他人事じゃなくなった。「いい学校だ。いい教育方針だ。オレが小6なら、絶対に行きたい」。当時の心境は11月19日付をご覧ください。それ以来、長男のダラダラぶりが、やたら気になるようになった。「その、何もしないでダラダラしてる時間、何とかならんのかな。1日の、そのダラダラを足せば、すぐに1時間ぐらいになるやろ。そしたら、過去問の1つぐらい、解けるやろ」などと、口出しを始めたのだ。説明会で、「これまで親子関係がギスギスしていたでしょうが、これからの時期は、リラックスさせてください」と言われたのと、正反対のことをしてしまった。

 おまけに、わたしの勤めている会社の本社は福岡。入社以来13年11カ月の変遷は、小倉(2年9カ月)→東京(3年5カ月)→福岡(11カ月)→東京(6年10カ月)となっている。ということは、次の→が、いつあるとも限らない。実際、家も福岡に建てたしね。上司も心配顔で「転勤になったら、どうするんか」と聞いてくるから、きっぱりと答えた。「(福岡に)転校させますよ。合格することが目標じゃなくて、そこに至るまでの過程は、必ず本人の力になっているはずですから。受かる落ちるは結果に過ぎない。ブランドが欲しいわけでもないし」。カッコつけてるわけじゃなくて、本心だった。でも、本人に言う必要はなかった。休日の夜、目の前で勉強している長男に、酒が入ったいい気持ちで、さっきのような一席をぶっていた。その場では、うなずいていたが、どうだったろうか。「受かんなくていい」と安心したか「転校させられるかもしれない」と心配になったか。どっちにしても、身の入り方が違ってやしないかと。

 上司の前では、あのようにぶってみたものの、今は「渋渋に行ってほしい。オレのできない英語を、あの教育環境の中で学んでほしい」と本心から思っている。それなのに合格圏から努力圏への転落。「オレがいかんかったんやろうか」とカミさんに相談すると「関係ない、ない。他の人の成績が上がっただけ。そしたら偏差値やら、落ちるに決まっとろうもん」と一笑に付し、パソコン部屋に引っ込んだ長男にわめき始めた。「なして、ゲームやらするとか! そげなもんで疲れて、どうするんか。疲れるんなら、勉強して疲れろ」。そして「ああ、すっきりした」。よかった。偏差値急落の原因は、オレじゃなかった。やっぱり、わたしは、何も言わないでおこう。

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カレーのちょっとした悲劇

 今、家に帰ってきて、においとともにイヤな予感がした。台所に足を運んで、鍋のふたをあけると…やっぱりカレーだ。そうなら、そうと言ってくれ。

 会社で夕方6時ごろにとった食事は、部下が買出しに「新鮮組(弁当の充実しているコンビニです。このブログは福岡方面に読者が多いもので、説明しておきます。西日本で言えば、ポプラに似ているでしょうか。ただ、陳列してある弁当に、暖かいご飯はついでくれないし、ふりかけもついてませんけど。首都圏の皆さまに説明しますと、ポプラは広島発祥のコンビニで、数年前から北部九州に勢力を拡大。東京にも何店舗か、ありますよね)に行きます」と言うので、ビーフカレーを頼んだ。もう気分は、新鮮組のカレー。待ち遠しかった。ところが、しばらくして電話があり「お金を下ろしてなかったので、セブンイレブンにしました(新鮮組にはATMがない)。ここのカレーでいいですか」と聞いてきたので、ちょっとがっかりしたけど「いいよ」と答えた。買ってきてもらったのはポークカレーで、新鮮組のカレーの方が、うまかった…。

 そして、今からまた、カレーを食べるのか。これって、なんともいえない悲しさと切なさがある。

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2005年1月 8日 (土)

川向こうの付属大学

 大学を卒業してから17年も経つのに、初めて野球部のユニホームを見た。今、テレビでだ。仕事から帰り、何気なくつけたケーブルテレビで、何かないかな、と番組表を表示させると「首都大学40周年記念 プロ・アマ交流試合」などという番組を、G+(じーたす)でやっていた。原辰徳父子(東海大)が、ともに監督をしている試合の、プロにもアマにも、わが武蔵大の選手が2部なのにいる。そういや00年秋のドラフト翌日、たまたま母校を訪れた時は、大変な騒ぎだった。大学始まって以来のプロ選手の誕生、それも巨人。経済の講座を受けに行ったはずなのに、封筒にはスポーツ新聞のコピーが何種類も入っていた。毎日タクシーで仕事帰りに通る母校正門の横には、指名を喜ぶ横断幕まで登場していた。その主の小野剛投手は現西武に在籍。翌年、2年連続の武蔵大ドラフトという快挙を成し遂げた丸山泰嗣内野手は、ロッテから昨季ヤクルトへ移籍した。しかし、PL出身のアナウンサーなどに、実況してほしくなかった。日テレの上重君、アンタ立教でしょ。首都大学と何の関係もないじゃないか。

 と、誇りを持っている母校なのに、中学受験には煙たい存在らしい。武蔵大には中学、高校も付属しており、おんなじ敷地内にある。所在地は東京・練馬区。今、わたしが住んでいるのも練馬区。知ってる人は知ってるだろうが、中学、高校は、麻布、開成と並んで、東京では御三家の一角を占めている。長男が受験を決意した時の、母親同士の井戸端会議。ある主婦「おたくなら、武蔵中も狙えるんじゃない」。カミさん「いや、とても、そんな」。別の主婦「でも、今の武蔵は偏差値が下がってるらしいわよ。いらん大学が、ついてるから」。さっきの主婦「そうねえ。いらん大学がねえ。人気も落ちてるしねえ」。カミさん「…」。

 帰ってくるなり言われた。「もう、アンタのせいで、ずっと黙っとかんと、いかんかったやないね」。でも、納得できる井戸端話だ。大学と中高の間には濯川(すすぎがわ)という小川が流れ、中高生からは「川向こうの大学」とさげすまれていた。1歩で越えられる川なのに、あまりに大き過ぎる偏差値の差。希望すれば高校生の誰でも大学にこれるのに、そんなヤツは1人もいない。東大はもちろん、早慶上智なんて、当たり前の世界だろうから当然か。そんな大学に5年(アレッ!?)もいれば、こっちは慣れてる。付属中、高というよりも、こっちが付属だ、付属大学だ。そのぐらい開き直って、笑いを取ってこい。しかし「いらん大学」はないやろ。誰か、その主婦は! オレが行って言うてきてやる!! と息巻くと、「やめて、たのむから武蔵出身って、言わんで。ここ(練馬)におられんように、なる」。

 大学進学で上京して、その街が気に入って今も練馬に住んでいるのに。カミさんも、「(最初に住んだ)葛西(江戸川区)なんかより、すごくいい。住みやすい」と、ずっと喜んでいるのに。練馬に家族がきて3年、それまでシャレっぽく大学の話はしていたが、わが大学の「正体」を目の当たりにしてから結婚以来、少しはあった尊敬の眼差しが、今は完全になくなった。

 偏差値「ゴジュウヨン様」の長男には、常々言っている。「渋渋を出て武蔵大に入るようなマネはするなよ」「うん、でも、なんで」「おかしかろう。高い金をかけて中学、高校に行かせて、地方の公立(中、高)のオレと一緒か」。カミさんは滑り止めと、おこがましいことを言っている西武文理の入試まで、あと2日…。

 そして、すみません。武蔵大OBの方々と、先輩、友人、知人の方々、後輩にも。そこまで笑われる大学じゃ、ありませんよね。学習院、成蹊、成城と4大を形成してますから。ぶらさがってますけど。わたしは、大学にはほとんど行ってなかったけど、愛校心は人一倍です。

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2005年1月 7日 (金)

合格祈願まだ行けない

 すみません。また更新を4日ほど、やめてしまいました。恥ずかしながら、また、風邪です。ただ医者に行くと今度は急性胃腸炎ではないそうで、インフルエンザの検査もしてもらったのですが、幸いそれもなし。「風邪ですね」。「それが病名ですか」。「まあ、風邪症候群でしょうか」。昨年、急性胃腸炎にかかってからというもの手洗いに、うがいは欠かさなかったのですが。大晦日を襲った再びの豪雪のせいか、そんな中で行った、護国寺の初詣でのせいか。皆さまも、お気をつけください。

 会社では邪険にされ「エーッ、ウイルスなんですか。うつるから、帰ってください」と言われたのが4日の夕方。でも1人の部下は核心をついた。「ここ(会社)にいた方が、お子さんのためじゃないですか」。その通りだった。わが家には、中学受験を控えた偏差値「ゴジュウヨン様」がいる。会社を出てカミさんに電話した。「帰ったら、そのまま病院に行くから。そのあとも(リビングを通らず)2階(の寝室)に上がるから」。「そこまで気を遣わなくていいよ」の答えを期待していたが、返ってきた言葉は「ああ、そうしてくれたら助かる」。でも、洗面所に行くためには、リビングを通らざるを得ない。帰る前に電話をすると、リビングにはカミさんと次男と三男。「あれっ、(長男は)」と尋ねると「あっち」と、リビングに隣接したパソコン部屋に「避難」していた。かたくななまでに、接触を阻まれた。

 そうまでして受けた5日の模試なのに、結果はかんばしくなかった。第一志望の渋渋も合格可能性は50%。5日の仕事が終わってから休みの昨日6日も、夕方まで寝室から出なかったわたしをカミさん呼びにきて「もう、いいよ。一緒にいても」。「でも、熱でも出たら」と言うと「熱でも何でも出ればいいったい。風邪がなんね。どうせ落ちるんやから、ハッハッハ」と、吹っ切れたように叫んでいた。最初の入試である西武学園文理の試験まで、あと3日。まだ合格祈願に行けてない。

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2005年1月 2日 (日)

偏差値急落「ゴジュウヨン様」

 「公約」通り、昨日あれから紅白を見た。ほとんど早送りしてみたけど、やはり時間はかかる。酔っ払ってるから、1人でもテンションは高い。思えば、会社からタクシーの車中、ジョナサン、そして紅白を見ながら飲みっぱなしだ。ビールから始まり、日本酒は久保田、麒麟の酔茶チューハイは、あまりうまくない。烏龍茶割はサントリーより、宝焼酎の烏龍割りの方がうまいか。それとも高いだけか。なんで、こんなに値段が違うんだろう。って、興が乗ってザ・ベストテンまで見てしまったから、カミさんも子どもも、みんな起きてきた。何時に寝たかは覚えてない。

 目が覚めたら午後3時だった。気持ち悪い体をリビングまで運ぶと、小6長男が勉強してる。そりゃ危機感も募るだろう。年末の模試で、偏差値を66から54まで急落させやがった。だから「ゴジュウヨン様」と散々馬鹿にしてやった。武蔵大に行った、オレの萩高校時代の偏差値まで下回ってどうすんだって。合格圏内にいた渋谷教育学園渋谷(渋渋)や立教新座や城北は、みんな有望圏を突き抜けて努力圏まで下がってしまった。だから、今年は新年会も中止した。たかが中学受験を大げさなものにはしたくなかったが、この惨状じゃ仕方ないし、正月から机に向かわざるを得ないだろう。西武学園文理は腕試しと言ってたけど、そんな甘い考えは通用しないんじゃない。試験まであと8日。

 でも、せっかく起きたのにテレビも見れないし、カミさんと話をしようとしても「うるさい」って言われる。やることがないから、気持ち悪いこともあったので、もう1度寝た。起きたら午後6時。すっかり暗かった。家族で初詣でぐらい行こうと思ってたのに、1歩も外に出なかった。あーあ、たった1日の休日、それも正月を無為に過ごしてしまった。

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2005年1月 1日 (土)

護国寺に初詣でしてきた

 さあ、これから、紅白歌合戦を見て寝よう。今は1月1日の午前6時です。家に帰って、紅白がハードディスクに撮れていたことを確認にして、このブログを書いてます。ビデオじゃありませんから。ハードディスク。これを手に入れるためには、池袋のビックカメラと、メーカーのパイオニアとの間で、ひともんちゃくも、ふたもんちゃくも、あったのですが、この話は、後日に興味があるならば書きます。とにかく、普通の新年のあいさつはしたくなかったということで、さっきまで仕事してましたから。ジョナサンでビールとウーロン杯を、しこたま飲んで、今、家に帰ってきました。ファミレスに、いっぱい人がいたことに、驚きました。

 昨年、入社した部員2人を引き連れて、初詣でに行ってきました。護国寺。駅の名前は聞いてたけど、行くのは初めてでした。この時間だからか、寒いせいなのか、ファミレスとは対照的に、境内には7人しかいませんでした。それでも、絵馬などを売っていたので、買いもしないのに巫女さんと話していると、この木造建築は、たいそう古いそうで、由来とか、ほかにもいろいろ聞いたんですが、酔っ払ってたんで覚えてません。新人2人は、わたしのはるか後ろで、笑ってました。

 もう、ここまでが限界です。今日1日は休みですが、2日からは仕事なので体を休めます。NHKデジタルハイビジョンを録画した紅白歌合戦を見ながら寝ます。おやすみなさい。

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