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2004年11月30日 (火)

ハムに4万2000人?

 隔世の感がある。28日に札幌ドームで行われた、北海道日本ハムファイターズのファン感謝デーに、4万2000人もの観衆がつめかけた、と昨29日のスポーツ各紙が伝えている。巨人、阪神に次ぐ3番目の動員力。もう30年にもなる日本ハムファンのわたしには、目を疑うようなニュースだった。

 これまでの最高は昨年の2万人。東京ドームのラスト開催でも、その程度の数字だった。わたしも足を運んだけど、フィールドも開放し、コンコースでもイベントを行っている中での「公称」2万人という数字は、ガラガラの世界。その前年までは、東京ドームで行うほどではないとしたのか、2軍の球場や合宿所のある、千葉・鎌ケ谷市のファイターズタウン鎌ケ谷で開催していたほどだったのだから。

 昨年までは「日本ハムファン」と言葉を発するのもはばかられたし、必ず「何で?」と聞かれていた。わたしの住む東京からは離れてしまったけど、ずっと応援してきたチームが市民権を得て、ある特定の地域では押しも押されぬ地位を獲得しようとしているのは、うれしい。札幌移転は、大英断、そして大成功だった。今年は、開幕戦と最終戦は観戦に札幌へと飛んだけど、球場の雰囲気は最高だった。でも、そうそう札幌までは行けないから、首都圏のファンのことも忘れないで欲しい。今年の東京ドームの試合は観客も大幅に増え、昨年までにはなかったような声援が送られていた。いなくなって、初めて分かる大切なものだったのだ。準フランチャイズでも「別荘」でもいいから、来年も10試合ぐらいでいい、ぜひ、帰ってきて欲しい。

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2004年11月29日 (月)

こみあげてきた送別会

 人事異動で今の職場を離れる後輩の送別会が、昨日、行われた。感極まり、涙ながらにあいさつをする姿に、こちらの胸にも、込み上げてくるものがあった。

 1度目は、2次会のカラオケボックスで、きた。ウーロン杯を浴びるように飲んでいて、突然しゃっくりが。と、同時に、ウーロン杯が逆流を始めた。「どうした」の問いかけに答えることもできず、トイレへ駆け込んだ。

 2度目は、就寝中に起こった。どうやって帰ったかは覚えていないが、布団の中で眠っていた。夢を見ていた。気持ち悪い夢だった。気が付けば、トイレにしゃがみこんでいた。

 3度目は、起床直後だった。起き上がると同時に胸の底から、こみあげてきて、トイレへ直行した。

 4度目は会社だった。家よりもトイレが遠いから、難行苦行だった。

 今日も、これから送別会だ。あいさつで泣くな、と後輩に注意しておこう。

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2004年11月26日 (金)

ヤンキース松井から「0円通告」

  「0円」はやはりショックだった。4年前、あのサッカー界の至宝カズが、京都から受けた仕打ちを思い出した。来季年俸「0円」は戦力外の通告。わたしの愛車は、昨日25日「0円査定」を受けた。その横で、日本野球界の宝、ヤンキース松井が微笑んでいた。

  「何でだよ」。声を荒げたくなった。平成6年式のタウンエースだけど「ロイヤルラウンジリミテッド」だ。4WDだぜ。電動カーテンだし、Wサンルーフもある。コーナーセンサーもついてるんだぜ。新車価格は300万円近かったらしいじゃないか。ここまで心の中で言って「そうですか」と静かに言葉を発した。らしい、としか言えない負い目がある。5年前に中古で手に入れた。103万円ほどだった。それでも、当時乗っていた平成9年式のカローラ スパシオの査定より、25万円高かった。

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 結果はともかく、ガリバーの熱心さには頭が下がった。何の気なしに、ネット上で価格が弾き出されると思って、無料査定を申し込んだのが23日の午後6時前。焼き鳥屋で一杯やって午後9時前に戻ると自宅の電話が鳴り、酔っていた私は言われるままに出張査定を受け入れた。25日午前11時と約束し電話を切ると、数分後に今度はPHSが鳴った。予約番号を伝える電話だった。訪問日前日の24日夕方にも電話があり、当日の朝10時19分にも確認がきた。なるほど、中古車買取、販売業は、自分で車はつくれない。ネット申し込みであれ、電話であれ、来店であれ、それが商品を持ってくるのだ。わたしの場合は雑魚だったが、大物とも限らない。針にかかった獲物は、どんなものであろうとも逃がさない。そんな強い姿勢を感じた。やはり、業界1位には理由がある。

miginokizu

 まっ、冷静に考えれば、こんな傷だらけの車が売れるはずがない。この間の定期点検で、修復には左(写真㊤)右(同㊦)両側で20万円がかかると聞いた。そういや、カローラ スパシオも新車を買ったばかりでこすり、20万円をかけて修復した。左がわたしで11万円。右がカミさんで9万円だった。「私の方が少ない」とカミさんは自慢していた。今度は「わたしは、ぶつけないんですよ。全部、この人ですから」と、家にきたカーセブンの営業マンに話していた。

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2004年11月23日 (火)

たかり屋じゃなかった

 たかり屋と3日ぶりに顔を合わせた。敵が2日間ほど仕事休みだったからだが、たかられてからは初顔合わせ。「あー、この間はどうも」などと笑っているから、「どうも、ごちそう致しまして」とイヤ味っぽく言うと、ちょっと間があって「オレが払ったよな」などと言葉を返してきた。何をとぼけてるんだ、とばかりに「オレが払いましたよ」と声を荒げると「うん? オレ、酔っ払ってたか」。「はっきり、しゃべってましたよ。すいぶんテンションは高かったけど」と説明すると「じゃあ酔っ払ってたんだ。どうやって帰ったか、全然覚えてねえもん」と声のトーンが変わると思うや、おもむろに財布を開け始めた。

 「いくらだった?」「いいですよ、もう」。昨日のブログに、たかり屋って書いてしまったから、金をもらうわけにはいかないのだ。でも「そうは、いかん」と1000円札を数枚、握らされた。「少しの時間でも、こういうのは気持ちが悪いからよ。借りは作りたくねえしな」。江戸の下町言葉、べらんめえ口調を残して、その先輩は去っていった。

 たかり屋も47歳にもなれば、丸くなる。人のいい、物分りのいい、江戸のオヤジになっていた。

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2004年11月22日 (月)

たかり屋が帰ってきた

 せっかくブログを開設したのに、2日間も更新していない。飲んで帰って、パソコンを開くことなく布団に直行してしまった。いかん、いかん。と思っていたら案の定、ここ東京からは遠く離れた福岡の上司から「いつ更新するんや」なんて電話が飛んできた。本当に、今日しようと思ってたのに…。

 19日は、人事異動で5年ぶりに同じ職場で働くことになった先輩と「再会」を祝してグラスを合わせた。わたしの40歳誕生日の祝いも兼ねた。場所が、安さには定評のある「笑笑」というのは、ダブル祝杯の場としてはどうかと思ったが、会社から最も近い「地の利」には、かなわない。

 総勢4人で飲んだ食った。その先輩は、1人でワインを2本あけ、焼酎のボトルも1本空いた。あっという間に閉店時刻。会計の総額は9500円あまり。さすがは「笑笑」だ。「おっ! 安いな」と感心する先輩に「じゃ割り勘で。1人2400円ですね」と言うと「ねえよ」。「はっ??」。「これしか、ねえんだよ」と500円玉を1枚見せ「オレの復帰祝いだ。払っとけ!!」と言い放った。そういや昔、この先輩には、いろんなことで何度も痛い目に遭ったもんだ。とんだ誕生日になった。そして心底から思った。「笑笑」で良かった。

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2004年11月19日 (金)

中学受験斬り

 「中学受験」。田舎出身のオレには全く無縁だったのに、今は本気になっている。「うらやましいよなあ。あんな中学校ならオレが行きたいぐらいだ」。学校公開から帰って、小6の長男に本心からそう言ってた。「渋渋(しぶしぶ)」。最初に聞いた時は、何のことか分からなかったが、渋谷教育学園渋谷中学校の略。渋谷駅から徒歩6、7分。ファッションビルなどが立ち並ぶ一角の、地下1階、地上9階の校舎は、かっこよかった。

 だいたい、渋谷なんてところに足を向けたことは、ほとんどなかった。東京に出てきたのは18歳。進学先に決めた武蔵大は、23区の端っこ練馬区にあるし、住まいも練馬。渋谷なんて身近じゃないし、用事もない。根っからの田舎者だから、物おじして行けなかったことも理由の1つではあるが。でも、東京に越してもう4年になる長男には、そんな「遠慮」はない。だから堂々と「渋渋」を第1志望にできるんだ。何だか、うらやましい。

 さすがに渋谷の学校だから、グラウンドがないのもいい。冬の体育、ひたすら走るだけの苦痛なんてないんだ。そんな話をしながら「いいよなあ」とつぶやくと、「まだ行けると決まったわけじゃないよ」。「なんでか。模試の偏差値は合格圏内に届いとるんやろうが」「そうだけど、過去問がね…」カミさんが口をはさんで「理科が10点なんよ」「あーっ…??」。
 
 ついこの間まで「高い学費を払わなくていいから、落ちてくれないかな」などと本気で考えていた。でも、かっこいい学校を見てしまったから「頑張れよ。まだ時間はある」なんて今は励ましている。考えが180度変わって、すっかりその気になったから、行ってもらわなきゃ困るのだ。と、小3の三男が突然「オラも受験したいなあ」。頭の中は、また180度回った。冗談じゃない。私立に1人なら何とかなっても、2人3人なんて、とんでもない。「わが家では、中学受験は先着1名さまとなっておりますから!! 残念!!」。本気になる前に、バッサリ斬っておいた。

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2004年11月18日 (木)

不況は病人を増やす

 無事に人間ドックから「退院」した。表層性胃炎に十二指腸かいようの疑い、痛風に軽度の脂肪肝と、例年通りの診断。新しい発症はなかったから、気にすることはない。

 しかし気になったことがある。受診者の数が年々減少している。わたしは毎年、東京・池袋の人間ドック専門のクリニックと決めている。初めて受診した00年、あまりに苦痛のない胃カメラにびっくりした。以来、自分の胃腸を見るのが楽しみになったほどだ。宿泊は駅直結の高層ホテル。レストランの食事はうまいし、眺めもいい。だから、このクリニックの人気は高い。翌01年は予約が取れず、違う病院で受診。食事は病院食だし、宿泊は病院のベッド。ちょっと外出するにも許可書が必要だったし、予定時刻に帰らなかったら怒られた。人間ドックも「入院」には違いないから、これが本来の姿だろうけど、さすがに気がめいった。

 02年からは再び池袋のクリニックへ。予約も簡単に取れるようになったと喜んでたら、明らかに受診者が減っている。今年など、1泊2日コースは、わたし1人だけだった。日帰りコースの受診者も少ない。世は健康ブームなのにである。なぜか。わたしの会社が属している健保組合は35歳以上は8割の補助が出て、2割は会社補助。自己負担はない。恵まれた環境と言っていいだろう。企業が経費削減で真っ先に手を着けるのは福利厚生費。あくまで想像だが、長引く不況で、人間ドックの補助を打ち切る会社が増えているのではないか。自腹では、さすがに二の足を踏む。不況が病人を増やすことにならなければいいが。

 3日ぶりのビールはうまかった。痛風に悪い牛肉も、たくさん食べた。久しぶりの酒のせいか、家で飲んだのに、前後不覚になるほど酔っ払った。こんな人間にこそ、人間ドックを受診する資格はないのかもしれない。

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2004年11月16日 (火)

ケツの穴は見せない

 あの屈辱から1年。ホッ!! 今年はケツの穴から管を突っ込まれずにすんだ。わたしは11月19日の誕生日前後に人間ドック入りするのを、毎年の恒例行事にしている。今年は昨日15日から、つかの間2日間の「入院生活」。

 昨年はエラい目にあった。「便潜血反応」が見られたから大腸ポリープの検査を、と医者は平然と言う。胃カメラの逆。口じゃなく肛門から入れるのだ。とても耐えられない。「(出血は)痔のせいだと思うんですけど。先生もさっき『外痔核』だと、おっしゃったじゃないですか」と必死に訴えても、「いつに、しますか」と聞いちゃくれない。結果、検査自体は何てことなかったのだが、腸を空っぽにしなきゃいけないから、下剤を飲んでひたすら便器にかがむ。ケツの穴が痛くって仕方がなかった。結果は「外痔核」だけ。逆に悪化したんじゃないのか、なんて捨て台詞が出るところだった。

 などと、いきなり下ネタから始まりましたが、体があちこちで悲鳴を上げている、あと3日で40歳になる男の日常を、こんな調子で脈絡もなく記ししていこうと思います。タイトルは中学の頃からのファン「海援隊」の曲から拝借しました。と、カミさん「俺の人生真ん中あたり、ってアンタ、80まで生きるつもりね? 迷惑なっ…やめてくれんね」。夫婦生活も15年目を迎えると、悲鳴も上がります。

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